酒の勢いでさらにぶちまける、オシムに学ぶ東京の動きの意識への不満

そもそも東京を好きになった要因ってのが『人数をかけたセクシーなサイドアタック』でした。加地と石川による、02-03頃のスタイルです。単騎で威力のある石川に必ず突っかけてくる加地のオーバーラップという2人による暴力的なサイド攻撃に惚れて東京を好きになった経緯があります。自分ほどの思い入れが無くとも、そんなセクシーなサイド攻撃が好きでそれを求めるファンは未だに多いと個人的には信じています。
しかし、それを根底から覆す発言に出会ったのが先日読んだサッカー批評でした。その特集インタビューでオシムはこう語っています。
「ただ追い越していく、そして追い越す選手がボールを受けてセンタリングというのは単純なプレーです」
その発想が無かった自分には衝撃的でした。常識を覆す断言でした。オシムはそんなプレーを単純と言い切り、そのオーバーラップで相手の意識を寄せる事で空く逆サイドを有効的に使わなければならないと言うわけです。
自分としては、東京の様にサイドを複数攻め上がり数的優位さえ作れればサイドを制することが出来るという意識があったわけだけど、それは現代では固定概念になってしまっていること、その先のための進化を求められていることに気付かされ、今日実感したワケです。大げさじゃなくて。
サイドでボールを持つ。その選手を追い越して上がる。ただ、今の東京には「追い越せばいい」「そこにパス出せばいい」「それを受けてセンタリングすればいい」と安直に考え過ぎているサッカーに見えます。そしてその意識が思考停止を生み、終いにはその選手の足を止めている様に思えます。
時代が進んでいる。セクシーなサイド攻撃を単純だと言い切る監督がいる。例えそれが少数派でも、その事実を重く受け止め、東京らしいサイド攻撃の『その先』を真剣に考え目指さなければいけないと思います。