U-22 ×マレーシア戦

最近、無性に「決定力不足」という言葉が嫌いな自分がいる。
緊迫の公式戦、国際試合の中でどうしても出てくるのはここをこうすれば良かったという反省点。そしてそれが行きすぎて「たられば」となる事もある。サッカーにたらればは付き物でそれを言い始めてはキリがないと戒めるものの、言いたくなる気持ちは非常に分かる。しかし、そんなせっかく出た反省点を「決定力不足で…」という一言で済ませている事が最近非常に多い気がしてしょうがない。何故そんな簡単に済ませてしまうのか?
そもそもたらればレベルで細かいところを揚げ足取って「決定力不足が…」と紛糾するのは何と卑屈な指摘だろうか。そういったチャンスを全て決めるFWが何処にいる。ゴールまで辿り着く過程はその試合のみならずそのピッチに立つまでの人生の過程さえ含まれる。そしてサッカー自体に含まれるサッカーの本質・不条理さ。そういった部分を一切排除して単純な思考で便利に使える、そんな(特にマスコミにとって)便利な言葉になりすぎていないか。今の使われ方じゃサッカーをバカにしているのかと怒りたくレベルの決定力を要求しているとしか思えない。
いや、実際に日本が全体的に決定力不足だというのは、FC東京を応援している自分からすれば特によく分かる話だ。オイそれ決めろよ『13番』と。そんな話は全国各所で起きているはずだ。しかし、その決定力の高いFWがいない要因というのは日本の育成環境や日本人の特徴などと既に様々挙げられており、その対策に動き出している。根本的な解決には時間が必要な事は分かっているはずだ。
ならば必要なのはその中でどういっった形で得点を決めるのか、という手段ではないのか。セットプレイなのかコンビネーションなのか、守りきるのかそれでもFWに賭けて攻め倒すのか。そしてその為の戦術は。それも無く「FWの決定力不足に泣いた。次は何とかしろ」のみで終わる、いい加減その先に踏み出せないものか。
「決定力不足」という思考停止のフレーズに甘えるな。思考を止めずに、必要なその先を絞り出せ。

ま、試合内容は編集も多くCMで流れも途切れ、ピッチコンディションなどもあわさってよー分からんでした(笑)風間八宏さんのイライラと、日曜は3人とも無理だなというのが簡単な印象として残りました。