もっとみんなに知って欲しいぞ!世界最大のサッカー大会"ゴシアカップ2018"遠征記

スウェーデンのゴシアカップに先日行ってきました。

知らない方にとっては「ゴシアカップって何だよ?」「そんな大会に何で行ったんだよ!」という話もあるでしょうが、それらの説明を後回しにしてまず感想を述べれば…とにかく最高でした!みんな絶対に行った方がいいって!!

ということで、来年以降ゴシアカップに参戦しようってクラブ・サポーターの参考となる様、必要そうな情報をWebの海に投げ込んでおきます。これで少しでも、ゴシアカップ遠征行こうかな?って迷っている人の後押しになれば幸いです。


・ゴシアカップとは

ゴシアカップとは、スウェーデンで1975年から続く歴史のある大会であり、育成年代における世界最大規模のサッカー大会(フェスティバル)でもあります。男女それぞれU-11~U-18など各10以上のカテゴリがあり、その大会規模は2018年大会においては…

  • 参加チーム:1,731チーム
  • 参加国:78ヵ国
  • 実施試合:4,424試合
  • ゴール:19,506ゴール

と、世界最大の名にふさわしい、とんでもない規模となりました。

この大会に、毎年Jリーグは前年度の最優秀育成クラブを派遣しています。そして今回は、2017年度受賞クラブであるFC東京が”Jリーグ代表”として、大会の最大権威であるBoys17Eカテゴリ(GOTHIA TROPHY)に参戦しました。

ちなみに、2018年度大会においては、Boys15カテゴリにJリーグ選抜チームが、Girls17Eカテゴリに日テレ・メニーナが参戦し、日本からの参加クラブは計3クラブでした。

ということで、そんな大会で戦う彼らを応援したいと、勝手にヨーテボリに行ってきた次第です。


ヨーテボリにいこう!

ゴシアカップが行われるのは、スウェーデン第2の都市であるGöteborg(ヨーテボリイェーテボリ)です。世間的には、名前は知っているけど…程度の認知度かもしれませんが、

と様々な顔がある、歴史の街でもあります。

ヨーテボリへの行き方に関しては、詳細はググって貰えればですが、そちらを参考にしていただければと。ここでサラッとポイントだけ記載しておくと、ストックホルムorコペンハーゲンから鉄道で入るのを併せて検討するのがコツかと思います。ざっくりと、

って感じの位置関係なので、大阪に行くのに、飛行機乗り継ぎだけでなく新幹線もあるよと。それを知るだけで、手段はかなり広がるかと思います。


ヨーテボリに向けてこれやっておこう

これも詳細はググった方がですが、キーとなるのは

  • 先進国キャッシュレス化No.1スウェーデンは街ナカ屋台もクレカ決済オンリー
  • SIM購入はコンビニでサクッとできるので、手順さえ予習しておけばハードル低い

の2点です。自分は1週間程度ぷらぷらしていましたが、結局スウェーデン・クローナを一度も両替する事なく旅行が終わりましたし、現金自体も見ることが無かったですね。旅行に向けて予め現金用意して持っていくかは、もちろん最後は自己責任でどうぞとはなりますが、少なくとも現金を両替するかどうかよりもVISAカードを用意しとけるかどうかの方が300倍重要かと思います。

あとは海外旅行共通の、定番の下準備として…

  • 利用する空港のフリーWiFi事情を把握しておく
  • GoogleMapのオフラインマップ機能は超便利

オフラインマップ機能、知らなかった…超便利だった…


・”ゴシアカップの街”とは

世界最大規模の大会であるゴシアカップともなれば、行われる試合数も前述の通り4,424試合にもなり、それを一週間足らずでこなすためには、それだけのグラウンド数が必須となります。

そのため、会場であるヨーテボリにはなんと、街中や郊外を含めて何と103個ものグラウンドが!正直、これが一番衝撃的でした…

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当然、必要なのはグラウンドだけではありません。例えば4,424試合を捌く審判員を用意するのだって労力ですが、方やこれだけのレフェリング機会を男女関係なく創出できているという側面は、スウェーデンのサッカー国力に直結する話でもあります。また約3万人もの選手を受け入れるため、宿泊施設は夏休み中の校舎に布団を敷いて雑魚寝という”割り切り”もみられました。

ヨーテボリという街自体はそれほど大きくはなく、市内を走るトラムに乗って数駅行けばすぐに丘陵地帯といった、こじんまりとした印象です。

ただ、そんな街がホストシティとしてこの世界最大規模の大会を、ある箇所では豪華に、またある箇所では質素にと、メリハリをつけながら完璧にオーガナイズされている様子には大変驚きました。

メイン会場のひとつであるHeden地区は、中央駅から徒歩数分程度の場所にあり、大会本部に加えて、1つのメインスタジアムと4つのピッチが集合していました。そう言うとJヴィレッジのような立派なフットボール施設を想像しがちですが、実際はだだっ広い空き地に人工芝マットを敷いた程度のものに過ぎませんでした。

またメインスタジアムであるSKE Arenaなんかは、人工芝マットの周囲を仮説で足場を組んだに過ぎない代物。それが常設なのか、都度壊しているのかは不明ですが、実際にその会場で観戦してみた感想としては「必要十分」。

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もちろん、これが日本でそのまま容易に実現できる訳ではないでしょう。法律も気候も土地事情も、スウェーデンと日本では大きく異なるであろうことは想像できます。

ただ、日本はガッツリと全部盛りを最初から求めすぎてるのかな、それによって機運とスピード感が一気に遅くなるのであればもったいないな…そんなことは思いました。

そういう意味では、これほど規模が大きいとは言えど、大会自体の印象は「牧歌的」なものだったと言えるかと思います。


・絶対に参加すべき!世界中の火力高めサッカー好きが集う「開会式」が超楽しい

牧歌的、と表現してからほんの数秒足らずではありますが、第1日の試合終了後に行われる「開会式」はそれとは真逆の様相。とにかくカネがドバドバつぎ込まれ、化学調味料を山盛りぶち込んだ様な演出てんこ盛りでとにかく最高すぎたんだ!!

