端的に言えば、楽しかった。FC東京U-23。やはり新しいチャレンジはしてみるものだなと思うばかりである。
U-23チームのJ3参戦。その激動の1年目が終え、結論として「成功だった」という感覚値は、世間・各クラブ・サポーター共通の認識だと思われる。もちろん、自分もそうだ。
だがその結論に至るまでには、数々の問題が起き、失敗もし、それらは現在においてもまだマイナス要因そのままに残っているものもあるかもしれない。
しかし、世間が華やかな成果ばかりに目を向け続けていくことで、何時の日かそれらが消え去ってしまうかもしれない。そんな不安がよぎった。それでは困る。
起こってしまった問題や失敗は、それらもまた等しく「財産」。1年目だからこそ、U-23創設のチャレンジを行ったからこそ得られた、日本で3クラブしか手にしていない宝物なはずだ。
だから振り返る。そしてWebに残しておく。こういったアーカイブ化は時が経つほどに効いてくる(はずだと信じて…)
FC東京U-23の2016年を、時系列でざっと振り返る。
- 3月:J3開幕。諸々の革命が起きる。開幕戦はボロ負け、観る者が嗚咽するくらいの酷い出来。
- 4月:おいちゃんダブルヘッダー事件。第6節A鳥取戦で念願の初勝利!インスポーズ爆誕。
- 5月:ムリキ志願のU-23出場。OA積極参加の先鞭に(その後めっちゃ使い倒される)
- 6月:翔哉・室屋のリオ五輪組がU-23で脚光。メディア露出が増え始める。
- 7月:城福解任により、U-23監督が安間さん→ミニラに。
- 8月:U-18がクラ選優勝!世間にU-23効果として謳われ、世間のテノヒラクルーが始まる
- 9月:U-23として初の味スタ開催+ナオ復帰戦を水沼ゴールで劇的勝利!
- 10月:2勝2分と初の月間負けなし。富山県でのはじめしゃちょー人気がバカいかちい
- 11月:平川怜に続いて久保建英がJ3初登場、最高動員を記録。最終順位でセレッソを逆転。
- 12月:U-18最終節に多くのU-23ファンが来てくれて小平大盛況。その裏でU-23が嫌だった選手たちが続々と退団
良い事も悪い事もたくさん並ぶ、このバラエティ豊かな年表を見るだけでもU-23が「面白かった」事が十分に感じられるだろう。
もちろん、単にサポが外野的に面白かっただけではない。クラブとしても得られるものは非常に大きかった。
その最たるものは言うまでもなく「実戦でのプレー機会」。
J3という「プロの有料試合」で、昇格を目指す百戦錬磨の「プロの選手たち」を相手にし、周囲を「敵意むき出しでかかるサポーター」が囲う環境の中で得られた、11人×90分×30節=29,700分。それは他クラブで復活したサテライト戦とは質量共に雲泥の差だった(サテライト戦はクラブ都合で簡単に中止になったり、選手のモチベーションを高めようが無くて効果が期待できない等と、そもそもまともに機能しなかったと聞く)
みんな大好き!SOCCER-DBより引用した出場記録を生年順でソート
FC東京はもはや、要のポジションにおいては"育成"よりも"獲得"が求められるクラブ規模となってしまい、選手育成においては他クラブへのレンタル武者修行しか術が無かった。丸山祐市然り、橋本拳人然り、中島翔哉然り。近年で台頭した選手の殆どがレンタル帰りの選手となり、外部レンタル無く主力に位置している選手は、近年では小川諒也・室屋成くらいではなかろうか。
そこで、U-23という存在が活きてくる。ストライカーなり、司令塔なり、DFの要なりと、チームの軸となる選手をFC東京の中で育てられる環境がついに整った。かつ、サポはその過程を手元で見守る事も出来る。
例えばユ・インスがU-23に常時出場することによって、ストライカーとして”2,248分試され続けて”きた経験は、これまでのFC東京ではあり得なかった。「今後、インスが青赤の誇るストライカーとなれるのか?」サポにとって、この期待に代わるモノは無いはずだ。
