俺も今大会の結果に関係なく、直前で監督交代をしてこれまでの年月と方向性を破棄したのは異常だと思うし、今後やってはいけない事だと思う。繰り返すが今大会で優勝したとしても、大会直前で監督を交代するのはやってはいけないし、上層部の派閥争いにチームを巻き込む事も絶対やっちゃいけない。
— でろりん (@derorinkuma) June 26, 2018
100回言おう『W杯の結果は関係ありません。この時期に監督を変えた事だけで会長を辞するに値する』と。 https://t.co/fM08goSX3t
— MC タツ (@TATSU_MC) June 26, 2018
この手の主張が、コロンビア戦勝利をきっかけに大量に見かける様になったのは、恐らく己の偏ったTLのせいでしょう。そしてその偏ったTLの生成主である”偏見大好き”な自分なので、これらの意見を見るにつけ、
「そういう類のこと言う奴の80%は、コロンビア戦で負けてたらそれをバチボコ攻撃の材料にしようとしてた奴」
だろうなぁと勝手に決めつけてしまう。ピックアップしたこの人たちが80%側に属する人間なのか、はたまた20%側のマイノリティなのかは知ったこっちゃないけど。
ただ、なぜそう決めつけているのか?については理由がある。それは勝利という結果が出た後に「勝利」と主張するダサさに、本人が気づいていない様子が伺えるから。じゃなければ「100回言う」とかイキれないでしょ恥ずかしすぎて。バカが振りかざす正義感とか逆に迷惑すぎて、恥ずかしくて見てられなくないですか?
「結果」というものに対して、80%な方々が見誤った点が2つある。
1つは、ワールドカップで勝つこと、結果を残すことの、意味もしくは重要性・強さを舐めていたこと。自分もコロンビア戦の翌日に会社で、サッカー全く知らない人から「大迫半端ない」を聞かされた時にはW杯の伝搬性に4年ぶりに驚いてしまった。 そして世界でも、その勝利は称賛をもって一気に伝えられた。それらの人たちにとっては、経緯や内部事情なんて知るわけが無いし、むしろ知る必要もない。そして、そういう意見が世間をマジョリティとして支配するのも、言ってしまえば当たり前の事だろう。
そしてもう1つは、今回のJFAによる愚かな決断によってW杯コロンビア戦は惨敗するに決まってる!と「決めつけた」こと。今後起こることを、頭の中で良い方向に勝手に決めつけ、それに何の疑いも持たなかったこと。
それはつまり、サッカーという競技性を真に理解していなかったという話になるだろう。ラグビーのような、実力差と勝敗をひっくり返すのが極めて難しい競技に比べるまでもなく、サッカーはミスのスポーツであり、勝敗が極めて不確実なスポーツだ。日本人はその競技性を、みんな大好き「ジャイキリ」というワードで知っていたはずだ。コロンビアと日本の対戦を「FIFAランキングを日本サッカー界に置き換えたら”ガンバ大阪vsヴァンラーレ八戸”と同じ」だと聞けば、「あぁコレ確かにあり得るやん!あり得なくもないやん!」とは、多くの人が思うはずだった、本来であれば。それらを怠ったのは、決めつけに潜む「傲慢さ」故だろう。
本番であるコロンビア戦で、まさか前半3分で赤紙PKをゲットできるだなんて、もちろん誰もが思いもしない。まさにKAMIKAZEとしか言えない様な事態が、実際には起こってしまった。しかし、それがサッカーでもある。サッカーが好きな人ほど知っていたはずだ、本来であれば。
この2点を謙虚に掴めてさえいれば、普通の考えでは「W杯の結果」を判断材料として使おうとは思わないはずだ。だって勝つかもしれないし、勝った時に世間で起こってしまう事も予期できたのだから。そもそも加える必要は無かったし、加えるべきではなかった。
なのに、世間は徐々にW杯での結果を判断材料として求め始めた。コロンビア戦は惨敗するに決まっていると決めつけ、それが世界中に伝播する事を求めた。
逆に現場の当人からすれば、”W杯での結果”が材料として取り扱われそうな世間の流れにシメシメと思ったはずだ。本来はノーチャンでアウトだったのに、世間が稚拙で遅いが故にワンチャン転がり込んできそうだと。それはクーデターまがいに本件をアシストした選手たちとて同様だ。
似合ってないし、やるならチームが勝ってる時にしたいし、薄毛気になってたけど。。苦笑
— Yuto Nagatomo | 長友佑都 (@YutoNagatomo5) June 11, 2018
ブラジルW杯から4年間どんな思いで過ごしてきたか。
全ては結果。諦めんよ。
事の実際はJFAという組織のガバナンスの問題だったのに。 W杯の結果なんて関係なかったのに。
むしろ世間が材料として求めたのはW杯での結果だけではない。 西野監督就任記者会見でのたどたどしい姿に求め。ハリルホジッチ前監督が構想していた”であろうと思われる考え”を外部の素人に意見を求め。メンバー選考30人の中身に求め。ガーナ戦に求め。最終メンバー23人に求め。スイス戦に求め。パラグアイ戦に求め。そして、コロンビア戦に求め。
こうして人は、貪欲に、何となくネガティブになりそうな材料を求め続けた。それが事の決断を、余計に後回しにしてきた事に気づかずに。当事者に余計なワンチャンを与えてきた事にも気づかずに。
田嶋幸三の愚行に、W杯での結果が関係ないのは分かった。そんなの知ってる。じゃあなぜ結果が出る前に、田嶋の首を仕留めようとしなかったの?結果って材料は関係なかったんだから出来ましたよね?
