FC東京から消え失せた積み重ね そして未だ生まれる気配の無い「やりたい事」

主力の選手は入れ替わり、代わりに経験値が既に備わった、実績のある選手が入ってきた。新しいサイクルを用意しつつ、かつ種まきの時間をカネで解決した印象は強い。

篠田監督のキュレーションは青赤を悲願へと導けるか FC東京 2017シーズンプレビュー - 「やってみるさ」

クラブとして積み上げてきた、ひとつの選手サイクルが2016シーズンに終わりを告げ、そんな中で迎えた2017シーズン。新たな選手サイクル構築のために、まずは新しく種をまき直し、芽が出るのを耐え忍ぶシーズンがこれから始まる…と思いきや、実績のある選手を積極補強することで、そのフェーズを省略してみせたプレシーズン。ある意味、サイクル構築の時間をカネで解決した様な理解だが、それはそれで解決策の一つであり、アリだと考えていた。

しかしその結果は見ての通り。まずは、こんな楽観的な己を反省するところから始めなければならないだろう。

とは言え、いま振り返っても補強施策自体は大きく間違っていなかったと、今でも思う。高萩は今や精神的支柱すら担うオーガナイザーとして君臨。大久保嘉人はあれだけチームとプレーが合わなかろうとあの得点数はさすがの一言。途中加入組でいえば、ピーターウタカはチーム内得点王だし、チャン・ヒョンスは最終ラインでレベルの違いを見せている。林にしろ択生にしろ永井にしろ、復帰した太田宏介にしろ。この実績の質量を見て、補強が失敗とはさすがに今でも言えない。

ただ、間違いとは言い切れないが、その代わりに露呈された事実その大きさ・ドス黒さ・空虚さによって、FC東京というクラブを取り巻く事態はより混沌を迎えたのだと思う。


平易な言い方をすれば「やりたい事」の問題だろう。

4バックなのか、3バックなのか。カウンターなのか、ポゼッションなのか。古き良き日本に染み付いた土着的発想なのか、欧州で持て囃される新概念なのか。それらをどう選び、もしくはどうミックスさせるのか。

本来は、こういったやりたい事が各自にあるのが前提で、それが出揃ったのを受けて初めてその是非が議論されるものだ。どの選択肢についても、基本はもちろんフラットな立場であるべきだろう。だがこれまでの経緯や積み重ね、選手構成の具合、もしくはアカデミーが既に策定している方針など様々な要因によって、実際にはどうしても取り得る選択肢が狭まってしまうものだ。そんな外的要因に素直に従うのか、もしくは抗う手段まで伴っているのかをもって、「やりたい事」の是非が定まっていく流れが殆どだろう。

こうして是非がしっかりと定まれば、後はそれに向かって一丸となって進むのが組織というものだ。いわば、よく言うところの「クラブフロントと現場の両輪が噛み合っている」状態だろうか。正しく噛み合えば、クルマは自然とスムーズに目的地に向かって進んでくれるだろう。逆に、もし左右のタイヤが別の方向を向いてしまっていては、クルマが正しく前に進む事など当然無い。


例えば「篠田監督の意向に沿った補強がなされていないフロント」という切り口を考える。

確かに、両輪が噛み合っている状態とは言えなかったかもしれない。だかしかし、じゃあ篠田監督に「意向」「やりたい事」などという崇高なものが果たして、そもそもあったのか?と自分は疑問に思う。

今までも、篠田監督の「中身の無さ」「具体の無さ」は気になっていた。まずは元気に頑張る。プレスに走る。そして頑張る。最後は気持ち。負けたらみんなで考える。声の大きい人の意見に全乗っかりして、じゃあ今度はそっちにしてみよう。なのでまずは元気に頑張る…の無限ループ。具体も、そこに至るプロセスもまるで無かった。

唯一、具体的な話が出てきたのは篠田監督最終戦となるHセレッソ戦直前。3-1-4-2移行後からずっと守備面の問題としてあった「サイドに構えたボールホルダーへのアプローチ」について、急に「つるべの動きでDFラインが対処するのが方針」って話が出てきて驚いたレベルだ。

何がしたい。こうしたい。その為にはああであって欲しい。そんな類が一切見えない中で、クラブフロントがどうやって、有りもしない意向に沿った補強が出来るのだろうか。

そんな中でもクラブフロントが獲得してみせた選手は前述の通り。言うなればそれは、上等なたまねぎであったり、超高級魚であるノドグロだったりと、名の通ったブランド銘柄ばかり。これらは、意向もクソも無い中で行える最大限だったと今でも思う。元々冷蔵庫にあった素材も含めて、名前だけ見れば充実したラインナップになっただろう。

しかし、肝心のシェフである監督がそれをどう調理したら良いのかが分からない。

材料を見て、どんな料理が作れるのか?そもそもどんな料理が作りたいのか?それどころか、そもそも俺は和の料理人なのか、中華の鉄人なのか、それともフレンチのシェフなのか?篠田監督本人ですらも分かっていなかったのではないだろうか。

その状況だけでもかなりの問題だが、それはむしろ以前から外から見てても知っていたことだ。今回露呈したのはそれだけではない。そもそも、この店は何を食わせてくれる店だったのか?料亭だっけビストロだっけラーメン屋だっけ?それが実は、お店のオーナーであるクラブフロントもまるで定めていなかったのが露呈したことだろう。