他方で、問題も多くあった。その最たるものが「編成の失敗のしわ寄せが選手に向けられた事」である。例えばU-23の選手不足がために、U-18所属の生地慶充に、同日別会場で開催された公式戦にハシゴ出場するというダブルヘッダーを課した。
もちろん、それが選手たちに貴重な経験となっているのは事実だ。正しく得た出場時間であれば大歓迎だし、自分は元々U-23施策には全面的に賛成の立場である。
しかし、あくまでそれは「適度」であるべきだ。少なくとも、4月17日の様に「千葉で試合に出場⇒新木場に移動⇒夢の島で試合に出場」などは絶対に行ってはいけなかった。時間は経ち、移動のために身体も硬くなり、その後に上位カテゴリーの試合に出場。よく怪我をしないで済んだというレベルである。目的には100%賛同するが、そのための手段として、この様な度が過ぎた起用のされ方は決してされるべきではない。
少し前のFC東京魂において、渡辺一平が「彼らは若いんだから何も問題ないよ!強豪校ならどこもやってること」と何度も口にしていたが、冗談じゃないふざけんなと言いたい。彼がイメージしているのは所詮、選手が試合中に大量に入れ替わる様な練習試合や、オフシーズンに合同でTMを開催するフェスティバルなどでの連戦に思われるが、今回は「U-18年代最高峰リーグ」と「第1種プロリーグのDiv.3」の同日ダブルヘッダーであり、位置づけも強度も負荷も全くの別物だ。土日での連戦の場合でも、ただでさえクラ選や国体、冬の選手権においてその過酷なスケジュールが問題視されている状況でもある。
このU-23のJ3参戦というFC東京にとっての挑戦を支えて下さったユースの選手達の親御さんには感謝しかありません。直前まで試合のメンバーに入るか分からず、予定がたてられない中で、ユースの試合に、J3の試合に、来られたご家族の皆さんは、選手達にとって最強のサポーターだったと思います
— ふじやま (@exp_fujiyama) 2016年11月20日
夏場の体力の消耗が激しい時、ユースの試合会場で「ユースの試合とJ3の試合の間の食事は何がいいのか…試合前日に良いと言われてる食事か、試合後の疲労回復に効く食事か…食欲もあまりなくて。」そんな親御さんたちの声も聞こえてきました。
— ふじやま (@exp_fujiyama) 2016年11月20日
そんな数々の前例のない日々を積み重ねてきてくれた経験によって、今年途中から2種登録された選手達にがのびのびと自分のプレーを表現しているように、これからのたくさんの未来の青赤戦士が、そしてその家族の方々も安心して上へチャレンジできるようになったと思います。
— ふじやま (@exp_fujiyama) 2016年11月20日
渡辺一平の無責任な言動よりも、こういった親御さん方の切実な悩みにこそ意識を向けたい。親御さんのサポート無しにU-23は成立しなかったし、改めてこういった過剰な負荷は決して良しとはしたくない。
そして編成の失敗の影響は、オーバーエイジにも及ぶ。
吉本一謙・ムリキをきっかけに、水沼宏太・林容平などがU-23で正しく振舞ってくれた事には感謝しか無い。試合後にサポーターの元へ挨拶に行く際にも、先頭を引っ張るのは圍謙太朗や水沼ばかりで、方や後ろでダラダラと歩いてしまうU-23勢が先輩に怒られる姿は、多くの観客が何度も見かけた光景だ。先輩たちが、無形のU-23を「チーム」として形づくり、ビシッと背骨を通してくれた事は全てのサポが知っている。
