教訓か、トラウマか プレビュー アジアカップQF 日本×オーストラリア

初戦でカタールを相手に引き分けてしまい、スタートで躓いてしまった日本代表。しかし、終わってみれば順当と言っていい内容でグループステージを切り抜ける事が出来た。決勝トーナメントに進出した日本がQFで対戦するのは「あの」オーストラリア。AFC転籍から1年と4月、W杯での忌まわしい思い出から1年と1月。あのオーストラリアとリベンジする機会が早々に訪れた。

オーストラリアとしてはまさに願っていた組合せ。アジア特有の気候と戦略に苦労していたオーストラリアとしては、比較的組み易く、1年前の気持ちの良い思い出を与えてくれた「相性の良い相手」日本は対戦相手としては大歓迎だ。対する日本はこの機会に何としてもW杯の苦い思い出を払拭しなければならない。ジーコからオシムに変わり、あの時の日本ではない事をオージーに見せつけなければならない。
そう、日本はあの時から変わったのだ。オシムが監督に就任したことで、前任よりも監督の色がチームに反映される様になった。GSを追うごとに日本が発揮してきたものは、まさにオシムがチームに求めているそれであった。

オシムのサッカーを表現する言葉として「人もボールもよく動くサッカー」がよく使われているが、その表現は本質を構成する一要素でしかなく、焦点がこの言葉にあるわけではない。オシムが本当に求めているのは、チームとしての『適応力』だ。サッカーをよく知り、サッカーを恐れているオシムが行き着いたのは、無限にある「答え」をそれぞれ抱く相手達に対し、に自分たちでどれだけ対応することが出来るか、その引き出しの多さをチームに求めていくのが「オシム流」だ。
アジアカップGSでの敵は、ベトナム特有の「暑さ」だった。試合後オシムに「一番うれしいのは、私や選手たちが元気で試合を終えることができたことだ。」とまで言わしめた厳しい気候に、少ない期間の中でいかに適応できるか。これに対しオシムは、スタミナの無駄遣いを抑え、人もボールもよく動くサッカーからボールを動かすことをメインとし効率よい動きで相手を攻略する「省エネサッカー」を確立し、3試合で勝ち点7まで稼ぐことが出来た。オシムジャパンはここでもチームに求められている「適応力」を発揮した。
そんな適応力の中で生み出されたのが、ここ最近の「ポゼッションサッカー」。引いた相手に対し、徹底的にボールを回し相手をじらし、そして生まれるギャップを確実に逃さずにフィニッシュに結びつける。感覚としては非常にブラジル的で、むしろジーコが求めた様なサッカーを、日本はこの過酷なベトナムでの3試合のみで身につける事が出来た。
この徹底的にボールを動かすポゼッションサッカーは引いた相手のみならず、屈強な体格の選手達に対しもその効果を果たす。まともにぶつかり合えばとても勝てない相手を、そのポゼッションとアジリティでいなすことがオージーに対して出来れば、去年とは違う結果は大いに期待できる。

もちろん、ここでも日本は対戦相手に即した「対応力」を求められる。今度のオーストラリアは、その屈強な体格をむしろ攻撃で活用してくる相手だ。今までの対戦相手とは全く違う攻撃意識で日本ゴールに襲いかかる。それに対峙する日本は、GSでは1試合1失点がデフォルトとなってしまう危うさも兼ね備えてしまった。オーストラリアの攻撃力をしっかり組織で跳ね返し、その精神的プレッシャーを乗り越えてポゼッション、そんな「一歩先」のポゼッションを仕掛ける必要がある。

日本に問題があるとすれば、流れを変える選手を育てられなかったことだ。GSではお決まりに近い選手交代に終始し、その交代選手が試合の中で新しい活躍をする事がなかった。厳しい決勝トーナメントの試合の中では必ず厳しい攻撃に晒される時間帯が生まれる。そこを乗り越えられる流れを生み出すことが出来る選手を育成しきれなかった。願わくば日本は、ポゼッションで常に有利な展開を握り続けたい。

日本は今までの共通の弱点として、試合の流れをコントロールする能力に弱い面があった。それが最も顕著に出たのが一年前の、あのラスト8分間だった。あの時支払った、大きすぎる代償。あれを「教訓」と出来たか、「トラウマ」となったか。日本が成長したかどうかはラスト8分間に現れる。