いろいろが既に始まってしまっているものの、その前にいろいろが振り返れてない当ブログではまず「ふりかえり」から始めたいと思います。ふりかえり、っていう語感にイラッとしないで(笑)読んでいただければこれ幸いです。
とりあえず、U-18から話をはじめます。
今年もJユース杯決勝、長居という特別な地において、彼らの”ひとまずの”ラストを見届けることが叶った。2チームしか受けることの出来ないこの幸福を噛みしめつつも、結果マリノスYに負けたのはもちろんすごく悔しくて。でもやっぱり達成感というか、見届けた自分にはやり切った感の方が大きかった。
思えば先代チームが長居でカップを掲げる2日前、12/25に正式に立ち上がった(?)このチームだったが、例年の倉又東京の例に漏れず前年からの蓄積が殆ど無い形で新チームは立ち上がり、案の定プレシーズンでは苦戦した。4/11のプリンスリーグ開幕戦をとりあえずのターゲットとして見据え、チームビルディングに勤しんでいた時に迎えた3/22マリノスY戦での、あの大敗。小野裕二は大したことなかった、ボールを持っても廣木雄磨が完璧にシャットアウトしてみせた。けど松本翔にやられた。チンチンに、まぁ気持ちいいほどに我がチームをぶった切られた。今年のシーズンは松本翔を中心に回っていくだろうと観てる誰もが思ったくらいに。そんなこの日の大敗が、このチームのスタート地点だった。
そこからの、長いようで短い紆余曲折、喜怒哀楽を経て。ここでまたしても「小野裕二は大したことなかったけど、松本翔が…」となるとは。既視感、最初も最後もショータイムだった。だから人生は面白いのだけど。
「’09チームに比べれば能力が低い」
このようなニュアンスのことは倉又監督も口にしていたことだったが、それは今の時点で振り返ってみても正しいものであったと思う。
仕事をサボることなく、どんな時でも全力で走る倉又イズムを体現した彼らは、対戦相手を内容で圧倒することもとても多かった。けど試合が終わってみれば2−0というスコア。多くの試合で内容差がスコア差に反映される事はあまり多くなかった。それはひとつに最終局面での個、もしくは最終局面で既に勝負アリとさせるだけの個が直前で出なかったのが原因の一つとしてあったと思う。それは’09チームとの差だろう。
けど、負けることもなかった。
内容差とスコア差に著しいギャップを感じると、観てる側とすれば不安に思ってしまうことも少なくない。あの時にスコアを重ねられなかったことが後々…と。でも負けることはなかった。2−0ならば2−0のままで、1−0ならば1−0のままで試合を終わらせる。選手にはタスクの割り切りも出来てただろうし、やるべき事がブレないだけのメンタルもあった。チームとしてのまとまりも大きかった。加えてこのチームは自らを、そして仲間を厳しく律することが出来るチームでもあった。イージーなミスであれば「ちゃんと枠に飛ばせ!」と試合中に仲間に言える強さ。こういう強さは重松・平出・阿部巧といた’09チームにはあまり無いものだった。
その強さ、’10チームの良さが存分に出たのがこのJユース杯決勝だったと思う。彼らじゃなければ3度も追いつくことは出来なかった。しかも高1の頃から倉又イズムを体現する申し子として走り回った江口貴俊が2ゴールと活躍までして。一番痺れる舞台で、彼ららしさがシーズンで一番発揮されたのは、彼らのスペシャルな強さの賜物だろう。
そういう意味では東京としては彼ららしく戦い切った末での敗戦だったし、対するマリノスYも3/22のあの時からも7/3のプリンスリーグ第10節からも格段の成長をピッチ上で示した、優勝にふさわしい素晴らしいチームでもあったから。自分なりの達成感はここから来るものだった。
しかしそれは、我々が愛する選手たちとは真逆の感情でもある。クラ選GL第3節、高円宮杯決勝に続いて、今回のFINALでの敗戦にうなだれる選手たちの感情とは。うつむき、大粒の涙が止まらない彼らにスタンドから「よくやったよ」と声をかけても、むしろ感情のギャップにどこか自分に虚しさを感じてしまう。
長居からの帰り道を歩きながら、この感情のズレについてずっと考えこんでしまった。
所詮ピッチの外から、しかもスタンド席から見守る僕らは、当事者としてピッチに立つ彼ら選手とは別の存在であり、究極な話、彼らがあの場あの瞬間に何を思ったのかは分かり様がない。それが積もり積もって最後に湧き出たその感情は、結果として僕らと彼らは真逆のものになった。僕らは外野でしかないし、彼らの気持ちをいつもちゃんと汲み取れるわけではないのだろう。そういうものだと壁にぶつかる事なんてよくある話なわけで。
けど、外野からでしか見れない事、気付けない事があったじゃないかと信じるならば…
少なくとも自分が感じるのは、彼らが流してきたそれぞれの涙には大きな違いがあった。自分が目撃した3回の涙。クラ選GL最終節での、広島Yに逆転されての涙。高円宮杯決勝での、同じく広島Yに負けての涙。そして、Jユース杯決勝での涙。涙を辿れば、7月より9月、9月より12月の方が、より大きな意味、より大きな決意に対しての涙であった様に思えてならない。同じ地点で立ち止まっての涙は無く、涙の数だけ強くなった末の、より高みで流した涙だったはずだ。その価値、成長に、彼らが気づきにくかったのであれば、それは代わりに僕らが声を大にして伝えてあげたいことだ。
そして、この世代はよく笑うチームでもあった。
ゴールが決まればセレブレーションには光の速さでGKが混ざりに行き、プリンスリーグ3連覇を無敗で達成した彼らは三ツ沢の地でそれこそみるこちら側が喜びすぎだろと呆れるくらいに弾けてみせた。いやそれどころか、試合を闘うピッチ上であんなにも笑顔振りまいてプレーする様は’10チームの代名詞にもなった。彼らの笑顔が、見ている僕らも笑顔にしていたことも伝えてあげたい。いや、それはもう伝わってたかもな。
’10世代のチームがどんなチームだったか?一言でまとめるならば、『倉又イズムをどの世代よりも体現したチーム』だった。走り、走り、走り続けることで見ている者の心を動かした、もうひとつのMOVING FOOTBALLだった。そして、よく泣き、よく笑うチーム。奇しくもユース応援企画で使ったあのフレーズそのままのチームだった。’10チームはほんと、彼らが思っている以上にサイコーのチームだったんだよ。
それを、今更ながら伝えたかったのです。
そんな彼らの歴史を背負って。
’11チームの戦いは、1/30日から既に始まってます。’10チームを引っ張ってきた、誇れるキャプテンに「どんどん成長していって、僕たち3年生が支えてもらう側になっていった」とまで言わしめた後輩達への、バトンタッチ。
バトンを託された’11チームは、これから’11チームらしい走りを身につけ、今年から始まる東西リーグを戦い抜いてくれるだろう。
もちろんバトンを渡した先輩たちは、それぞれの場でまた新たなバトンを受け取り、倉又イズム全開でどんな事でも全力疾走してくれるだろう。
そんなみんなの全力疾走を今年もまた、出来る限り応援させてください。