所詮は感想文だから。
だから自分は、自分が「悪し」と思ったモノ全てに対して「それはダメだ」と言ってしまう。
それが例えば商業的な話になれば、字数制限はもちろんあるし、世への出方だってより多くの「人生」を介して発信される分だけフィルターにかけられた仕上がりにならざるを得ないと予想する。
でも、そうではないから。こういう場だから、ってのもそうだし、中の人のパーソナル的な部分で言ってもそう。
だから荒く試合を仕掛けて、オレを愛する選手を傷つけた千葉は許さない。カネ払って見に来た試合としては到底ふさわしいとは思えない、駄目すぎるレフリーには「糞レフリー」だと言う。そして、求めるプレーを出来なかったオレの東京の選手達にはブーイングをする。
何もおかしい話ではないと思うけどね。現地・フクダ電子アリーナでもそうだったし、ここでもそう。その点に、自分は一切の間違いは無いと確信している。
しかし、それを言えば言うほど空虚になってしまう。そんな場合もある。全てに文句を言ってしまう事が、逆に自分を不健康にしてしまう感覚。
だから、この試合の大部分に大きな不満を感じたことをまず表明する。その上で、どの不満を捨てて形になるのか?とりあえず書き始めてみよう。さて、どうなる?
全てに文句を言うクレーマーだと思われたらかなわんのだけど(こんな書き出しをしといて言うセリフじゃない)、千葉の攻撃部分に関してはいい印象を持った。
あの「人が湧き出てくる」様な攻撃。同サイドに人数をかけながらも、逆サイドも含めて人数のかけ方に過不足を感じない(ミラー時代はそれがあった。最終局面に誰もいないだとか、逆サイドに振った後のフォローの掛かりが悪いだとか)。一様に「出足が早い」ってのは、もちろんモチベーション要素は大きいながらも、そこには確かに訓練された跡は見えた。DFライン含めてスタメンがかなり変わっているのを観ても、そのための変更だって事が見て取れる。その結果披露された江尻サッカー、その思考ってのは随分とウチに近いものがあると感じた。また、いい意味で「あの時代」を取り戻さんとする姿勢も。
ただ、そこはまだ時期もかかっていない代物。そもそも千葉の立場として、今その瞬間に「時期をかける代物」に手を出していいのか?という議論もありながら。
前半を観ながらまず最初に千葉に対して思ったのは、DFラインの脆さ。
福元・斎藤の2CBに、まずぶっ壊し起点を一発仕掛けて、その後。要するに例えば、平山にDFライン上で斎藤と空中戦を競らせると、そこで一回バトルが起きて、フリックで勝つなり跳ね返されるなり、もしくはおあいこで潰れたり。その後。こぼれをカバーする意識なのか、もしくは簡単にぺしゃんこにさせ過ぎていると言うのか。一回ボカンとバトらせた後の千葉の脆さってのは、突けると見えた。
さらに言えば、そういった表面上の強さだけじゃない、セカンドに対する守備だとかケア意識だとかへの低さってのは低迷するチームの特徴の一つだとも言える。そこの脆さに、「降格」という結果に終わった千葉の実際があったと考える。
確認にさっき試合のビデオを見直してみると、東京の得点もそこを突いたものだったと言えるのでは?当たりに行った後、持ち場離れた場所をどう意識するか?ってのが無いのが千葉の守備だと思う。
そして、DFラインでのパス回し。東京の追い込みに簡単にハマっちゃう様は昔の東京を観ている様だった。あの手のサッカーを試みる際にまずぶち当る、最早「あるある」みたいな問題。東京のプレスもそれほど良かったとは思えないけど、単純な人数合わせを剥がす術を、オン時もオフ時も、まだ千葉は持ち合わせていない。追い込むためのプレスなのにそのままボールをかっさらってしまえた平山が恐ろしすぎる、って点もあったし、千葉の稚拙さもあって、そのポイントでのボール奪取ってのは千葉にとっては致命的だし、東京にはチャンスだった。
何でか全く分からないけど平山が退場して、千葉はその点で随分助かった。10人1トップ、その船頭が近藤祐介ともなれば、そしてそれをカバー出来るほどのナチュラル連動守備が東京には無かったから、千葉は楽だったと思う。久しぶりの勝利に向けて。なのに、耐えてギリギリを狙うのではなくて、トドメの3点目を狙う展開に出来たのだから。千葉は攻撃を続けられた事で結果、相手の圧力を受ける展開にさせなかった。
後ろから前へ、行けさえすれば、機動的な選手もいればガタイとテクを備えたFWも(たまたまではあるが)待ち構えていた。何より中盤には「オレの中後(勝手に「日本のキャリック」と名付けてるほどに好き)」が控えている。最初に「良い」と思った、人数のかけ方を活かす出足攻撃が活きる。
