残り3試合でも分からない、「優勝争い」って何だろう?

2019年J1リーグ第31節、ジュビロ磐田との試合を観戦しにヤマハスタジアムへ行った。

シーズンも終盤に差し掛かり、殆どのクラブはそれぞれの立場を受けて逼迫した状況にある。磐田はJ1残留のために、我々はリーグ優勝のために。お互い是が非でも勝たねばならない試合。自ずと、バチバチとした好ゲームとなる。

特に磐田は、下位クラブとは思えないくらいに出来が良かった。名波浩鈴木秀人と監督人事が迷走した末に、現在その任に就いたフベロ監督。彼の監督能力が特別に良いかどうかは分からないが、少なくとも”普通”ではあった。シンプルな4-4-2で相手にプレッシング。編成上の強みであるルキアンとアダイウトンを、そのまま2トップに配置。前節のダービーでゴールを決めたラッキーボーイ藤川虎太朗も、not his dayと思えば早々に交代させる決断の早さ。

特に奇を衒うこともなく、至って普通。少し前に見かけた宮崎智彦DMFとか、あれ何だったんだ?しかしこの”普通”である事が何より難しいのだろう。恐らく当時は怪我などで選手繰りも厳しかったろうし、状況を打開するための変化も打ち手として必要だったのだろう。知らないけど。

結局、普通が一番強い。ヴィッセル神戸もそう。奇を衒ってきたリージョの後任にやってきたフィンクだって、無理なスタメン選択もせずにシンプルな4-4-2で立て直した。普通に並べて普通の事をさせれば、選手の金銭的価値はリーグ内でも図抜けているんだからそりゃ普通に強い。奇を衒う必要なんて全く無い。

ただ、その”普通”から勝ち点3を獲らなければならないのは、対戦相手としては非常に厄介。是非FC東京相手には、全チームが積極的に奇を衒った志向で挑んできて欲しい位だ。結果として、東京はこの「しっかり普通な磐田」に苦戦。PKでの1ゴールを守り切って、何とか勝ち点3を掴んだ。

スタンドから応援する我々からすれば、この展開はたまったもんじゃない。相手のロングボール一本に胃がキリキリして仕方がない。あぁ、これが優勝争いか。こんなにも息苦しく感じるものなのか。やはり物事、ゼロイチを成す時が一番、辛くてしんどい。

 

ふと、昨年の夏前頃のFC東京を思い出した。

思えばあの時も優勝争いと呼ばれていた。2018年のJ1リーグ。スタートダッシュで首位に付け、これぞ優勝争いや!と味わっていたら夏場にあっさり失速し、優勝争いから転落してシーズン終了。

今この状況から当時を振り返ってみると、あの時の優勝争いがとても遠くに感じる。つか、あれのどこが優勝争いだったんだと恥ずかしくなってくる。

選手たちはあの程度の優勝争いで、よく胸を張って「あれを経験したんだから2019年は大丈夫!はい優勝するぞー」と呑気に言えたものだと呆れ返る。あれのどこが優勝争いだよ、今から思えば全然違うじゃねーかよ!

とは言え、いま自分が味わっているこの優勝争いだって、所詮は残り3試合時点での優勝争いに過ぎない。今週末の湘南戦を終えて残り2試合になった時には、リーグ優勝に近づいているかもしれないし、逆に遠のいているかもしれない。今の状況からよりディープな、よりプチゲロ含みかねないシチュエーションに居るのかもしれない。来週になって「残り3試合の自分」を振り返った時には、もしかしたら「昨夏の優勝争い」くらいの”遠さ”を感じてしまうのかもしれない。

そう考えると、いま味わっていると思い込んでいる優勝争いは、所詮まだ優勝争いではないのだろう。湘南戦も浦和戦も終え、再来週の残り1試合しか無い状況で、現実的な可能性として優勝の芽がある立場になって味わえるものこそが、本当の意味での優勝争いなのだろう。

って、え?今ってまだ優勝争いじゃないの?今ですら胃がこんなにもシンドいのに!

