U-20W杯 ×チェコ戦

勝負のアヤに飲み込まれてしまった、ということだろう。
審判への文句は多くあるし、もうあの審判は一生信用しねぇ!と腹立たしくて仕方なかったが、完全被害者と言い切れるほどには、あの時間帯の内容が良かったわけではないというのが正直なところだろう。あれだけPA内への侵入を許してしまえばこういう事が起こってしまうということ。あの時間帯は日本はただボンとボールを蹴るしか無かった。セカンドを奪えなかった。チェコにメンタルの隙を見せてしまった。

これらのマイナス要素はすべて展開のアヤが生んだものだ。そしてこれらを『若さ』のせいで終わらせたら絶対にいけない。展開のアヤ、というものはその対象者の実力・世間的名声・そして立つ舞台の大きさに比例して大きくなっていくもの。若ければ若いだけ、そして成長すれば成長しただけの舞台が用意されてしまうものだ。だから展開のアヤというのは常にその選手と対等な存在として、人生を歩む上で立ちはだかり続けるし、それに勝てないのを的はずれな理由に押しつける者はいくら年と実績を重ねてもそれに打ち勝つことは出来ない。それはアジアカップUEFA CLに挑む者たちを引き合いに出すまでもなく分かることだろう。
しかし、コイツらを見てたらそれすらもひょいと越えてくれそうな期待を抱かずにはいられない。事実、この舞台でコイツらは自身がビリーとなり、サムライとなり、悟空となることでその壁をいなし続けてきた。そして何よりコイツらにはまだまだ先がある。『次にこの経験を活かさないと、いい経験だったとは言ない。活かせてからいい経験だったと言いたい。』福元の言う通り、いい経験だったと言えるだけの選手達の逆襲に期待したい。

君たちの底抜けた明るさは、チームの推進力として常に自身を助け続けてきた。しかし、その明るさに最後に助けられたのはもしかすると、テレビで見ていたオレたちかもしれない。だからこそオレはまたポジティブに、明るく、彼らに「ありがとう」と伝えたい。
日本を自慢できる素晴らしいサッカーをやってくれて、ありがとう。