「J1監督としての資質」さえ見せてくれれば、今年はそれでいいです。FC東京 2022 シーズンプレビュー

いわゆる『サッカーの本質』って、果たして何ぞや?

…と、ものすごく堅苦しい話から始めますが。

最近改めて強く思うのは、結局「ピッチのサイズとゴールの位置」が、サッカーという競技の根幹だということ。

ゴールを奪い合い、そのスコア差が最終的な勝敗を決める。そういう競技である以上、最重要なのはこの制約なはず。相手ボールはゴールマウスから近いのか、遠いのか。もしくは、ボールはゴールマウスのある中央にあるのか、それともゴールマウスが無いサイドにあるのか。
ボールの位置・状況によって、守備側としてのアラート具合は変わってくるし、それが判断の基準にもなってくる。あまりに危険度合いが低いのであれば、対応する必要なし・捨てる、なんて判断も勿論出てくる。

言ってしまえば、ゴールさえ守れれば守備側としては構わない。そんな状況には、いわゆる「バスを並べる」なんて揶揄のされ方も多いが、競技の根幹から振り返ればそれはアンチフットボールどころか、むしろこれ以上無い『本質的な所作』と言えよう。その一端を、我々は2年前のルヴァン杯準決勝でも味わったはずだ。

ポゼッションを握り、相手を押し込んでいけばいくほど、その状況はより顕著になる。結果的に、守備側はゴールを守るために籠城する形となる。当然、ゴールを奪いやすい状況からはかけ離れていく。

決定力が高いことを、彼らは改めて証明しないといけません。というのも、2022シーズンは狭いスペースで決定力を発揮することが求められるからです。カウンターアタックはシュートを放つ際にスペースがあるものですが、2022シーズンは相手を押し込むゲームが増えるでしょう。そうなると、相手ゴール前のスペースは狭くなります。それでも決められるかどうか。

アルベル プッチ オルトネダ監督インタビュー | F.C.TOKYO FANZONE | FC東京

アルベル新監督のこのコメントは、個人的には彼からの初学びであった。なるほど、そういう考えになるのか確かにそうだなと。ただ、そうなると元々は堅守速攻派な自分の宗教観からすれば「じゃあ、それをやる意味 is 何?」ってのが本音でもある。

 

もう少し分解してみる。

例えば、「引いた相手をどう崩す?」とはよく言われる話だが、崩すのは「ゴールを取りやすい状態にするため」であり、その先の「『ゴールを奪う』ため」となる。つまり、ゴールを奪うという目的のためには、崩すことはいち手段でしかなく、極端を言えば崩さなくともゴールが奪えればそれでいい。さらに言えば、相手攻撃からボールを奪った直後とは、既に相手が崩れている状況でもある。わざわざ苦労して相手を崩す(ために、相手にセットされる状況を『攻撃側が』与える)位ならば、それ以前にまずは、相手が既に崩れている状況を利用してゴールを狙うべきなのは当然の理屈だろう。

だいぶ昔に行ったことがある整理だが、つまりゴールの奪い方というのは下記の3パターンに分類できる。それぞれ難易度を思えば優先順位もこの通りになるはずだ。

 A:既に崩れている相手からゴールを奪う
 B:セットされた引いた相手を、崩さずにゴールを奪う
 C:セットされた引いた相手を、崩してゴールを奪う

優勝を狙うのであれば、このうち2パターンは使いこなせた方がいいだろう。となった時に、ここであえてCを選ぶのか?という話である。ビルドアップにより相手のプレス回避に成功し、相手を押し込む。しかし押し込めば押し込むほど、相手は籠城決め込み、求められるシューティング難易度は高くなる。その中でもゴールを奪おうとするのならば、アルベル監督の言葉の通り「相手ゴール前のスペースが狭い中でも決定力を発揮できる」つまり相当な能力(=見合っただけの給料)の選手が求められることになる。多くのクラブにとっては、そもそも選べる選択肢ですら無い。

 