会場のUllevi Stadiumは、中央駅から徒歩10分程度の都市ど真ん中にある4万人収容のスタジアムで、まるで長居陸上競技場のような佇まい。そこに約3万人の選手と、チームに帯同するスタッフたち、あと自分の様な物好き一般客とで、スタンド+アリーナ席は超満員札止め状態。

まず入場前のスタジアム周辺の喧騒から面白い。W杯に現地参戦した事のある人であれば、あの会場周辺の多国籍な幸福空間は想像しやすいかと思いますが、それがW杯以上の「78カ国」で構成されるわけだから、単純にW杯の倍以上に楽しい。

加えて、W杯イヤーの開催にたまたま行けたことも非常に良かった。ゴシアカップの大会自体がW杯決勝のちょうど翌日からだったため、いたる所でW杯ネタがイジられまくってる!

例えば…ブラジル選手団が歌って踊っている横で、ガーナ選手団がネイマール痛がりいじりとか。

例えば…イングランド選手団を見つけたクロアチア選手団が、敢えて目の前を無理矢理に横切って、イングランドにバチボコブーイングされたりとか。

けどフランス選手団入場の際には「2018W杯チャンピオン!」として紹介され、ビジョンには決勝の様子が映し出され、スタンドみんなから祝福されたりとかも。

こうして見てると、これほどの様々な国の人が同じものを見て、同じく熱狂して、言葉が通じなかろうとそれを前提にコミュニケーションが図れるサッカーって、改めて凄まじいなと。しかもいる人間の殆どが、強烈なサッカー好きであり、かつ人生50年で一番火力が強い10代の少年少女だから、バチりあいが大艦巨砲同士すぎる。

 

開会式ではその火力が最大限に放出され。また煽る開会式演出もコッテコテにベタ極まりない。

韓国選手団が入場する時は江南スタイルだし、南ア選手団のときはシャキーラだし、ブラジル選手団はサンバデジャネイロだし。アイスランド選手団のときは、あえて曲を止めてバイキングクラップ煽ってからのマッシュアップ。何たるベタ。

しかも謎に生歌生バンド主義で、どれも歌手がゴリゴリに歌いあげる。絶対あいつシャキーラじゃないのに。つまりカラオケ。でも関係ない。火柱はガンガンあがるし(しかも天然芝の上に養生無しで設置)、最後にはWWE並みのファイアーワークス(しかも天然芝ry

 たぶん、本チャンのW杯とかオリンピックとかだと、開会式にある程度の土着感とコンテンポラリーを強要されるところがあるけど、ゴシアカップはそんなの知るか!とニンニクマシマシで超サイコー!!ゴシアカップに行こうと思う方がいれば、開会式には200%絶対に参加した方がいいぞ!!


・Gothia Cup 2018 FC東京U-18戦記

FC東京U-18の遠征メンバーはこちら

U-18は高円宮杯プレミアリーグ公式戦とクラ選初戦がちょうど重なる日程、かつU-23も絡んだりと、クラブとしては選手繰りに非常に苦労をしたかと思います(U-23が絡む問題なのであくまで自己都合)。結果的にはU-17カテゴリながら2年生+1年生+U-15深川むさしからも3名を加えた、幅広いメンバー構成に。ただ同行スタッフは中村忠・右田聡と躊躇のないものともなりました。

また、Jリーグからの派遣という扱いなのもあって、日程もかなり余裕のあるスケジュールに。大会初日から数日早くに現地入りしミニキャンプを実施。調整試合もこなしてから大会に臨めるという好待遇でもありました。

それもあってか、はたまた忠さん右さんの性格上もあってか、初戦からわりと妥協のない本気スタメン編成でこの大会を進めていた様に伺えました。外国の選手を相手に、やれるメンバーやれないメンバーはハッキリと分かれましたが、それが出場時間にも反映されていた。

ただそれが最終的に、準決勝での敗退に繋がるわけで。

単純に相手の戦力としては、準々決勝のBK HÄCKENの方が強かった。あの体格で止め蹴りの角度の作り方とか完璧だったし、あえてのコンタクトで剥がせもするからボールが奪えない。相当に強烈だったけど、相手が2位抜けの当日2戦目だったから終盤で体力がガクッと落ちて、それでウチがPKで勝てた。

それに比べれば準決勝のIFK Göteborgの方が弱かったけど、今度はウチの蓄積疲労が火を吹いた。純カラで技術も何もあったもんじゃなかった。

ひとつは、優勝するのであれば6 or 7試合を6日間で連続して戦う必要があるわけで、準決勝であれだけ純カラになってしまったら、そもそも優勝する資格が無いということになっちゃう。単純な話をすれば、W杯優勝したい!って口にする選手がいたら「じゃあ7試合戦う準備できてますか?」ってこと。優勝できる選手になるための体力、技術ってのが身に沁みたと思う。

加えてもう一つはその手前の話で、体力純カラな中でも、ピッチ上で「それでもクオリティ踏ん張れるか」。やっぱ体力の減少ととともに、もしくはその下げ幅以上に、クオリティ低下を個々が食い止められなかった。ピッチ上にまだ立っていて、時計の針も動いているのであれば、その中での「それでも」を、個人的にはもっと食い下がる姿が見たかった。

そういった、やれたこと、やれなかったこと、やる機会も得られなかったこと、全てひっくるめて貴重な体験だったことは間違いなくて。もちろん、カネ出してもらったJリーグに対してこの結果がどうだったのかってのはあるかもしれないけど。でも現地の観客からの「コンニチワ!コンニチワ!」って煽りに、安里がアップしながら「こんにちわ!!!」ってアンサーかましてくれる様子とか見てると、やっぱり場と機会は有り難いなと。

この機会を与えてくれた、これまでの先輩たちへの感謝を忘れずに。今後のサッカー人生で恩返しする姿に期待したいと思います。

ちなみに同じく大会に参加していた日テレメニーナは、ウチらと同じ17Eカテゴリで見事に優勝!

