カミカゼ・システムと何が違うの? ×カタール戦

それが最初に思った第一印象。
あのコロンビア戦はいかにもカミカゼ・システムの象徴として稲本が全ての責任を負わされた感があるけど、個人的な意見とすれば「俊輔・遠藤・憲剛」がいる時点で、それだけで十分カミカゼだと思うし、実際のところ今回も前めのメンバーじゃ稲本→山岸に代わっただけで大して変わってない。あのコロンビア戦をカミカゼ・システムとしていわば批判めいた論調に流れを持っていこうとしていたはずなのに、結局オシムの理想がそのカミカゼなの?とか思ったり。試合後インタビューでの逆ギレぶりを見ても「本気でいけると思ってたの?」と驚いてしまったのが正直なトコロです。
この試合はそれに輪をかける要素として高原が非常に悪かった。高原が良いプレーを見せたときは、(そのプレーが実際に良いものかどうかはさておき)ボールを受けにそれこそハーフライン付近まで下がって受け、はたいてすぐ前へという『前後』の上下動が多く観れる。しかしそれが全くなかった。試合後インタビューでは「サイドに開かずに我慢した」という発言もあったが、言わせてもらえれば中央で受けるプレーも大して無かったし、裏を狙おうとする仕掛けフリーランニングもほとんど無かった。守備でも貢献しなかった。一点とって「しまったから」どんな賞賛を言われるかは分からないが、引き分けという結果がふさわしい内容になってしまった一因は確実に担っていると観る。
そんな高原の影響はあるかもしれないが、遠藤・俊輔のシュートへの積極性の無さも取り上げなければいけない問題。パスを出す相手がいないかもしれない。前に選択肢がないかもしれない。分かっているならばそれに見あった選択肢があるはずだ。自ら切り込むだとか、ダイレクトでそのままシュートするか。シュートに行くべきタイミングでいけなかった場面は多かったと思う。羽生の決定機を外した場面で羽生に対して批評は今後集まるとは思うが、それすらせずに横パスして、テロテロの緩いパスかっさらわれてチャンスを潰したプレーの方がもっと言われるべきではないか。
アジアのこういう場面になると「引いた相手をどう崩すか」みたいな言われ方をよくするが、この言葉「とりあえずみんなドン引きで人数かければ守れるじゃん」みたいな、相手にインテリジェンスを感じない戦術に対する言葉なニュアンスが個人的にはあります。そして今回のカタールに関してはこの言葉は全く持ってふさわしくない。綺麗に整った2ラインからのプレスの出し入れは非常に組織立ってて、自分からすれば三浦俊也監督のチームを思い起こさせすらした。それほどカタールの素晴らしさってのはありきで考えないといけない話でしょう。
カタールは素晴らしかった。だから「アジア相手に日本は何やってんだ情けない」みたいな論調は間違ってもしてはいけない。そしてその上で日本の狙いについて、オシムは本気でこの形で行こうと思っているのか?ってのは十分に考えて外野から野次を発して行かなければいけなそう。失点場面のFKを取ったラストパス、その一手前でのプレスの緩さはこれだってカミカゼ・システムと変わらないんじゃないのか?と。

しかし、オシムは本気でこれで行くつもりなの?