オシムにとってのサッカー、自分にとってのオシムのサッカー レビュー ×サウジアラビア戦

アジアカップに入ってから、結構露骨に日本代表の今のサッカーに嫌悪感があるのかな?と思っている自分に気付いた。
カミカゼ・スタイルと言ってのけた布陣・スタイルとほとんど変わらないじゃん!と驚かされたカタール戦。オレの中ではこのカミカゼ・スタイルなんてオシムのジョークだと信じて疑わなかったから、カタール戦のスタメンを見た時にはそれはもう驚いた。UAE戦も驚いた。ベトナム戦でも変わらなかった。山岸を入れれば、巻を入れればカミカゼ・システムじゃなくなる的に世間がすんなり受け止めたことには一番驚いた。自分にとって、遠藤・俊輔・憲剛が揃って出ているチームなんて信じられなかった。
けどそんな中でも、チームは何となしにポゼッションサッカーを確立してしまった。パスを回し、ギャップを突き、得点を奪っていた。けどそれだけ。遅攻しかできないチーム。例えば、「引いた相手を崩せない」と言うフレーズは今回のアジアカップでもよく見られたが、オレからすれば「相手を引かせてたのは自分自身じゃん」って思っていた。このチームは何故速攻が出来ないんだってテレビを見ながらずっとイライラしていた。
何故イライラしていたかがやっと分かった。自分にとってのオシムのサッカーって今の日本代表がやっているサッカーじゃなくて、ジェフでのサッカーなんだよね。ジェフの、あのスキあらば怒濤のように人数かけて攻める、東京サポとして苦しめられ続けてきたあのサッカー。Jリーグで対峙していた者として、見せつけられてきた者として、オシムが日本代表に就任した時に思ったワクワク感は「日本代表で千葉のサッカーが見れる」という期待だった。だから、あの時の千葉のようなスピーディでポンポンボールが回っていたあのサッカーが出来ていない、遅攻しかできない今のオシムサッカーは違う・認めたくないっていう気持ちにさせられる。
けど、自分がいくら勝手に思おうが、オシムにとってのサッカーってのは別で確固としてある。現在の「オシムにとってのサッカー」ってのは千葉時代のあのサッカーじゃないのだろう。千葉時代は選手が限定されてるからじゃあこのサッカー、千葉時代より自由に選べる日本代表じゃこの傾向があるからこのサッカー、って状況に応じて選択してっていうのも「オシムにとってのサッカー」なのかもしれないから。
それぞれの答えをそれぞれ見定める能力が無い、自分にとっての「サッカーの答え」が恐らく少ないからこんな拒絶を感じるんだとは思う。色々なサッカーの見方が出来なきゃダメだよな、とは自分に対して常に心がけている。しかし、そんな視野の狭い今の自分にとって、「自分にとってのオシムのサッカー」は千葉時代のサッカーだし、その千葉時代のサッカーが自分は好きだし、それが日本代表で見たい。だから今のオシムのサッカーは嫌いだし、つまんない。もっとザックリ言えば、アジアカップで見たサッカーはジーコの目指していたサッカーの延長上にしか思えなく、そんなサッカーをオシムに期待している訳じゃないのにと言いたくなってしまうのである。

もちろん、オシムが就任してまだ一年だしアジアカップを取るためにひとまずこのサッカーに落ち着かせた、という可能性もあるわけで。気候の問題だってあるでしょう。今回はアジアカップのための「たまたま」だったかもしれない。だからそれに期待して、オレは常に「オシムさんの理想のサッカーはコレですか?」と問い続けていきたい。