レビューでは東京のことを書くつもりなので、浦和のことをこちらでちょろっと(往々にしてこちらがメインになっちまうわけだけど)
ここ最近の浦和の騒動については、本当に今更感が否めない。今更そこに文句が出るの?って話。中村修三GMに対する批評がどこかをきっかけに一気に爆発して、その原因がサッカーの内容の悪さ、だそうだ。けど内容なんてゲルトの前、ホルガーの頃から、ギドの頃から、そしてハンスの頃から大して変わらず、またそこからブレずに一貫して積み重ねてきた結果が今なんだと、外野は認識していたのだが。達也が入ってパチンとスイッチが入ったのも、居なければどんなサッカーだったかも、そんなの昔からそうだったじゃないかと。
3月のエントリで『去年の浦和があれだけ成功した要因のひとつとしては、「周囲が内容に文句を言わなかった」という点があったと思う。』と書いた。内容に目をつぶり、勝ちにこだわって、そこに一点の迷いもなくサポートし続けてきたサポーターによって生まれたのがACL制覇だと。ファンタジスタ信仰、また他国への憧れの強さから背伸びしたがって『「美しく」勝て』なんて余計な修飾語を真似したがったりで、おかげで本質・軸がブレがちになってしまう、そんな日本国内往々にして生まれる周囲のガヤの傾向に逆らって、浦和の様なサポートをし続けるのは難しいことであり、凄いことであり、立派だったと思う。その点に置いての成果だと思っているACL制覇は、悔しさもありながらも自分は最大級の賛辞を浦和には送った(つもり)。
逆に、そこに文句を言わなかったからこそ今の浦和の強さがある。それでも、Jで首位だってのが何よりの象徴。ナビスコの敗退なんて、昨年度の日程消化(特に代表招集された選手)の影響でしかない。これだって前から言ってきたこと、日程消化や疲労を考えればむしろ必要だったはず(関連して現在のガンバの遠藤・播戸についてを見れば尚更)。
浦和としては、勝ったとは言え「今まで通りの勝ち方」だった。ここ最近の不満を考えれば手放しで喜べる勝利ではなかったはず、何故ならば「今まで通りの勝ち方」だったから。しかし、「今まで通りの勝ち方」をフルサポートしてきたからこその今の浦和。それをあえて捨てる、という方向にベクトルを向けた浦和サポーター。
この重大さをサポーター本人はどう考えているのだろうか?ベクトル変更しても「今まで通りの浦和」を求めるならば、ベクトル変更の先で待ちかまえている「泥水を啜る様な体験」までの覚悟まで備えてその方向にベクトルを向けているのか?
そりゃあ潤沢な資金で選手総とっかえ並みのモデルチェンジをしてそれを強引にやり切っちゃったら、スゲェと思うけどなぁ。まさにビッグクラブ(笑)しかも出来ちゃうだろうしね。
「今まで通りの勝ち方」を捨てて、けど「今まで通りの浦和」を求めるっていうならば、それはそう簡単じゃないよ。「今まで通りの浦和」まで捨てる覚悟がどれだけあるのか?とにもかくにも、「このタイミングでかよ?」な舵切りを行った浦和サポーターの様子は、多少注目するところではあります。