ウチとは違って、無駄な摩耗を極力させない位に、技術力で相手と差をつけていたかなと。全体的にはもうちょっと、2秒先の未来を予測して、その逆を突くような感じが増えてくると、より読ク魂を感じられて楽しめそうだけど。それが出来ていたのは18番の選手だったかな。ちょっと気になる。

しかしヴェルディメニーナサポはせっかくの快挙なのに誰も来てなかったなぁ〜それで良いのかぁ〜?(急に青赤っぽい煽りスタイル)


・ゴシアカップ絶対に行った方がいいぞ!

ということで、ゴシアカップは最高の環境で最高の体験を得られる、最高の大会でした。行くまではかなり不安もあったけど、サポーターとしてもW杯に行ったときのような体験の連続で、本当に楽しかったです。ヨーテボリ、いい街だったなぁ。またU-14で組まれたJリーグ選抜の選手たちも含めて、選手スタッフにとっても、きっとこれを今後の財産にしてくれるはず。

この様な機会を彼らに与えてくれたJリーグにも、いちサポーターとして感謝を述べさせてください。ありがとうございました!

そして、今年最優秀育成クラブ賞を受賞したトコのサポーターは、来年もゴシアカップ遠征がきっとあるはずと身構えておいて欲しいし、もし派遣されるとなれば是非サポーターも行って欲しい!

ゴシアカップ2019の日程は、既に7/14〜7/20とリリースがされているので、Jリーグアウォーズで受賞が決まったら、そこでもう7月16日〜19日の有給を取ってしまおう(海の日連休なので、有給4日でOK)。

世界にはこんな面白い大会があるんだなぁと勉強になりました。また、せっかくJリーグが数年かけての素晴らしい取り組みなので、大会自体も含めてもっと世間に認知してくれれば良いなぁ。そんな価値が十分ある、今回の遠征でした。

その前に「なぜ田嶋幸三を仕留められなかったか」を、胸に手を当てて考えたことありますか?

 

この手の主張が、コロンビア戦勝利をきっかけに大量に見かける様になったのは、恐らく己の偏ったTLのせいでしょう。そしてその偏ったTLの生成主である”偏見大好き”な自分なので、これらの意見を見るにつけ、

「そういう類のこと言う奴の80%は、コロンビア戦で負けてたらそれをバチボコ攻撃の材料にしようとしてた奴」

だろうなぁと勝手に決めつけてしまう。ピックアップしたこの人たちが80%側に属する人間なのか、はたまた20%側のマイノリティなのかは知ったこっちゃないけど。

ただ、なぜそう決めつけているのか?については理由がある。それは勝利という結果が出た後に「勝利」と主張するダサさに、本人が気づいていない様子が伺えるから。じゃなければ「100回言う」とかイキれないでしょ恥ずかしすぎて。バカが振りかざす正義感とか逆に迷惑すぎて、恥ずかしくて見てられなくないですか?


「結果」というものに対して、80%な方々が見誤った点が2つある。

1つは、ワールドカップで勝つこと、結果を残すことの、意味もしくは重要性・強さを舐めていたこと。自分もコロンビア戦の翌日に会社で、サッカー全く知らない人から「大迫半端ない」を聞かされた時にはW杯の伝搬性に4年ぶりに驚いてしまった。 そして世界でも、その勝利は称賛をもって一気に伝えられた。それらの人たちにとっては、経緯や内部事情なんて知るわけが無いし、むしろ知る必要もない。そして、そういう意見が世間をマジョリティとして支配するのも、言ってしまえば当たり前の事だろう。

そしてもう1つは、今回のJFAによる愚かな決断によってW杯コロンビア戦は惨敗するに決まってる!と「決めつけた」こと。今後起こることを、頭の中で良い方向に勝手に決めつけ、それに何の疑いも持たなかったこと。

それはつまり、サッカーという競技性を真に理解していなかったという話になるだろう。ラグビーのような、実力差と勝敗をひっくり返すのが極めて難しい競技に比べるまでもなく、サッカーはミスのスポーツであり、勝敗が極めて不確実なスポーツだ。日本人はその競技性を、みんな大好き「ジャイキリ」というワードで知っていたはずだ。コロンビアと日本の対戦を「FIFAランキングを日本サッカー界に置き換えたら”ガンバ大阪vsヴァンラーレ八戸”と同じ」だと聞けば、「あぁコレ確かにあり得るやん!あり得なくもないやん!」とは、多くの人が思うはずだった、本来であれば。それらを怠ったのは、決めつけに潜む「傲慢さ」故だろう。

本番であるコロンビア戦で、まさか前半3分で赤紙PKをゲットできるだなんて、もちろん誰もが思いもしない。まさにKAMIKAZEとしか言えない様な事態が、実際には起こってしまった。しかし、それがサッカーでもある。サッカーが好きな人ほど知っていたはずだ、本来であれば。

この2点を謙虚に掴めてさえいれば、普通の考えでは「W杯の結果」を判断材料として使おうとは思わないはずだ。だって勝つかもしれないし、勝った時に世間で起こってしまう事も予期できたのだから。そもそも加える必要は無かったし、加えるべきではなかった。

なのに、世間は徐々にW杯での結果を判断材料として求め始めた。コロンビア戦は惨敗するに決まっていると決めつけ、それが世界中に伝播する事を求めた。

逆に現場の当人からすれば、”W杯での結果”が材料として取り扱われそうな世間の流れにシメシメと思ったはずだ。本来はノーチャンでアウトだったのに、世間が稚拙で遅いが故にワンチャン転がり込んできそうだと。それはクーデターまがいに本件をアシストした選手たちとて同様だ。

