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FC東京が甘く見た「筋違い」は時間が解決するわけでは決してない

勘違いしてはいけないのが、5月の城福東京が手にしていたあの高い守備力は、所詮4-1-4-1システムで9人ものプレーヤーを用いて得られたものに過ぎないということだ。ブロック敷いて中央を固めて、アンカーである高橋秀人が守備のフリーマンとして2ライン間を自由に泳ぐ形。人数かけてでもなりふり構わずに、最低限の守備能力を担保するという単純な話。

方やマッシモの守備はご存知、4-3-1-2システムを用いて、7人だけで成立させていたものだ。もちろん実際は、トップ下河野の多大な貢献無しにはあり得なかったのは言わずもがなだったが。それでも、そこに「7人ででも成立させるだけのメソッド」があったのは明らかだろう。結果として、シーズン3位の失点数。

メソッド無しになりふり構わずな城福前監督の守備構築は、前任が披露していたものに比べればあまりに不格好ではあった。だがそんな不格好な形へシフトした、5月の城福前監督のあの判断は、アンチである自分としても支持するものだった。不格好でもやるしかない、必要な決断だったと思う。


面白かったのは、そんな不格好な守備シフト偏重においても、城福東京の攻撃の形はそれなりに成立していた事である。人数はかからないけど、かからないなりに攻撃としてはフィニッシュまで迎えていたし、そのための人選を(消去法で結果的に、ではあろうが)行えていた。

そしてそれは、方やマッシモが攻撃に3枚を残していても結果的にああだった事と対比すると、より味わい深くもなるだろう。

サッカーは難しいなと。ありきたりだけど、城福解任までのラスト数試合を振り返ると、そんなことを思う。結論、城福解任で当然だけど。

 

この手の話の際にいつも出てくるのが「監督のサッカーが浸透するまで、最低でも3年は任せるべきだ」という、いわゆる『3年論者』の存在である。しかし、これってどうなのか?と自分はいつも考える。

「3年」って根拠が果たしてどこから来ているのか?それは例えばサッカー先進国から輸入された、ありがたがるべき説なのか?もしくは日本国内が発祥の経験則からくる説なのか?

もっと具体的に言えば、日本というメンタリティに囲まれているクラブチームにおいて、3年論はそのまま当てはまるものなのか?ということだ。超失礼な偏見でモノを言うならば、自我の強い多国籍外国人で構成されたチームと、従順に従うばかりの日本人で構成されたチームとで、同じく3年間が必要だとは、自分はとても考えられないのだ。

どこかの国の人による経験・感覚値から導かれたものなのであれば、それはそれで問題無い。「一般論」としてはそうなのだろう。しかしそんな一般論を他者がそのまま他の現場にあてはめようとするならば、それは思考停止でしか無い。

つまりは、マッシモの場合はどうだったのか?マッシモの指導力を。FC東京の選手構成を。Jリーグというドメスティックな環境を。一般論をいかにローカライズして、果たしてマッシモに3年目を託すべきだったのか?と。

こうして紐解こうとしなければ何も始まらないし、思考停止の3年論を振りかざすだけでは、一生バットの芯で捉えられる事は無い。

 

事実として知っておくべきは、立石GMによって築いてきた選手構成は、昨年をもって既にサイクルを終えていたということだ。よっちが去り、コースケが去り、権田が去り。代表級の選手が3名も抜けていれば、ダウントレンドと判断するのは当然だろう。

しかし誤解してはいけないのは、これは「成功」であるということだ。J2降格をきっかけに、鈴木強化部長の後任として就任した当時の立石強化部長は、クラブの大改造に乗り出す。チームの主軸として補強した選手たちは、結果としてJ1トップレベルにまで引き上げられ、2015年にはクラブに「過去最高の結果」と「負債をすべて清算するだけの違約金」を残した。これ以上の成功事例が、これまで国内でどれだけあっただろうか。

2015年のFC東京は、選手構成サイクルの頂点であった。当時そう認識する事が可能だったかは難しいところだが、いま振り返ってみればそれは確かと言えよう。また、立石GMはじめクラブとしては、このピークを当時から認識していた様にも伺える。故に、昨年あのチームが結果のみを、頂点のみを目指す事には、クラブとしても筋が通っていた。


方や、マッシモの指導力に関して言えばどうだっただろうか。

自分としては、彼に正直これ以上の引き出しは無かったと思う。指揮を執ってきた2年間をもって、マッシモの形はある程度選手たち備わり切っていた。フレキシブルなシステム変更も、マッシモの意図も、90分内のあいだに選手たちはピッチ上で受け取り、反映し、戦う事に「慣れ」も伺えた。それはマッシモ流の「浸透度」に他ならない。

逆に、それらの例えば「ハーフタイムの修正力」は、事前のスカウティングもしくはスターティングの正答率の低さも意味していた。異国からやってきた彼とは言え、彼ほどの指導者であればJリーグの理解もだいぶ行えていたはず。にもかかわらず…

加えて、あの攻撃構築である。

となると自分は、3年目に戦術的な上澄みはあまり期待できなかったと考えている。


これらを勘案すると、マッシモに一般論そのままに3年論が当てはまっていたのか?となると疑問を感じずにはいられない。彼の抜群の指導力と、理解の早い選手たちによって、戦術の伸び白を2年間だけである程度埋める事に成功したと言えるのだから。

方や、選手構成サイクルが終了し、構成力は落ち、加えてACLの過密日程によってさらに目減りする事が明らかな2016シーズン。故に、マッシモに3年目を任せたところで果たして成功していたかと言えば、自分はそうとは今でも思わない。2016シーズン、マッシモトーキョーであったらFC東京は失敗していた。