ポゼッションないしはパスサッカーというのは、結果的に相手に籠城を”選ばせる”戦い方である以上、本質的には「フィニッシュブローには、なり難い代物」なのだろう。

そうではなく、例えば「パスサッカーは『ボディブロー』なんです。AもしくはBを誘発するための、相手を思考的にも体力的にも削るボディブローでしかないんです。決してボディで多くのKOを直接取ろうとは思っていないんです。」であれば非常によく分かる。もしくは、プレス守備全盛の時代においては、余計な形でボールを失わないで済むための対応策として「プレス回避のパスワーク」は確かに必須だろう。

つまり、パスワークの使い道が果たしてどこにあるのか。どの様に捉え、(あくまで勝利を目指して効率的に)適材適所されているのか。右ストレートでぶん殴るための「撒き餌」なのか、それとも本気で右ストレートのつもりでいるのか。

ここまで整理したことで、自分の引っ掛かりがようやく見えてくる。

  • パスサッカーの必要性
    → プレス守備全盛の中、回避の手段としては必須
  • パスサッカーによる攻撃を行う
    → AやBでゴールを奪うための、ボディブローとして使用する分には理解できる
  • パスサッカーによってゴールを奪う
    → 引いた相手を崩すのなんて簡単じゃないから、所詮撒き餌と割り切って、撒き餌を利用しつつ実際は効率的にゴールを奪う形を考えるべき
  • パスサッカーによってゴールを奪うことは美しいし観るものを魅了する
    → 勝てるようになってから言えバカ。記念受験に満足して勝手にJ2落ちてろバカ

困難なこと、難しいことに、あえて取り組む事その姿勢に対して美を感じる、という考え方がこの世にあるのはよく分かる。けどそれは「勝った人間」が「勝ってから」言うべきだ。そもそも相応の給料が払えるクラブにしか取り得ない選択肢な時点でブルジョアジーなわけで、それって美しさの意識がどこかで混濁してはいませんかね…??

…これがサッカーにおける自分の『宗教観』。で、ここまでが本件の前フリ。長いww

 

そんな宗教観の自分にとって、今年から始まるアルベルトーキョーは、自分にない知識・感性を見て学べるという点で楽しみでもあり、逆に肌に合うかが非常に不安でもあるのが正直なところ。

とは言え、(部分的な箇所においての)パスサッカーの必要性は自分も理解しているし、そんな基礎をチームに現代的なロジックで植え付けるための人物、としてのアルベル監督のことは信頼している。肩書き大好きおじさんなので、アルベルの経歴をその辺は疑いなく全信用はしているww

気になること。つまりアルベルトーキョー1年目として、自分が見極めたい箇所は2点。

 

1つは、アルベルトーキョーはパスサッカーを、どこでどう使おうと捉えているのか。

具体的には、パスサッカーを「フィニッシュブロー」として使おうと”も”しているのか。前述の宗教観の通り、自分は撒き餌で構わないと思っているから、Cによる得点比率とかは1割切っててくれて構わない。三笘アイソレーションじゃないけどブラジルトリオ勝負に持ち込む部分までを担務として、あとはブラジルトリオが勝手にぶん殴ってくれで全然問題ない。

そうでなくて、例えばCの得点比率を真っ当に高めようとしてしまい、そのための改善策として「アイデア出していこう」となるとキツイなと。この手の話は、言わば「みんながヤリにいった大喜利で5人一斉に答えを出して、全員揃わないとゴールできないファイブボンバー」みたいになるし、何度BBQやったところで一生揃うことは無いので。ここは自分の好みとして前者であることを祈るのみ。

 

もう1つは、「J1監督としての資質」がアルベルに備わっているかどうか。

基礎を植え付けるために必要な期間を「6ヶ月」とスパッと言えてしまうところは、アルベル監督の経験・能力を感じる一端だった。その間は、勝ち点を得られる試合よりも、得られない試合の方が多くなるだろう。これは当然なので仕方がない。

