まだまだ尖がらにゃならんのよ -鹿島戦 -大分戦

夏の終わりを自覚した鹿島戦。
実力差をそのまま内容差に落とし込められると、それをあぁだこうだとイジッて書いて楽しんでいる輩にとっては非常に困る。切って盛ってでそのままお造りでお出しするのが最善だろうからね。もうそのまんま。
1失点目は立ち上がり直後から怪しかった連携の拙さを突かれてのもの。もはや北斗のイメージは「守備の出来ない、攻撃センスで勝負する選手」だと思ってるので、攻撃では内田篤人的なチョン蹴りパスのセンスに惜しさを見せながらも、方や守備では失点シーンに代表されるようにケア意識の甘さが「だろう守備」となり、結局脆く突破されてしまっていた。
2失点目も、長友がこれまた久しぶりの「だろう守備」。あそこは今野が前に大きく出たところで内に絞らなければならなかった。野球で言うところの守備時のカバーが、エラーった時の球拾い要員としての動きが皆無で、怠慢極まりないプレーだった。
ともにケアレスミスに近い失点だが、例えば長友の野球のくだりで考えればこれはただただチームとしてなってない部分でしかなくて、ちょっと何やってんのか甚だ許されない代物だった。
そこで一気にやる気をなくしたところで、さて攻撃ともなると前回で思った自分の見方である「足りない役割」の部分で、今回も厳しさを感じずにはいられない出来に。特に裏への飛び出し、DFラインの駆け引きの観点で見た時のカボレは酷いを通り越して呆れた。平山が孤軍奮闘する中で、例えば「もしかしたらこぼれてくるかもしれない」みたいなifへの準備すら感じられなかった。終いには相手との1vs0すら外す始末。ちょっと許せない怠慢だった。

そう、どうも鹿島の敗戦はチームとしても覇気が無く、自分で価値を落としてしまった大一番に、そのせいで燃えるものがなかったのか?ってくらいの「自業自得の漆塗り状態」極まりない出来。こう書き始めてみると改めて、ひどい試合を見せられてたんだなぁとも思うし、潜在的にこの試合とは向き合いたくなかったんだろうな実際。


これほどの引きずりっぷりを、大一番の準決勝に向けて引き剥がす「結果」ただそれだけが欲しかったのが大分戦。ほぼJ2相手にそんな定義付けなのは淋しいけれど割り切ってやっていくしかない。

大分の守備は広島流5バック布陣。サイドは埋めるし、それ以上にゾーンキッチリで「オレ絶対釣り出されないかんな!」って覚悟に満ちた守備。そうなると相手を動かせない東京としては確かに苦しい。

ただそこは今までと違う東京。東京にはナオがいる。

ナオ自体の出来はさしたものではなかった。守備での丁寧な心配りはちょっと忘れていたし、さすがにあの絶好調時に比べれば感覚の冴えが多少鈍い。3手先にこぼれてくるボールを予見して動けていた、あの時期がただ普通に変だっただけなんだけど。ただ自分は前回、そういったナオの絶好調的な側面ではない、ナオが担っていた「役割」の問題としてナオ不在を痛感したわけだけど、その役割をさすがナオ本人はこなしてくれた。

羽生との飛び出しの種類がナオは違うってのがこの試合ではよく出ていた。羽生が逆サイド、ボール回しとは全く関係ないところから突如飛び出してくるのに対し、ナオは同サイドからの飛び出しに長ける。加えて身体的にナオは羽生よりも長いスプリントをこなし、回数を稼いでくれる。それがある限りは東京的には得点のチャンスたり得る。

またナオは飛び出しという裏回し的な役割と同時に、くさびパスみたいな、崩しの号砲自体も自分であげるタイプ。それは周囲としては「ナオの号砲についていけばいい」という分かりやすさがある。

タイムリミットぎりぎりながら掴んだ1点目は、まさにナオの号砲とスプリントが実ったパターン。あれだけの長い距離をボールに絡みながら走ってくれるんだから、暗中模索を切り開く形であるmoving footballにおいてはありがたい道標。そんなナオの「役割」の大きさが身にしみる。

大分は後半から完全4バックに形を変えてきた。5バックの出来は悪くなかったのを、そこで変えなければならない状況に、マイナスからのスタートの怖さを感じる。プラマイゼロのスタートだったら代える必要が無いわけで、そこにやはり博打の匂いを感じずにはいられないというか、継続して残留争いの中で唯一ゼロからのスタートである山形の優位は変わらないなと新たにした次第。


そんな大分に対して、このような位置づけをしてしまったのは紛れもない自らの責任。昨年の夏はmoving footballをする上においてスタミナの要素が夏のせいで足を引っ張ったが、今年は見るにそれとは違う中身だった。昨年とは違う「失速の夏」。その原因はこの夏の連敗の際に言い続けていたもの、ただそれしかったとも思うのだが。

だからこそ、煮え湯を飲まされた憎き「夏」をぶち破る真価は、もしかしたら「ファイナリスト」を賭けた戦い、清水戦にこそ秘められているのかもしれない。

暦の上でも、ここ最近の気温の下がり方からも、名実共に夏はもう終わったもんだと思ってた。決めつけてた。けど…
ヨネの打ち上げた打ち上げ花火は紛れもない、終われない「夏」への咆哮。そして、夏が終わっていないことを示した、花火の後のあのチャント。

反撃はこれからだ。オレ達はまだまだ尖がるぜ!