 

鹿島アントラーズ横浜Fマリノス。そしてFC東京

その中で、リーグ優勝経験が無いクラブはFC東京のみ。(残り3試合の)優勝争いすら今回が初めてだ。こうして味わってみると、あぁ確かに、こんな経験を選手スタッフが、サポーターが何度も繰り返していれば、そりゃあクラブは強くなるわと痛感する。考え方、心構えに差が出てくるのも仕方がない。

自分の見た範囲の話を言えば。

前節第31節の結果によって、順位表が大きく変わった。首位に居た鹿島が3位に後退し、マリノスは勝ち点3を積み重ね2位に、そしてFC東京が首位の座についた。

この時の反応に、経験値の違いを感じた。FC東京からは「過剰な安堵」を。そして鹿島やマリノスからは「最後に首位に立てればいい」という達観を。

この”過剰な”という部分がポイントだ。首位に立ったのだから嬉しいのは当然だし、安堵もするに決まっている。しかしどことなく感じる過剰さ。自分の心に向き合ってみると、そこから透けて見えたのは「今その状況に既に居なければ、不安で仕方がない」という感情だ。

言ってしまえば、最後に首位でいられるかどうか?が肝要なのは、いま2位のマリノスでも3位の鹿島でも、そして首位の東京でも何ら変わりが無い。最終節にマリノスとの直接対決が控えている以上、過程における順位の上下動は最早さほど意味を持たない。今の順位が最後の結果を保証するものでも決して無い。

FC東京の周辺はこれまでも「過剰に喜び」「過剰に悲観」してきた。

ここに至るまでの紆余曲折。強きに勝つこともあれば、弱きに負けることもあった。方や鳥栖戦での誤審にはあっさり身を引く謎の潔さもあった(話は逸れるが、あの件については後に結果がひっくり返らない事は分かっていようと、優勝を目指すチームとして示すべき”ポーズ”があったのではと思っている。試合中も試合後も、選手もクラブもサポーターも。)。このタイミングで一部から聞こえてきた「浦和戦で、味スタで優勝を決めたい」といった非現実的な甘いifも、そういった過剰さのひとつだろう。

その中においても、揺るぎなくドシンと構えていたのは、我らが監督の長谷川健太である。優勝経験のある監督として、チームの過剰な右往左往を鎮める佇まいから、優勝争いとは何なのか?当事者はどうあるべきか?の、心構えを身を持って示してきた。それこそ”優勝経験の無いキャプテン”東慶悟は、その振る舞いから多くのことを”初めて学んでいる”様子が、様々なインタビュー記事からも伺えた。

 

こうして、残り3試合という今の段階ですら思うのは「経験」という肩書きの意味と、その重さ、尊敬の念だ。

もちろんそれは「優勝経験」に限らない。例えば昇格経験で考えてみても、今年のJ3小林伸二石崎信弘が昇格圏内にまでチームを引き上げているし、J2ではネルシーニョが昇格を既に決めている。経験が持つ価値が存分に発揮されているのが、今年のJリーグの特徴なのかもしれない。

経験の価値をうっすらとながら知った今だからこそ、今のこの状況、この経験を血肉にし尽くさなければもったいないと強く思う。

今の時点でも、確かに優勝争いは既にシンドい。自身に喰らい過ぎないための回避ポーズはいくらでも取れる。けどそれは、優勝争いすらしたことがない我々が取るべき振る舞いでは無いはずだ。

いま考え、いま理解しようと試み、それをいま活かす。

もちろん、この先は知りゃあしない未体験ゾーン。机上の空論が何の役に立つのかも分からない。けどだからといって、機を逸してから、今年の優勝を逃してから反省していては遅すぎる。僕たちには時間がない。選手生命の短い青赤戦士たちは尚更だ。

「強い弱いは執念の差」

以前、ユース応援企画2015の際に、FC東京U-18の選手たちに贈った言葉。自分も好きなこの言葉が、今のこの、キワの状況になって思い浮かぶ。なるほど確かにこのシチュエーション、執念が備わってなきゃ、受け止めきれないし乗り越えられない。

優勝したい。優勝する。

今こそ真正面から、執念を見せるその時ではないだろうか。だからそのためにも、このシンドさに真正面を向いて、全てを受け止め味わい尽くす。これを書きながら決意を新たにした次第である。