 事の実際はJFAという組織のガバナンスの問題だったのに。 W杯の結果なんて関係なかったのに。

むしろ世間が材料として求めたのはW杯での結果だけではない。 西野監督就任記者会見でのたどたどしい姿に求め。ハリルホジッチ前監督が構想していた”であろうと思われる考え”を外部の素人に意見を求め。メンバー選考30人の中身に求め。ガーナ戦に求め。最終メンバー23人に求め。スイス戦に求め。パラグアイ戦に求め。そして、コロンビア戦に求め。

こうして人は、貪欲に、何となくネガティブになりそうな材料を求め続けた。それが事の決断を、余計に後回しにしてきた事に気づかずに。当事者に余計なワンチャンを与えてきた事にも気づかずに。

田嶋幸三の愚行に、W杯での結果が関係ないのは分かった。そんなの知ってる。じゃあなぜ結果が出る前に、田嶋の首を仕留めようとしなかったの?結果って材料は関係なかったんだから出来ましたよね?

必死にかき集めてきたネガティブっぽい材料たちは本当に、全てが田嶋の首を仕留めるために必要な材料だったのですか?そもそもガバナンスの問題をボヤケさせる、論として矛盾を足してしまう、余計な材料だったのではないのですか?

つまりそこには「W杯での結果は直接的には関係ないけど、W杯での悪い結果を材料として強く欲した」想いが透けて見えてくる。

コロンビア戦での惨敗が、単勝2倍のガチガチな鉄板馬券だったのは確かに分かる。けど、そのギャンブルに全額突っ込んで大惨敗した現実を思い知らねばならない。全ての理屈を”コロンビア戦での結果”に着地しようとして大失敗した負債を支払わなければならないのは、はずれ馬券を握りしめた80%だ。そんな人らが、結果が明らかになった後に口にする、

その、何と虚しいことか。


2018ロシアW杯。GLを1勝1分、勝ち点4。

明日のポーランド戦がどうなろうとも、それによってGL突破が叶おうとも叶わずとも、JFAとしてはノルマは十分に達成したと言っていいだろう。こうして、田嶋幸三は今回の件について、まんまと逃げ切りに成功してしまったわけである。

あぁ、あんなにも適当かましていた無能の極み、田嶋幸三が当分はJFA会長として居座ってしまう事が確定してしまったよ。FIFA理事選に、散々根回ししたのに落選した田嶋が。JFA会長選出過程のクローズドさをFIFAに刺されて渋々会長選挙を行ったのに、当選後の原博実霜田正浩への懲罰人事で再度FIFAに刺された田嶋が。それに嫌気をさして岡田武史に逃げられた田嶋が。

どうしてくれるんだよ、80%よ。ホントに分かってる?分かってないでしょ?

あなた方がやるべき事は、「結果関係ない~結果関係ない~」って100回言うことじゃなくて、まずは「結果が出た後にそれを言うことの恥ずかしさを知ること」であり「サッカーという競技を見誤らずに、驕らずに、結果が出る前に仕留めるべきだったという後悔」だよ。

そうやって、胸に手を当てて考えたことありますか?


JFAに田嶋が居座ることで、今後も何かしらめんどくせえ事は起こり続けるだろう。直近で言えば、西野監督続投が早くも紙面を賑わしているし、いずれまた性懲りも無く「秋春制」もぶり返してくるだろう。そんな目に見える未来の災厄に対して、果たして次回こそは本当に、組織に対して適切なメスが振るわれるのだろうか。

もちろん世間の80%がこのままであれば、振るわれることは当然無いだろう。 引き続きWebの世界には「仕留められるかは別にどうでもいいけど、程よく自分は気持ちよくなれる程度の数百・数千のいいね」を狙ったポジショナルご意見が溢れ。しかし実際には本郷三丁目には一切の風は吹かず。

そういった全部をひっくるめて、日本サッカーのガバナンスの問題と呼ばれるべきなのかもしれない。


…といったところでお時間となりました。それでは最後にこのナンバーをお聞き頂きながらお別れとなります。RHYMESTERで「余計なお世話だバカヤロウ」。

ありがとうございました~。

サッカーにおける機械判定の未来は「オフサイド判定」一択である

スポーツ競技において機械判定の導入が盛んではあるが、どうにも成功しているとは言い難い事例が多い様に思える。

例えばラグビーのTMO。

レフェリーのジェスチャーをきっかけに行われるビデオ判定は、スタジアム内ビジョンに疑惑の場面がリプレイで映し出され、レフェリーとファンが同一の素材を基に検討を行う。場内ではファンの緊張を煽るようにBGM演出も施され、緊張の空気がスタジアムを包み込む。

しかしトライの成否をビデオリプレイで判定しようにも、ラグビーというスポーツが”密集の競技”である性質上、どのカメラ角度から見直しても密集が邪魔をして、クリティカルな箇所を覗けない場面が殆どだ。

例えば野球のリクエスト。

内野ゴロの際どい場面で守備側のキャッチが先か、はたまた打者側のベース到達が先か。もしくはスタンドに入った大飛球が、ポールの内側を回ってホームランなのか、外側でファウルなのか。

自分が見たTV中継(CSフジのスワローズ中継)で初めてリクエスト制度を体験したが、何てことはない所詮テレビ局の中継用素材を、そのままリプレイで見返して検討するに過ぎない。コマ数の荒い映像を何度リプレイで眺めても、アウトかセーフか決定的な瞬間は捉えていない場合が殆どだし、ポール専用のカメラを置いている訳でも無いから飛球の行方を追うことも、ホームランかの判定も結局まともに行えない。