それをポゼッションでも、メンタルでも、耐える事は今の東京には出来ない。
カップウィナー後は一気に成績が落ちた東京。それはカップウィナーを取った事への満足感とかでなくて、完全に無理して掴んだ事の反動。心も体も疲れ切った東京、不足を補うのに期待されたメンタル部分がむしろ足を引っ張る。
前半は羽生が、後半はヨネが。しかし随分とボランチはまずかった。羽生はミドルパスのココロも精度も備わった選手だと思うが、それを中央では見せられない。大きく動いた後のパスに冴えがあるのか、中央からの視野に慣れないのか。オンボール時に相手を剥がすタイプでもないし、リスクを取るスタイルで無いから中央をぶった切るパスを出す度胸が無い。サイドから斜めに蹴らせる事で活きる選手なのだと思った。人の不足はあるけれど、無理させてでもSHで起用した方が羽生は活きると確信した。そしてヨネは問題外。あのポジションであのミス多発は致命的だと思う。
草民が良さを見せる事が出来なくなってきた後半戦。彼がぶつかるその壁は「2年目のジンクス」に近い壁だなぁとはちょっと前から思っていた。初物感である程度通用していた時期との振り幅を観るとどうにも。それは高卒とは思えない出場機会を得たからこそ、早く来た壁だとも思われるけど、その壁が厄介であることには変わりない。
この試合のヨネのミスの仕方にも、それに近いニュアンスを感じた。梶山がいないからこそのあの出来だった事は間違いないのだが、彼には確かに責任感が備わり、故にそのチャレンジが「無茶」寄りのスタンスになる。とうとう、始まったか…と心配に。
そして何より、今もなお「二年目の壁」に苦しむ大竹洋平… これについては後述。
この試合への見方というか流れとして、自分は草津戦でのあのサッカーがキーにあったと考える。草津戦はTV視聴での観戦だった事もあって、ちゃっちゃと感想も済ませてしまったが、あそこでのサッカーってのは今の東京の状況を思うと何気に重要なパターンだった気がする。
草津戦で自分はこう書いていたらしい。
ドが付く位にシンプルに裏を狙う前半の東京。
それがどう要因があってそうなったのか?ってのはいろんなルートが考えられるけれど、ただ結果としてユースケには良かったと思う。彼には彼に合ったチームの形を必要とし、それは城福監督の思うモノとはズレがある、さらにそのズレを今のところ両者が歩み寄りを見せる気配が無い中で、メンバー構成によって自然と「ユースケ寄り」になったところは面白い。
本来の流れ(城福イズムが全て乗っかったmoving football)の延長上としては、例えばSBのビルドアップ能力が低かった(蹴ってしまうか、それでも繋げれるか)だとか、梶山不在がボランチ経由の攻撃手法や、中央ぶった切るクサビパスの質と量など、不足を感じる内容だったのは間違いない。けどその不足が、シンプルに前へ、しかも裏へボールを落とす手法を取らざるを得なくなった事が、しかしそれがユースケ向きの形に自然と向いたということ。
ユースケへのもどかしさ、ってのはつまるところ「城福サッカーにユースケが合わない」という事に他ならない。それを解消するためには監督が歩み寄るかユースケが歩み寄るかの二択になるけど、その両方が実現しないままここまで来てしまった。けど、それが偶然が重なってユースケ向きのサッカーが出来ていたのが草津戦だったと自分は思っていた。
この自分の感覚。これが前提。
そしてこれを自分は勝手に「草津モード」と名付けた。何と勝手なんだか。そしてこの名づけの元ネタが「川崎モード」からだ、っていうどうでもいい極少数向けへのアピールも無駄に付け足して。
この試合で面白かったのは後半8分での赤嶺→近藤への交代だったと思う。
プラン立てての決められた交代には抜群の威力を発揮するものの、アドリブ的な交代・勝負師的な交代が出来ないと自分は判断している城福監督の采配だけれども、後半8分での交代ってのはかなり早いタイミングでの交代だったと思う。浦和戦でもあんなにも遅かったのに…
(浦和戦で感じた城福監督采配への疑問ってのは、「浦和に退場者が出たその瞬間が長友交代のベストだったのではないか?」という意見でした。スイッチを入れるベストのタイミングをみすみす逃し、スタメンへの未練を引きずったあの数分間で、すでにチャンスは逃げてしまったと。そういう事でした)
そんな城福監督が、スタメンへの未練をこの試合では随分と早くに見限った。そしてその交代策がユースケ投入だった。
ここからがいよいよ今回の自分の妄想だが、城福監督は前半の出来を判断のメインとして、早い段階で城福スタイルのパスサッカーを諦めて、劣勢を挽回するための手段としてユースケ投入による「草津モード」への変更を試みたのではないか?