必死にかき集めてきたネガティブっぽい材料たちは本当に、全てが田嶋の首を仕留めるために必要な材料だったのですか?そもそもガバナンスの問題をボヤケさせる、論として矛盾を足してしまう、余計な材料だったのではないのですか?
つまりそこには「W杯での結果は直接的には関係ないけど、W杯での悪い結果を材料として強く欲した」想いが透けて見えてくる。
コロンビア戦での惨敗が、単勝2倍のガチガチな鉄板馬券だったのは確かに分かる。けど、そのギャンブルに全額突っ込んで大惨敗した現実を思い知らねばならない。全ての理屈を”コロンビア戦での結果”に着地しようとして大失敗した負債を支払わなければならないのは、はずれ馬券を握りしめた80%だ。そんな人らが、結果が明らかになった後に口にする、
協会の不合理な、理不尽な人治による運営のために、どれだけ日本代表とその周辺の環境が歪められ、発展が阻害されてきたか、ということ全体の問題なので、この大会の結果だけで左右されるような話に矮小化してはいけない(続く
— ケット・シー (@kettosee) June 25, 2018
その、何と虚しいことか。
2018ロシアW杯。GLを1勝1分、勝ち点4。
明日のポーランド戦がどうなろうとも、それによってGL突破が叶おうとも叶わずとも、JFAとしてはノルマは十分に達成したと言っていいだろう。こうして、田嶋幸三は今回の件について、まんまと逃げ切りに成功してしまったわけである。
あぁ、あんなにも適当かましていた無能の極み、田嶋幸三が当分はJFA会長として居座ってしまう事が確定してしまったよ。FIFA理事選に、散々根回ししたのに落選した田嶋が。JFA会長選出過程のクローズドさをFIFAに刺されて渋々会長選挙を行ったのに、当選後の原博実・霜田正浩への懲罰人事で再度FIFAに刺された田嶋が。それに嫌気をさして岡田武史に逃げられた田嶋が。
どうしてくれるんだよ、80%よ。ホントに分かってる?分かってないでしょ?
あなた方がやるべき事は、「結果関係ない~結果関係ない~」って100回言うことじゃなくて、まずは「結果が出た後にそれを言うことの恥ずかしさを知ること」であり「サッカーという競技を見誤らずに、驕らずに、結果が出る前に仕留めるべきだったという後悔」だよ。
そうやって、胸に手を当てて考えたことありますか?
JFAに田嶋が居座ることで、今後も何かしらめんどくせえ事は起こり続けるだろう。直近で言えば、西野監督続投が早くも紙面を賑わしているし、いずれまた性懲りも無く「秋春制」もぶり返してくるだろう。そんな目に見える未来の災厄に対して、果たして次回こそは本当に、組織に対して適切なメスが振るわれるのだろうか。
もちろん世間の80%がこのままであれば、振るわれることは当然無いだろう。 引き続きWebの世界には「仕留められるかは別にどうでもいいけど、程よく自分は気持ちよくなれる程度の数百・数千のいいね」を狙ったポジショナルご意見が溢れ。しかし実際には本郷三丁目には一切の風は吹かず。
そういった全部をひっくるめて、日本サッカーのガバナンスの問題と呼ばれるべきなのかもしれない。
…といったところでお時間となりました。それでは最後にこのナンバーをお聞き頂きながらお別れとなります。RHYMESTERで「余計なお世話だバカヤロウ」。
ありがとうございました~。