それぞれ、ビデオ判定を経ても「やっぱりよく分からない」の理由を補強する結果にしかならなかったが、ファンも審判自身も、何となくそれについて文句を言うのも許されない空気感。それなりの時間をかけて得られたのは結局、心の中のモヤモヤとした気持ちだけ。

このモヤモヤ感、これって「たまたま」の域を超えて、ビデオ判定の「あるある」ではないだろうか。


スポーツにおける機械判定の歴史をしっかりと調べてはいないが、脚光を浴びたのは恐らくテニスでのチャレンジ制度導入がきっかけだろう。そのテニスでの成功を後押しに、各競技でも機械判定導入の検討が始まり、昨今の状況にまでなったと考えられる。

どんな競技においても、いわゆる誤審問題は多かれ少なかれ必ず付きまとい、競技連盟としては頭を悩ませていたはずだ。テニスにおけるチャレンジ制度の成功がきっと羨ましかったに違いないし、誤審問題を解決するためにアプローチを進める事自体は間違っていない。だがその殆どは成功しているとは言い難い。

その差は果たしてどこにあるのか?

テニスのチャレンジ制度においては、ホークアイシステムの導入によって、ボールがどの位置に入ったかがミリ単位で分かる。インorアウトを分ける線上に、ボールが数ミリかかっていたかどうかが、会場でも中継でも瞬時に明らかになる。その判定に当初は疑惑を向けていた人間も、チャレンジ結果の映像を見させられたら黙って従うしかない。

テニスと同じように、フェンシングも機械判定の導入で成功した事例だろう。剣と防具の工夫によって、打突の判定を機械的に実施。当初は太田雄貴も、押し込みが足りない打突だと機械が判定してくれないと「当たり判定」に苦労していたという話もあり、定着までの過程においては競技者側の”歩み寄り”もあったのだろう。ただ、その機械による当たり判定も、ランプとブザーによるアナウンスで競技演出にまで昇華された事によって、それが競技自体の価値も高める事に成功している。


こうして少ないながら成功事例を並べてみると「機械判定によって、瞬時に、100%嫌疑が晴れるかどうか」の違いが成否を分けている事がよく分かる。「瞬時に」「100%嫌疑が晴れる」制度だからこそ、競技者もファンもこの制度を受け入れ、競技としても馴染んだのだと思う。

それら成功事例に比べれば、ラグビーや野球のビデオ判定が、何故上手く機能していないのかは明らかだろう。

そしてサッカーにおいても、ロシアW杯において試験的にビデオ判定(Video Assistant Referee)が導入される。ここまでの話を踏まえれば、この先の未来で起こるであろう出来事も、容易に予言ができそうではあるが…もう少し話を続けてみる。


ビデオ判定の議論の際にデメリットとして挙がるのが、判定に費やす時間によって、競技が中断され、そのせいで競技の連続性が途切れてしまうという部分がある。もちろんそれは、競技自体が大きく変わる重要な話ではあるのだが、しかし議論の本質とは微妙にズレているなと自分としては思う。

例えばサッカーにおいては以前「飲水タイム」「クーリングブレイク」導入の際にその手の議論となった。ある一定以上の気温や天候により、選手に熱中症の危険が高い場合において、試合中に水分補給のための中断時間を設けるというものである。

競技の連続性に関わる話なので、当然大きな議論となった。選手の集中が一度途切れてしまう難しさもあるし、中断中に監督が選手に直接指示を行えるかどうかも大問題となった。それでも今となっては当たり前の様に「飲水タイム」も「クーリングブレイク」も、現場ではスムーズな運用がされている(様に思える)。

もちろんそれは、悪い意味での慣れの結果もあるかもしれない。しかしそれ以上に、選手も関係者も、その制度の必要性を真に納得していたからこそ、制度がスムーズに現場に浸透したのではないだろうか。熱中症対策としての本制度自体の必要性は、そもそも言わずもがな。そのためであれば、中断というイレギュラーも受け入れるし、そのルールを前提に競技というものを考え始める。それは必要な「競技の柔軟性」の範囲内であろう。

つまり、ビデオ判定の導入によって連続性が途切れようとも、その必要性を誰もが感じていれば、そもそもこういった議論にはならないのだ。「時間がかかる割には、100%嫌疑が晴れる事は無い」程度のものに、なぜ競技の連続性を差し出さねばならないのか?単純に、ビデオ判定自体の必要性に全く腹落ちしていないだけのシンプルな話だ。

使うからには、それによって判定のスピードが瞬時で、かつ精度が100%を担保できなければ意味がないのだ。精度40%程度だったのがビデオ判定によって60%になりますよ…では何の意味もない。メリットよりデメリットが上回り、であればやらない方がマシだとなる。当たり前だろう。


ちなみに、ロシアW杯でのVAR導入に際しては、その辺りの理屈を越えるために「ディスカッションを要する場面ではそもそもVARは用いない」としているらしい。VARの要点をまとめると下記とのこと。

・試合を左右する事象に対してのみ使われる。
・明らかに間違っていたり、不公平なものを正すことで、100%の精度のためではない。
・完璧ではない。グレーエリアがある。
・多くのエラーを排除しようとすると、アメフトみたいになってしまう。
・監督や選手からの異議で行うものではない。
・VARが自動的にチェックしてくれる。

VARを検討するにあたって、これまでの事例から学びながら、慎重な議論を重ねてきたことは確かに伺えるが…

様々な点で指摘の余地は複数あるが、やはり一番気になる点は、結局これまでの話の流れで言うところの「瞬時に」が解決出来ていないのでは?という部分だろう。

それは試合の連続性という観点以上に、判断の時間を多く与えるほどに、それが「100%嫌疑が晴れる」状態から遠のいてしまうという人間性の観点に依る部分だ。「これが2分程度で判断していい場面かよ」「10分かけて、結局その判定かよ」時間がかかるほどに、受け取る側の疑惑は膨れ上がってしまうものだ。

だから、その余地が無いほどに「機械的に」「瞬時に」であることが必要なのだ。


ここまでを踏まえて考えると、どうしてもサッカーにおいてVARが成功するイメージが湧いてこない。とは言え誤審問題を放っておく事もまた、許される訳が無い。

ではサッカーにおける機械判定の未来とは果たしてどのようなものなのか?どのような進化がサッカーにとって幸福と言えるのだろうか?