ただし、そこにも許される度合いがある。言うまでもなく「J2に落ちない範囲で」だ。

思い出されるのは、昨年ロティーナ監督を招聘した清水エスパルス。産みの苦しみと、J2降格という恐怖との狭間で、選手・スタッフ・クラブ・サポーターが苦しむ様子はDAZNドキュメンタリーでも一端が伺えた。清水の場合が具体的にどうだったかは分からないので何とも言いづらいが…やはりJ1クラブにおいて「J2降格が許される改革」なんて、この世に無いと思う。

大なり小なり、各クラブにはこういった絶対に譲れない要素がどうしても存在する。その中で、プロジェクト1年目を『安定的に』乗り切るためのコントロール、というのはプロサッカー監督としては必要な能力だろう。積極的なアナウンス能力もそうだし、体制維持の保険として最小限の勝ち点も必要だ。もしそのような状況になった時、土台作りのために目の前の試合を「内容7:結果3」といった割合で挑んでいたのを、例えばそれを一旦リスケしてまでも「内容2:結果8」とすべきだと自分は考える(諦めるでも方針転換でもなく、あくまでリスケ。これは、アルベルがスケジューリングをズバッと言い切ったおかげで使えるカードでもある)。

FC東京においては、J1かつ首都クラブで予算も上位(寄り)である以上、J2降格は許されない。アルベル監督も、クラブの位置付け・規模感に魅力を感じてオファーを受けているのであれば、その立ち位置には従うべきだ。選手編成を思えば、よほどのことが無ければ、そのような状況にはならないはず。ただ、そうなった時に、比率を変えられる監督であることには期待したい。

それが、パスサッカーの土台を植え付ける監督としての資質、とはまた別に求められる「J1監督としての資質」。もしそれが出来ないのであれば、FC東京ではなくもっと別の「健康のためなら死ねる」クラブで指揮をとればいいだけだろう。

だから今年のFC東京の最終順位は、J2に落ちず、ACL出場圏内にも届かない順位であれば何位でも良いです。サッカーダイジェストで唯一、FC東京を優勝と予想してくれた松木安太郎には申し訳ないけれども。

 

自分の宗教観、そしてそれに基づいて考える、アルベルトーキョー1年目への期待と不安。

宗教観の違いを好き勝手に言いはしたけれど、そんな文句が言えるのも、アルベルトーキョーが初の公式戦を迎える直前のこのタイミングまでとも理解をしているつもり。

それは青赤パークオンラインにおいて、ゴリゴリのオシムチルドレンであり、宗教観からすれば長谷川健太監督とは対極であろう羽生直剛さんが、短絡的に宗教観の違いで断ずることなく、あくまで健太さんのサッカー観を尊重し、健太トーキョー側の土俵に立った上で論評する姿勢を崩さなかった様に。だから、宗教観に基づく文句は今のうちにと思い、長々と書いといた次第。

アルベルトーキョーの初陣以降は、彼の宗教観を理解し、あくまで彼の土俵に立った上で彼のサッカーを見ていきたい。

 

ここまで書いた内容をもって、果たして自分はアルベル監督もしくはパスサッカーのアンチと括られてしまうのだろうか。

ただ少なくとも、自分はアルベル監督から、自分には無いサッカー観や知識を得られるであろう事自体については非常に楽しみにもしている。マッシモ時代も、健太さん時代も、彼らのサッカーから学ぶことが本当に楽しかった。同じ体験が、今年もきっと出来るだろうと確信している。これは本心。

言ってしまえば、所詮は昭和のサッカー脳でしかない自分が、令和の最新サッカー観を学んでいくという、そんな、おじさんのアップデートの記録であり、ドキュメンタリー。その第1話が今回ということ。

「ポジショナルプレー?そんなの外野が都合よく理由付けした結果論でしか無いやろ?そこにピッチ上のリアルは果たしてあるのか?」

「幅を取って相手を広げる?は?しゃらくせえよバカ。俺はやっひー信者だから、広げたところで通せねえ奴にはどうせ通せねえし、そもそも狭かろうと通してみろよ受けてみろよバカ。」

回を追うごとに、きっとこの辺の自分の宗教観も変わってくるはずでしょう。いや〜第2回が楽しみですね!(時期未定)