ただそんなOAの選手たちとしても、まさかクラブからここまでU-23へのコミットを求められるとは思っていなかったのではないか。自身のコンディション調整のために、もしくはU-23の惨状に一肌脱ごうとある意味男気をみせて手を挙げてくれた彼らではあったが、クラブはそれ以上の出場を求めざるを得ない状況。林容平に至っては、人数合わせ・勝利優先のCMF起用といった”被害”も受けながら、結果としてU-23クラブでOA最多出場時間を記録してしまう。
U-23に多く貢献してくれたOA、圍、水沼、林は他クラブ移籍が決まった。U-23全クラブをみても、1,000分以上出場のOA7名(小椋祥平、内田達也、岡崎建哉、小谷祐喜、武田博行、圍謙太朗、林容平)は全て、16シーズン限りでクラブを退団する。サポが想像する以上に、選手にとって「トップではなくU-23に出場する」事は嫌だったということだろう。考えてみれば当たり前かもしれないが、それを改めて実感した格好となった。
(とは言え自分から見ての言い分としては、彼らの想いが叶わなかったのは単純に「選手自身の実力不足」もあったと思う。林にしろ水沼にしろ実力的には「J1に短し、J3に長し」だったし、圍に関しては秋元への信頼が揺らぎ絶好のチャンスであったH長野戦において、非常に不安定なパフォーマンスに終わってしまった。サポからすれば、彼らがU-23止まりである理由もまた、何となく察していたし納得感もあった。このU-23の場で彼らもまた”改善”し”成長”してくれる事で…しかしそれは叶わないままに、圍も水沼もクラブを去ってしまった。この手の問題は、一生相容れないものと割り切るしかないのかもしれない)
選手の出場時間を、U-18、U-23、OAで割合を出してみると上記となる。参考にJ3首位の大分、世界2位の鹿島も並べてみたが、若手年代への出場機会創出という意味ではその実績差は明らかだろう(ただ、所詮目的の違うトップチームとセカンドチームとの比較であること、特に鹿島に関してはそもそもJ1公式戦のみを抽出対象としたデータだったりと、色々と恣意的な比較ではある…)
U-23の3クラブ内で比較した際に、FC東京U-23がガンバ・セレッソに比べて、U-18・OA選手に多くの出場時間を割いていた事がよく分かる。実際、FC東京は組織変更でU-18の所管を変更する等、U-18選手を積極活用する意図が元々強かったのは間違いない。
しかし実際は前述2例の通り、本来あるべき以上の無理を、選手に強いた結果も含まれていたことを忘れてはいけない。改めて欲しいのは、編成の失敗を選手に、特に所詮アマチュアな高校生選手に「身体的に無理を強いる」という構図の気持ち悪さだ。
その気持ち悪さが改まった結果として、引き続きU-18に多くの出場機会が巡ってくるのであれば大歓迎だ。H秋田戦では、平岡翼とのスタメン争いの末に内田宅哉がスタメンを掴んだが、この様な健全な形がより増える事を願ってやまない。
失敗をしてしまう事は仕方ないし、過ぎた今となっては何事も無くて良かったとして次に改善出来れば構わない。逆にいえばこれを「良い失敗」と出来るかどうかは今後次第だ。
と、これだけ振り返った上で始まる、2017シーズンである。
U-23のJ3参戦とは、年間で得られる出場時間(=経験値)を、選手にどう振り分けるか?のサクセスモードとも捉えられる。
16シーズンからの改善も意識しつつ、さて今後どの様な意図でU-23を戦っていくか?出場機会の割り振りをU-23側に厚くするべきか、引き続きU-18に振るべきか。
FC東京の場合はU-18に多く配分された事がユース2冠へと繋がったが、方やU-23組がそれだけ経験値を得られていない事のマイナス面もあるはずだ。
確かな解は恐らく今後数年は見い出し難いだろうが…そうこう言ってる間もなく2017シーズンが、U-23の2年目がもうすぐ始まる。意図と改善が見える、2年目らしいチャレンジが見られる事を楽しみにしたい。
そんなFC東京U-23 2017シーズンプレビューは、いつか気が向いたときにでも。