ここでようやく表題に戻れる。サッカーにおいて「機械によって、瞬時に、100%嫌疑が晴れる判定」が実現できるのはライン判定の類、特に「オフサイド判定」の場面においてのみなのである。


オフサイド判定を巡る現状として、まずアシスタントレフェリーがトップカテゴリーにおいて正確なオフサイド判定を行うのはもはや不可能な状態がある。

クリスチアーノ・ロナウドアザール、国内でも伊東純也や永井謙佑といったフィジカルエリートを相手に、DFラインは刹那の駆け引きで対処を仕掛ける。その攻防スピードに付いていきながら、かつ正しいオフサイド判定を行うというのは無理がある。加えてアシスタントレフェリーの場合は、進行方向正面を向きながら走る訳にはいかず、横(ピッチ側)を向きながら、全体視野も確保しつつ…といったディスアドバンテージもある。アシスタントレフェリーとしては正しいとは言えない立ち位置から、ある程度”想像による補完”も加味してジャッジをせざるを得ない場面も多いはず。ただこれを責める訳にはいかないだろう。

方や、オフサイドの判定であれば機械を用いることで「100%の判定」実現への可能性がある。スタジアムには複数のカメラが備え付けられ、競技的にもラグビーの様な視認性の問題も起きづらい。映像技術のひとつとして「自由視点映像」なるものが実験的に行われているが、この技術の延長上に「100%オフサイド判定ができる未来」を想像するのは容易なはずだ。

加えて、オフサイド判定には時間を要さない。オフサイドラインから出ているか出ていないか、2択の判断であれば完全オート化で機会に判定を委ねても問題ないはずだ。

もし映像技術が追いつかないのであれば、例えば各選手に判定用のチップを携帯させることで、カメラだけでは補いきれない部分も安価にカバーできるかもしれない。今やピッチ内の走行経路をGPSで計測している世の中、オフサイド判定への転用はイメージがし易い。ピッチ四隅のコーナーフラッグをアンテナとして転用すれば、得られる情報はより補強されるかもしれない。これまでオフサイドは「手と腕以外の部位の、味方ゴールに一番近い点」であったが、それが「チップの位置である」と競技規則が書き換えられる様にでもなれば喝采だ。

機械判定によって瞬時に行われたオフサイド判定が、例えばスタジアムに新たに常設された赤ランプ点灯でアナウンスされるようになれば、観客としても面白い。佐藤寿人の抜け出しに赤ランプが灯…らない!的な妙味は、サッカーという競技の価値自体を高める事にも繋がるだろう。

技術的な問題があるとすれば、ボールを蹴り出すタイミングが何処なのか?の見極め部分だろう。競馬や水泳競技のように、いつも同じ位置同じタイミングで判定が行われる訳ではないので、オフサイド判定においては最重要な情報のひとつである。

現状は、そのタイミング判断には人間による入力アシストが必要かもしれない。だがゆくゆくは、ボールに仕込まれた加速度センサーで捉えるなり、もしくは映像技術で補うなど、手段は現時点でもいくつか思い浮かぶ。その時点で、それはもう「目の届く範囲の未来」と言えるだろう。

こうしてオフサイド判定を機械に一任することが出来れば、アシスタントレフェリーはその重責から解放され、オフサイドラインを見極める線上に立ち位置を縛られる必要が無くなる。

代わりにアシスタントレフェリーはピッチ上で起こる複雑な事象に、より目を配ることが可能だ。主審と協調し、ピッチ上への監視の度合いが高まれば、重大なファウルを見逃す事も減り、誤審問題の解決にも繋がる。そもそも選手としても、不要なファウルを行うことすら躊躇われる様になるはずだ。

結果、自ずとサッカーという競技自体の価値も上がっていくのではないだろうか。


サッカーにおける機械判定の未来とは…?

サッカーのルール制定などを決める機関であるIFAB(国際サッカー評議会、International Football Association Board)が、慎重かつ丁寧な議論の末に決定されたVAR導入について、我々はまずそのチャレンジについて細部まで理解し、尊重するべきだろう。

その上で、VAR施策の成否、そしてサッカーにおける機械判定の未来について、他競技の事例を参考にしながら、自分なりの意見をまとめてみたのが本件である。

「瞬時に」「100%嫌疑が晴れる」が叶わないVARは、サッカーにおいては恐らく失敗するのではないか。サッカーにおける機械判定の未来は「オフサイド判定」一択である、と。

その答え合わせを、ロシアW杯での楽しみの一つとして据えてみたいと思う。そしてW杯壮行試合として行われるガーナ戦は、国内としてはクラブW杯以来の、また日本サッカー界が主導して行われる試合としては初めてのVAR対象試合となる。

貴重な機会となるガーナ戦において、VARは果たして何を映し出し、ファンにどんな”体感”を与えることになるのだろうか。

…ただ、そんなことよりもVARは、スタジアムに設置する前にJFAハウスの会長室にでも設置した方がいいんじゃないかな、という方が上回ってしまうのだが。


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FIFA.comのまとめページは、外国語が分からなくても一見の価値あり。FIFAがカネとトレーニング時間をつぎ込んで、意地でもVARを成功させてみせるぞという気迫を感じる代物。文中では失敗すると予想しているけど、FIFAの本気の取り組みぶりはリスペクトに値するものだし、実際はどっちにも結果は転びうるとは思う。果たしてVARはどうなるか?それがポジティブに楽しみでもある。

