浮気先の楽しい思い出を振り返りつつ、東京へ戻ってきました

この中断期間さまざまな場所へ浮気をしてきましたが、それぞれがそれぞれの場所で頑張っている姿を目の当たりにした時には非常に心にくるものがありました。そこで東京に意識を久しぶりに戻してみた時に
・・・まぁ止めておきましょう。一度書き出したら、罵詈雑言オンパレードになってしまったので一度消しました。
毎年同じ選択をし、同じ過ちをし、同じ定位置の成績しか残せていない中でまた同じ選択をした今季のオフの決断に対し、不満の意思を表明しておきます。

最近思うのは、「味スタ劇場」とも形容される味スタの観客についてです。様々なスタジアムや場面に行ってみた経験の中で、味スタに足を運ぶ観客というのはある種独特のモノがある気がします。抽象的な印象ですが、味スタの観客というのは「見たモノ感じたモノに対する反応がダイレクトに出やすい」気がします。しかもそれがゴール裏といった局地的な部分だけでの話ではなく「スタジアム全体に充満した」形で現れ易いような気がします。イケイケな雰囲気になれば観客もイケイケになるし、点を取られればみんな分かりやすく落ち込む。それがまた分かりやすく「スタジアムの空気」として表現されてしまう。この表現レベルは他の所ではありそうでない空気な気がします。
これは味スタに来る観客が「イイ試合を見に来ているんだ、見るために来たんだ」といった完全な「受け手体制」の意識が非常に強いという仮説を個人的には立てています。本来、観客というのは選手がいかなる感情の波が来ようとも、それには影響されず常に選手を鼓舞し、後押しすべき存在であると思うし、味スタの観客にもそれを求めたいんだけど。それはまぁ別の話とします。この話をし始めると、プロレス論が始まってしまう。
話が非常に脱線してきたので元に戻しますが、そこで今のスタジアムの空気がどんな感じなのか?という話になった時に、前回のナビスコQFの時の味スタはそれはもう酷いモノだったと思います。それに関連した話で、Fマリ戦について当ブログにコメントを寄せていただいた方に対し以下の内容を返信しました。部分抜粋、加筆修正して載せると、

『今の味スタには、まばらな拍手や中途半端で意志のないなブーイングがあふれ、そんな意思表示すら拒否する者もいるのが現状です。これは最近のサポーター意識の問題もさることながら、何より「同じもの」を観たのにそれを受けての観客の感情にばらつきがあるというのが問題な様な気がします。選手から発せられるべき意志があまりにも弱すぎる、そして伝わってないということです。
つまり選手のプレーに「説得力がない」。
選手はその事に早く気付いて、危機感を感じるべきです。
それが「プロ」だと思います。』

味スタを「劇場」と形容した時に、ピッチ上にいる選手達はその公演を演じる「役者」と位置づけられると思います。役者とされる選手が舞台から発するべきメッセージは勝利への執念であり、そしてまぁハッピーエンドかバッドエンドかで演目が終わり、しかしどういう結末があろうとも私たち観客は役者さん達に拍手を浴びせるわけです。何故ならばそのエンディングを観客が納得できる説得力を役者から感じたからです。
そう当てはめて考えた時に自分は、今の状況は上記のコメントの様に感じてしまうわけです。
結局不満を書き継ぐってしまいましたが、要するに公演の役者を盛り上げる事は観客の私たちにも出来る事です。それこそやっぱり「プロレス論」になるんですが。まぁ私たちは期待を持って、劇場へと向かうワクワク感を忘れずに、公演を盛り上げていきましょうよという感じです。