ここまでは良い。そして問題は、ここからだ。その上で、果たしてマッシモに3年目を任せるべきだったのか?という決断の問題である。

 

城福前監督が解任された今になって、あの時の決断の要因となったと思われる様々な話がこぼれてきている。エルゴラからも、ワッショイ兄やんからも、マッシモの次の赴任先からも、そして他よりちょっと深入りな事情を知っているサポーターからも。それらのディテールも信憑性も、所詮一般人の自分には知る由も無いが、それら全てがあの時の決断の要因となった、ということなのだろう。

しかしそれらの要因全てが、マッシモ非更新という決断に対しての「筋」として成立していたのだろうか?今となってはどれを聞いても「でも選手に心地良い事を優先させた結果がコレだよね」「でもそんなのクラブ組織として勝手にやればいいだけだよね」端的にいえば、マッシモが残した成果を前には、それらが全て”筋違い”にしか自分には思えないのである。

つまり、FC東京の2016シーズンは「マッシモ続投の上で座して失敗を待つこと」がクラブ判断としてのあるべき「筋」だったと、自分は理解している。


ただもちろん、当事者であるクラブの心境を慮れば、正しいことだからと座して死を待つ事は無理だっただろう。そういう意味では、マッシモとの契約を更新せずに新監督を据えて延命を試みる動きは理解は出来る。ACLもあるのだから尚更だ。だがそれは本来は”筋違い”な訳だから、少なくともそれを覆すだけのよっぽどの「別の筋」が必要だったはずだ。

クラブは結局、ここを見誤った。

城福時代が半年足らずを持って終焉し、篠田監督という新たな時代となった。そんな今、改めて思うのは、クラブとしてFC東京は「筋違いを通す事をヌルく見すぎだった」のではないか?ということだ。

「結果」というのは、筋としてはあまりにも強い。それだけに、筋違いを通すにはそれなりのパワーもロジックも伝達も必要だったはずだ。しかしそれがあまりにも拙かったのは誰の目にも明らかだろう。


2015シーズン終了後にFC東京がクラブとして立った岐路。

今になってそこにifを想うのは不粋でもあるし、する訳もない。マッシモとの2年間は個人的には良い思い出ではあったが、だからといって「あの時マッシモのままでいれば…」なんて引きずり方なんぞ、今さらする訳が無い。マッシモが去り、城福が去り、篠田が新監督として就任した。時代は既に2つ先まで進んだ。

それでもまだ、1年も経っていない前の話である。違えた筋は、違えたままに、全ての青赤な人々に残り続けている。筋が正される見込みも無いままに。そしてその事実をクラブがまたしてもヌルく見ている様な気がしてならない事に、少なくとも自分は今、非常に居心地の悪さを感じているのである。


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と、ここまでを城福解任直後に、総括的にチマチマと書いていたが、結局詰めの仕上げをサボり続けてここまで来てしまったので。このタイミングながら、追記の上で公開をしてみる。と言っても解任されたのが7/24だから、まだ1カ月とちょっとなんだけど。まぁ濃い夏だったね。

勝ち点36をどう見るのが正しいかは分からないけど、まぁJ1残留確定でいいでしょう。いやホントに良かったよ、つかJ2降格の経験がここまで活きるとは思わなかった。経験しておくもんだね、名古屋にも是非オススメしておきたいところである。

個人的な話をすれば、未だ篠田監督に「ノレない」自分が正直いる。

もちろん、ほぼJ1残留を決めたわけで監督仕事としては大成功だろう。彼の様な監督があの時には必要だったのも間違いない。それはもちろん理解している。それでも芯の所でまだ引っかかるのは、結局は筋を違えた状態のままなのには変わりないからだと、書いてて再認識した。

篠田監督になって、それこそ城福前監督とは真逆なくらいにサポーターとコミュニケーションをとっていた。それが例えベタであろうと、でもサポはそれがやっぱり嬉しかったし、だからサポにも受け入れられて、結果場が好転していく。そんな様子を観ていると、やはりコミュニケーションの重要性というか、「勝手に筋を正してくれる」事への効能を実感する。

ていうか、大したコストじゃないんだからやれば良かったんだと思う。別に説明責任を問うとかじゃなくて、その方が圧倒的に効果が見込めるんだからやれば良いのに、やらないとか馬鹿なんじゃないかな。第二次城福政権が失敗したのは、彼が開幕戦で「城福東京コール」を無視したからだと思うし、FC東京というクラブが筋違いを甘く見ている状況自体は今も大して変わらないんだろうなと。そんな感じ。

 


J1残留をほぼ決め、ようやく来季のことを…と考えると、前述の通り「選手構成の新サイクル構築に向けて、スタートラインを切らないといけない」だろう。優勝狙いも盛大にズッコケて、2011以降の積み上げも全て崩れた。ACLも恐らく無いので、選手編成の大幅刷新は必須だ。

幸いなのは、U-23があること。懸念は、U-23の収穫を焦りすぎている匂いがあること。J3中断期間だから仕方がなかった、という言い訳を成立させるためにも、今週末からのJ1-J3本格併用はお手並み拝見だろう。

このU-23から、果たしてどれだけの新サイクルがパワーを持って台頭してくるか?今季の残りは、この新サイクルと旧サイクルとの世代闘争に、来季の希望を見出したい。

…ところなんだけど、ここにきて梶山陽平に復活の気配が出てきたことが、カジヤマニアの魂に火が付きかかっているのが、このあるべき理想の邪魔をするんだよなぁ。

あぁ、梶山陽平たまんねぇおじさんは悩んでるよ。