あのとき

俺だって、馬鹿じゃない。

仮にもFC東京を愛し、そして我らがJリーグを愛する人間だ。

だから、「Jリーグらしい展開」だって、頭には過ぎる。

俺は、何となく分かってたのかもしれない。

だからこそ。

西京極でのあの日は、運命といかに抗うか?の1日だったのかもしれない。


東京のサッカーは、見ての通りの、無残な代物だった。

例えば。パスサッカー、ムービングフットボールを標榜した城福東京が、第22節ホーム浦和レッズ戦で見るも無残なヌルいパワープレーを、不恰好に仕掛けて散ったあの姿は、自分にとって城福東京が完全に崩壊した瞬間だった。

例えば。第二次ヒロミ政権の時にも第19節ホーム大分戦において無様なパワープレーを披露した。当時のブログを振り返ると「パワープレーをバカにしないで欲しい」と書いていた。パワープレーはあまりに単純だからこそ、未来を限定しやすい、事前に突き詰めやすいスタイルであるが、それ故にそれすら整われていない様を見るとその無様さはより際立つ。

そんな、崩壊のサインを内包した無様な試合を、結果、一番大事な試合で見ることになってしまった。


フットサルの全国リーグであるFリーグにおいて、絶対王者である名古屋に今季初めて黒星をつけた府中アスレティックFC中村恭平監督は、この試合後に以下のようなコメントを残している。

「名古屋と10回戦って(勝つことが出来るのは)1回や2回かもしれないけど、その1回を今日出せと選手には伝えた」

とてもじゃないけどおかしい東京。けど、勝てばいい。Jリーグの運命に抗うことが出来る。たままたまでも、10回に1回レベルの内容であろうと、勝つことで得られる成果は大きく尊い。それを自然と意識してか、自分の周りではネガティブな言葉など何一つ飛びやしなかった。「大丈夫だ!」「続けよう!」アウェーゴール裏という狭い『密室空間』での、独特な共有。その1回を出すための本気があったと、所詮当事者である自分は思う。故に、「運命に抗う一日」と。それでも。


迎える瞬間。

涙なんぞ、流れるわけがなかった。所詮、運命に抗う力をスタンドから、自分は、発揮することが出来なかったと。それだけでしかない。この一連この心構えは全体の中でも比較的ネガティブな立ち位置とも言えてしまうかもしれないが、どちらの立ち位置に置かれていようとも、その瞬間受ける印象に大差は無かったかもしれない。

結局、降格のゴールテープは突然目の前に現れるものではないということ。よーいドンでスタートを切り、第一コーナー目がけてハナを争い、第二コーナーを周り向こう正面の直線ではそれぞれの思惑でゴールを伺う「スタンス」が示される。第三コーナーから最終コーナーを周っていよいよ最後の直線。ゴールラインを迎えるまでにはタイミングで様々なことが起こり、それが指標となり、その積み重なりによって決まる最終結果は100%正当なものだった。限り無く悔しいけど、受け入れざるを得ない。それをひっくり返すチカラがなかった事、それが凝縮されたかのような京都戦は、残酷なまでに正しかった。

それでも、選手がうなだれてゴール裏へ挨拶してくるのを見ると、途端に涙が止まらなかった。キャプテンマークを握り締めながら無様なほどに号泣する徳永の姿が目に入ったその時をきっかけとして。精一杯の背伸びで彼らをポジティブに迎えるゴール裏は「誰が何と言おうと 周りは気にするな」とそれに応えた。太鼓が止まっても一切怯むこと無く続くチャントが、指示されることなく自然と発生した「東京!東京!東京!」が、あのとき選手にはどう伝わったのだろう?

あの密室空間で、ボロボロと涙を流しながらの、最大級の感情の発露とその共有。あの現場にいなければ、自分は発狂していたかもしれない。やりきれない気持ちを止めることが出来なかったかもしれない。感情が一周も出来なかったかもしれない。けどあの濃密空間は自分の感情を二週も三週もさせてくれた。所詮アウェー遠征なんて、行く行かないの前に「行ける行けない」の壁が立ちはだかる訳だが、その壁が低い状況もしくは思考であった自分の幸運には感謝しなければいけなかったのかもしれない。


パワープレーと、ロングボールを駆使した攻撃スタイルってのは、同じツールを使ってるだけに似てるようでいてその中味は大きく違う。と、少なくとも自分は定義している。その詳細は今回は避けるが、その違いを踏まえるとこの試合は、数ヶ月足らずの大熊東京の流れからは『イレギュラーな現象』だった、というのが今の自分の考え方である。

もちろん、レギュラーな問題点もイレギュラーな問題点も、それぞれが等しく検証はされなければいけない事には変わりない。しかし、レギュラーな問題点を好き嫌いでジャッジし、それが本来イレギュラーであった事象を正しく見極められていないという違和感。この仮説を叩き台にしながら、来季の東京に、未来の東京に想いを馳せる。

問題点は潰せばいい。良い所は伸ばせばいい。それだけ。それだけだし。

悔しいけれど来季、自分が望んだ場所に東京はいない。けれど、それでも東京の未来を妄想する時の表情は自然と笑みが出てきてしまう。変わらないよそこは。

早く来ないかね?2011.3.5。ウズウズする気持ちを抑えきれずに吐き出す大晦日。

とりあえず、元日は暇になっちゃったので、餅食って屁こいて寝るわ。


ってことで、今年の汚れ、今年のウチにじゃないけれど…(笑)

今更にはなりましたが、まずはこの日を書き残すところから。それも、今年中にってことで。来年もぼちぼちやってみるさ。よろしくお願いいたします。来年はいい年にしたろうぜ!