「やらなければならないプレー」を何回出来たか? J3リーグ第3節 AC長野パルセイロvsFC東京U-23

AC長野パルセイロvsFC東京U-23戦を観に行った。

三月としては異例過ぎる寒さ、そして雪。軽井沢など道中はまさに「トンネルを抜けるとそこは…」状態だったが、通り過ぎて長野Uスタジアムに着いてみると、雪は舞うものの積もりはせずで試合は無事に開催された。もちろん、ゲキ寒なのには変わりないけど。

そして試合は0-1で敗戦。前半は互角以上にやり合えたていたが、後半に相手のシュータリングによって長野が先制。その後、相手の退場により東京が数的有利となったが、そのビハインドを覆す事は出来なかった。これで開幕3連敗。これまでの過去2シーズンの開幕時に比べれば内容はだいぶ良いものの、気になる部分が無い訳ではない。

 

FC東京U-23の絶対値。

前節YSCC戦を受けて、新高2コンビの木村誠二・バングーナガンデ佳史扶のコンビは変化を示したと思う。誠二は相手の高さにも負けず、裏のカバーもそつなくこなせる様に。カシーフは守備はまだまだ改善できてはいないものの、ボールを持って仕掛けるといった本来の長所が多く発揮できた。またこの日はジャキットが出色の出来。運動量と前への推進力が相手を苦しめ、対面である河合の退場を誘いもした。YSCC戦のジャキットはイマイチに映ってただけに、予想を超える活躍だった。

総じて、U-23の絶対値は前節に比べて確かに高まったように伺えた。

対する長野。肌感にはなるが、強さで言えば長野<YSCC。長野の守備強度には緩さを感じ、東京としては「奪われる感覚」はさほど無かった。攻撃においてもYSの3人目動線の複雑さは見事で、動線が単純だった長野とは差を感じた。

せっかくFC東京U-23の絶対値が高まった感をうけたのに、長野の程度をもって割り引いて見ないといけないのが、むしろもったいなく感じた位。だから退場により相手が10人とはなったが、試合としては11人vs11人だろうと「勝つべき試合だった」という印象だし、それが相手に一人退場が出たのであればマストに近い。

勝つならばここだったと思う。しかし勝てなかった。その結果にとやかく言うつもりは無いけれど、しかしそこに「勝利に導くプレー」があった感じはしなかった。そこは気になる。


個人的に感じた潮目は、後半立ち上がりの48分。前半の相対差そのままに、いきなり迎えたまぁまぁなチャンスの場面もシュートまで繋げられなかった。

よく「ゴールから逆算したプレーを…」とは言われるが、その一連において個々がどの様に関わるか?という問題がある。例えばゴールからの逆算をと個々が真剣に考え実行しようとも、その結果、前線の2人がどちらもラストパス役を担おうとすれば、そのチームプレーは「ゴールからの逆算」とはかけ離れたプレーとなる。ラストパサーもシューターも、役割としては1枠のみであり、役割や状況に応じてフレキシブルにその席が埋まることが本来の理想であろうか。

もちろんシステム上で役割を固定するか、もしくは当人の気質の問題によって自然と決まるのであれば話は早い。U-23では開幕から原大智がシューターを担っていた。YSCC戦の終盤では、あまり角度の無い位置でも無理目にシュートを打ち切った場面があり、ゴールとはならなかったが自覚を感じる素晴らしいプレーだったと思う。

しかし長野戦は代表活動により大智は不在。誰かがシューターを担わなければならなかった。しかしその席に座ろうとした選手は果たして誰がいたか?

それは終盤のピッチ上では、品田愛斗と途中出場の寺山翼程度だった様に思う。

 

この場面において主体的に名乗りを上げて欲しかったのはもちろん、2トップのリッピヴェローゾと内田宅哉である。

リッピはYSCC戦同様にカットインからの左足ミドルを狙ったが、どちらも枠を大きく超えてしまう。パワー不足でボールに抑えが効かない、2戦ともに同じ様な外し方だったので、その型ではゴールの期待値がそもそも低い。

内田に関しては本来であれば、唯一のルヴァン組としてこのメンバー内では攻撃を引っ張っていかねばならない立場。平岡リッピの機動力をどう押し出すのか、どう関わって、自らが結果を残して、再度ルヴァン組として出場機会を狙うのか?そういう意欲が「シューターの席取りゲーム」において全く見られなかった。

皮肉なのが、途中からFWに入った寺山のプレーが非常にFWらしく効いていたことである。相手DFライン上を泳ぎながら、まずは裏抜けで前にベクトルを示す。それによってDFラインを下げた上で、ギャップに降りてボールを受けようと示す。それは内田リッピがDFラインの駆け引き無いまま、降りた位置に「居続けて」ボールを貰おうとする姿とは大きな差があった。


サッカー選手にとって「やりたいプレー」と「やらなければならないプレー」のバランスが重要なのは言うまでもない。

トップチームにまずはお客さんとして混ざろうとしている岡崎慎をはじめ、新しくチームに入ってくる若手選手には、まずは「やりたいプレー」を出し惜しみ無く発揮してもらう事を求められる。

しかしその裏で、他の先輩たちが「やらなければならないプレー」でフォローをしているのは言わずもがな。だからいつまでも新人は「やりたいプレー」ばかりをしていられる訳ではなくて、徐々に「やらなければならないプレー」でも貢献できる事を示していく必要がある。それが途中出場止まりの選手と、スタメン11人に名を連ねる選手との大きな違いの1つだと自分は思う。

小川諒也が2016年にスタメンを奪い切れなかったのは、まさにこの点が問題だった。2017年には太田宏介の再加入によってU-23に出戻りとなってしまったが、U-23では持ち前の兄貴肌が(意外にも)良い方向に転がって「やらなければならないプレー」の経験値がだいぶ積めた様に思う。いまマコと共にトップチームに食い込もうとしているが、あの時とは違う経験値を携えた殴り込みは、個人的にも楽しみだ。方や久保建英は逆にU-23でもっと「やらなければならないプレー」を問う立場で経験を積ませたかったのが正直なところだが…まぁ、ああもチーム唯一な活躍をされたら仕方が無い。