このチームで見てきたものは、思えばいつも「現場の監督のやりたい事」だった。

大熊は本質をとにかく求めた。ポポビッチはワンツーがやりたかった。マッシモは美しい守備がやりたかった。城福はムービングのリベンジがしたかった。

もちろんその目的のために取られる手段の拙さによって、結果として残念なお別れとなるのが殆どだった。ただ少なからずこれまでの監督たちには「やりたい事」があったし、だから我々も「やりたい事」に対しての是非が議論出来ていた。

それら監督の「やりたい事」に隠れて、両輪のもう片方であるクラブフロントの「やりたい事」への意図まで、事細かに知ろうとしてこなかったのは、サポーターである我々の責任だろう。

クラブフロントは果たして、我がクラブを何屋だと思ってたのだろう?何屋の看板を掲げているつもりだったのだろう。そして、数年間共に過ごしてきた篠田シェフの事を、何のジャンルの料理人だと理解していたのだろう?そして、上等なたまねぎとノドグロを一緒に仕入れてきて、どんな料理を作ってもらうつもりだったのだろう?

そういった諸々が、蓋を開けてみたら「どちらにも何もなかった」のである。

「2017年のFC東京」で起きた事とは何だったのか?

それは、篠田監督もクラブフロントも、お互いに「やりたい事が無い」という稀有な地獄だった。両輪にはタイヤすら無く、ステアリングも無く。どちらを向いているのか、どちらを向きたいのかすら示されず。クルマを推進させていく気があったのかすら疑わしい地獄だった。

こうして冷蔵庫で調理されずに眠り続けていた素材は、いつしか賞味期限を迎えるのである。そして一度腐った素材が、採れたてのあの時の鮮度を取り戻すことはもちろん無い。腐ったミカンを冷蔵庫に残し続ける訳にはいかないのである。

 

クラブフロントをどう評価するべきか?ピッチ上の出来事について、査定されるべき人物が立石GMなのか石井強化部長なのかは分からないが、より上位の役割・立場である事を踏まえて、それを立石GMとすれば。

上等なたまねぎを仕入れてきた点に関しては、もちろん評価すべきだろう。たまねぎであれば、和であろうが中華だろうが融通の効く万能食材だろうし、さぞかしお安く仕入れる事も出来たのであろう。

ただ、GMという役職は(クラブによって役割や位置づけは細かく異なるものの)少なくとも上等なたまねぎを仕入れるだけが役割の全てでは無いはずだ。このお店は中華屋なのか牛丼屋なのか?そういったより上段の「やりたい事」を定めるのがGMの役割であるはずだ。

だから立石GMを「上等なたまねぎをお安く仕入れてきた人だからGMとして評価しよう。」とは、なる訳がない。もしそれが本人が嫌だと言うのならば、たまねぎの部分を評価してくれよと言うのならば、いま身につけているGMという肩書はすぐに外して、より本来に沿った肩書であろう「CTO(チーフ・たまねぎ・オフィサー)」とでも名乗ればいい。

そしてそんな立石GMもしくはCTOに、正しく役割を定め、その役割に対して正しく評価すべきなのは、果たして誰なのか?その人の評価はどうあるべきなのか?という至ってシンプルな話だ。

 

報道によれば、来年度の監督候補として長谷川健太に正式オファーを出したらしい。クラブに携わる人間自らが積極的にマスコミにリークしていくスタイルでおなじみのFC東京なので、恐らくこの報道は実際に進んでいる事実なのだろう。特に、森保一東京五輪代表監督に決定した直後のリークなので殊更、信憑性は高い。

ただ、それでいいのか?それだけでいいのか?それよりも重大な何か、欠けているものについては何もないのか?リークを受けての、ファン・サポーターの反応は正直だ

「そういう事じゃねーんだよ。やりたい事は何なんだよ?ウチは何屋なんだよ?たまねぎとノドグロでどんな料理作れっつんだよ!」

ノドグロ たまねぎ」で検索した結果
http://www.sakaiminato.net/site2/page/suisan/conents/report/resipi/nodoguro/

そうかカルパッチョを作ればいいんだな!次の監督は長谷川健太じゃなくて、イタリアンのシェフがいいんじゃないですかね!(超適当)

 

DAZNマネーによって、リーグと各クラブは一時的に大きく潤った。そのお金を、各クラブがどの様に使うのか?また「それ以上の金」をどう掴みに行くのか?急に降って湧いた、重要な立ち回り課題に、各クラブが右往左往する今シーズンだった様に思う。

FC東京においては、選手人件費を上げることにあぶく銭を割き、加えて新選手の仕入れも積極的に進めた。その意図自体は、個人的には「良いギャンブル」だと思っているが、その結果と振り返りは前述の通りだ。

そう、ギャンブルはもう終わったのだ。負けて、フィロソフィーまでオケラになった。

そんな何も残っていない更地に立ち、今この状況に及んでも「やりたい事」が監督次第な事に変わりがないFC東京というクラブ。片輪を担うべきクラブフロントから「やりたい事」が出てくる気配は、未だ皆無だ。

それが定まるまで我々は、6ヶ月程度先の未来にすら当てが無いままに、ただ「有料のJ1公式戦で行われる安間塾」を眺め、目の前の試合の勝敗が何も意味を持たない状態のまま、石川直宏の引退という日を死んだ心で待つしか無いのである。