確かに両ボランチの出来は悪かった。決定的に、前へ運べない。見えてないし、度胸もない。それが技術をぶれさせ、判断を鈍らせ、容易なパスカットを相手にさせ過ぎた。出来の悪いボランチへの依存が強いままのサッカーよりも、ガラッとスタイルを変えてのサッカーの方が勝ちを拾えるのではないか?という城福監督の計算。
しかしその意識は選手には伝わらずに、そのまま「城福スタイルの中で合わないユースケ」に戻り、平山も退場してしまい、バラバラのままに千葉に簡単に勝ち点3を与えてしまったと。
何故こうなってしまったのか?
答えは簡単。草津モードは偶然の産物だったから。草津モードの定義付けの時に説明したように、所詮草津モードは偶然生まれたものに過ぎないから。
いつものサッカーが出来ない、そのもがき、苦しみの失敗作が実は違うモードの誕生のきっかけになってしまっていた可能性もあった。少なくともカップウィナー後に東京が勝ったのはこの試合だけ。成功体験として残っていた城福監督にその可能性が過ぎったのではないか?
しかしそう思う人間は所詮、限りなく少数だと思うから。その意識が選手に徹底してなければ、それを監督が「このモードもあるぞ」と言っておかなければ、その再現は難しい。そういう事だったんだ思う。
結果ユースケ投入がピッチ内をバラバラにしてしまい、こうも無様に負ける事になってしまった。
しかし次戦、梶山どころか平山まで抜ける事が決まった事で、神戸戦では本格「草津モード」が求められる事態になったと思う。
報道では長友が戻ってくるとのこと。バックラインがフルメンバーに戻る事でビルドアップ力は上がるだろうし、それだけでもしかしたらサッカーがガラッと変わる可能性も確かにある。けど、自分はそれでは無理だろうと思っている。素直に草津モードに向けた造りをしていくと思うし、していくべきだとも。
そこで神戸戦、草津モードのキーとなる選手として自分は大竹洋平を考える。
千葉戦の大竹は変わらず酷かった。ボールを受けて、トラップで付けるボールの位置がどんだけ悪いんだと。今日びボール受けてから前を向くのに3手もかけるなよと。求める1動作にかかる手数が多すぎるのが大竹の欠点であるが、それが不調ならではの「迷い」と重なって、まぁ酷い出来。FKをユースケに譲っちゃう位に、今は彼自身に自信が備わってないんだと思う。それは観ていてよく分かる。
自分が言い続けている大竹と草民の差は「動いてから受ける事が出来るかどうか」の部分。パス&ゴーを最前提として、そのもう一つ先の大きく動いてから受ける意識ってのが、草民にあって大竹に無い部分。あれだけ酷いと言われながらも、草民がベンチに入り、大竹がそれすら食い込めないのには訳がある。それが治っていない事も千葉戦では証明された。結果神戸戦では草民が先発だって予想も出た。案の定、だと。
けどもちろん、彼の才能は疑う余地のないものであり。復活してもらわなければ困るわけで。むしろお前のせいで今シーズン困ったんだぞ!と言ってやりたいね。
そんな彼にとって、しかし草津モードはチャンスだと思う。
彼のパスは「止まる」。適度に転がった後、抜群のタイミングで止まる。そういうパスを蹴れる。それは彼の大きな長所の一つだと思う。
それが草津モードでは活きる。相手DFの裏にピタリとボールを置く。大竹のストロークショットが冴えた時、ユースケは競りあう宮本を吹き飛ばしてそのボールを受け、豪快にシュートを打ち込む事が出来ると妄想するから。走りあいのボールを蹴れる、ポイントに置けるタイプ、つまり「草津モード」にキッカーとして適しているのは、東京では北斗と徳永、そして大竹だと思う。
草民の先発起用となれば、それはある程度城福スタイルの延長上を求める所作だと思うし、そこにこだわる事も必要。しかし、千葉戦では泣いてサポーターに挨拶したユースケにとっては(いろんな意味で)大勝負となる神戸戦において、セットで、そろそろ大竹が復活してもらわなければいい加減怒るぞ!って程の衝動に駆りたてた、大竹洋平のダメさだし、立場でもあると思う。
さて神戸戦。
毎回ホーム最終戦に「dia obrigado」とは素晴らしいネーミングをつけたものだと嬉しくなる。しかし今年は…
せっかくカップウィナーになったのに。その頑張りは全てが認めるところなのに。その後の体たらくは目を覆うばかりである。消費され尽くした苦しさは理解できる。我々が一番理解してるよ。しかし、そこから始まった負のスパイラル。結果が、内容が、胸張ってカップウィナーを誇れる状態になっているのか?
カップウィナーの誇りを取り戻して。カップウィナーの名誉に溺れずに。
ナビスコ優勝記念マフラーを試合後に堂々と振り回し、「女よりも仕事よりも東京!」と言える試合を望みたい。
って、千葉戦についてのまとめが出来てなかったなぁ。えーフクアリで千葉と戦って、より千葉が嫌いになりました。存分に浮かれまくって、困ればいいんだと思いました。そして岡田にはデンプシーロールをぶちかましてやりたいです。
以上。今日はいつになく構成めちゃくちゃのまとめ下手全開でございました。