出席はせず、内容はワッショイ兄やんのところで把握。後で書き直すなり、体裁整えたりするなり、するかもしれないけどとりあえずザッと書いてうp。何たって、今年はブログを更新しようと決意をしたのもあるのでw
- 再定義するぐらいだったら、別用語を使って欲しかった。
城福監督が今回大きくぶちあげたフレーズが「アクションフットボール」。その中身はワッショイ兄やんのところによるとこういう事らしいが、中身の是非はさておき、中身自体の把握がすんなりいかない。端的に言えば、ピンと来ない。
けどそれは当然の話で。サッカーにおける「アクション」「リアクション」は、既にフレーズとして定着し、頻繁に用いられてもいる。それを再利用して、けど自分の定義はちょっと違ってこうで…と丁寧に説明されたところで、すんなりと「はぁ」とはならない。
概念を言語化するのって、大事なことだと思う。特に集団においては、意思統一や立ち戻る場所を共有するためにも、ぼんやりとした概念のままではなく、しっかりと「形」とされていることが重要になってくる。
その作業が例えば、言語を『器』、概念を『中身』だとすれば、作業手順は「中身に合わせた器を用意する」のか、「空の器に中身を入れる」のかと置き換えられる。中身と器が合わさって「形」が作られる。
そう例えた時に、今回のアクションフットボールという概念を理解するのは、自分にとっては「既に中身が入っている器から中身を抜いて、違う中身を入れなおす作業」となる。既に形作られているものを一旦横に置き捨てなければならないのは、都合だけで言えばめんどい。
単純に、違う器を用意してこれなかったのかと。正直、器なんて空であれば何でもいい。それが例え「うんこフットボール」であろうと、その器の意味がちゃんと説明され浸透し「形」作られれば、求める効果は十分期待できる。後追いで何とでもなるし、重要なのは空であることなのだから。(ちなみにこの場合は、フットボールにおいて「うんこ」が空だという意味である。「L’Arc〜en〜Ciel」が「フランス語で『虹』という意味である」ってのが誰にとっても無意味なのと一緒。)
概念を言語化し、形作る作業が非常に重要であり、かつ難しい作業だと思われるからこそ、あえて遠回りした事をやる(やらされる)理由が分からない。「Moving Football」という、自らの成功例があるにも関わらず、である。
- アクションの割合を増やす理由・目的があまり語られていない
こうして無理矢理に再定義された「アクション」を増やすという目標が会場では発表されたらしいが、どうにもその理由が説明されていない。アクションが増えることで、どうなるのか。こうなるから、結果勝てる様になる。優勝を狙える。というところが無い。現状の率直な感想を言えば「アクションを増やすことって、必要なの?」。
まぁそれが城福監督の思想だから、なのではあろうが。理屈ではなく、好み。それでいいんだけど。第一期を経て既に知ってるからいいんだけど。それでも所詮、5年と4ヶ月前の過去の印象である。変化するには十分過ぎる期間である。プロビンチャの美味しい空気を吸って、古巣であるFC東京をこき下ろして、その結果いまの城福浩は変わりましたよ変わってませんよを、ここまで再定義から話をするのであればその材料をもって「『こうだから』アクションを増やすことを目指す」と説明するのが、話の展開として筋だと感じた。
(ちなみに、その後の囲み取材において「アクションを増やすべき理由」は語られている。シュート数の少なさを、アクションの良さをもって改善しようと考えているらしい。個人的には、マッシモトーキョーのシュート数の少なさの件、もしくは「攻撃に難があった」という世の結論に対しては再検討したいところがある。)
- 城福監督は、ウェットな感じが無くなってドライな感じが増えた印象
完全にパッとの印象の話。感情的なコミットを対FC東京にしていない感じが言葉の節々に。野心のために、私念は脇においてきました(私念を捨てたとは言っていない)的な。それぐらい傭兵的にやってもらった方のがむしろいいのかも。第一期のウェットさが好きだった女性ファンの方々は、第二期の城福に何を思うのか?