こういった「やらなければならないプレー」を重く要求される環境こそが、U-23J3で戦うことで得られるメリットでもある。これがサテライトリーグもしくはTMでは、位置づけ的にも環境的にも「重さ」がどうしても伴わない。

ここまで整理してみて思うのは、自分がU-23で観たいのは各選手の「やりたいプレー」よりも「やらなければならないプレー」なのかもしれない。そして長野戦においては、特に内田の「やらなければならないプレー」が見られなかった事が不満だったのだろう。彼がそういうプレーヤーでないことは分かっているが、逆に彼の格ではそれはもう許されないとも思う。


日曜日はホーム西が丘でカターレ富山を迎える。

J1リーグはインターナショナルマッチウィークにより中断期間となるが、FC東京は土曜にTM流経大戦を予定しており、そのためトップチームの選手がU-23に出場するかは長野戦以上に不透明だ。またU-18は高円宮杯プレミアリーグ開幕に向けて最後の総仕上げとなるドイツ遠征に向かったが、それを欠席してまでも西が丘で「現場待機」を強いられる選手も多いだろう。

引き続きメンバーが揃わないことが予想されるが、であろうともU-23選手たちには、長野戦では少なかった「勝利に導くプレー」を求めたい。特にシューター不在で誰かが絶対に担わなければならない中で「じゃあ俺がやるよ」と名乗り出るプレーを多く見たい。

そういった「やらなければならないプレー」を数多く積み重ねる事が、チームを引っ張るという事なのではないだろうか。そんな姿が板につくくらいでないと、U-23卒業はまだ遠い。

未来を感じれるのは分かった。だからこそ今年は未来を”具現化”して欲しい FC東京U-23 2018シーズンプレビュー

2018JリーグYBCルヴァンカップGS第1節を、画面越しながら観戦した。

J3リーグ開幕までにこのU-23シーズンプレビューを書こうと思っていたのに、その前に大部分のU-23戦士たちが今シーズンの公式戦初出場が果たされる恰好となった。

トップチームの実情が反映されているのは間違いない。ひとつは5月中旬頃まで週2~週3ペースで試合が続く「J1-ルヴァン-J3の過密日程」問題。そしてもう一つが、開幕からの2試合で明らかになった「トップチームの人材不足」問題だ。


トップチームの具合については、概ねシーズンプレビューに書いた通りに進行しているように伺える。しっかりと「普通」なサマに、観てる側は昨年比で心地よさを受けるであろうが、大事なのはその先だと。そんな「デトックス効果が消えた先」の景色にフォーカスをしてみたが、既にデトックス効果は薄れつつあり、「先」を迎える日は、思っていたよりも近いのかもしれない。

2戦を終えて、1分1敗の勝ち点1。結果もさることながら、開幕からホーム連戦だったことも相まって、成績がデトックスを早くに消耗してしまったことは間違いないだろう。

長谷川健太監督の思考は、ここまで至って明瞭だ。やろうとしていること。そのための手段。選手たちへ求めること。選手たちの評価。試合においては対戦相手をどう理解し、90分の進行をどの様に捉え、その軌道修正を「采配」としてどう行うか。細かい説明を受ける必要も無く、見る側としても非常に理解がしやすい。

ベガルタ仙台戦での采配はそれが顕著に表れた。失点を食らい、さあ反撃をとなった際に健太監督は、まず米本を下げ、最後には室屋を下げた。そこから透けて見える「選手評価」もまた、やはり明瞭だろう。

それらが監督にもサポーターにも認識が共有されているからこそ、このルヴァン杯第1節の布陣が蓋を開けてみても、その事情を理解し、また期待もしたはずだ。人材不足を救ってくれる、新たな選手の台頭をと。

しかし試合はマリノスを相手に0-1敗戦。今年のマリノスらしいスタイルに守備で動かされ続けたものの、それでも瞬間の勝利の芽も見えただけに悔しさの残るものとなった。ここで結果を掴めれば、チームとしても個人としても得るものが大きかったが…


試合中に散見されたミスだったり、試合後の選手コメントでも言及されていた「精度」の部分にフォーカスを当てて、分解してみる。いわゆる決定力不足と呼ばれるものに対しては、その解決策として「焦るな」だとか「一拍落ち着け」だとか「アイデアを」だとか、所詮中身の無い概念的な事ばかりが外野から指摘されることも多かった。そうではなく、まずはチームとして抱えてしまう「精度の負債」に目を向けるべきだろう。

「精度の負債」を説明する。

例えば9本のパスが連続して成功し、10手目のフィニッシュでゴールできなかったとする。そこでフィニッシュの精度、もしくは9手目のラストパスにだけフォーカスして「決定力不足」としてしまい、ゴールまでは進捗率90%、残りたった10%足らずだから後もうちょっとだなぁ〜さてどうしよう?とはもちろんならない。

実際はそこに至るまでに、成功したとされる9本のパスが繋がる毎に「精度の負債」が生まれては溜まっていく現実がある。1手目のパスが0.5mずれ、2手目の受け手はそのズレを吸収するだけの「止める蹴る」を発揮できず、また新たに0.5mずれ…を9本積み重ねていけば、フィニッシュの10本目時点では4.5mのズレが「精度の負債」としてシューターに押し付けられる事になる。

メートル視点のズレもあれば、秒の視点もある。パスの弾道が無駄に跳ね、止めるボールもブレて、1手あたり0.3秒のムダが繰り返されれば、同じくフィニッシュ時には2.7秒の負債がのしかかる。

ましてや昨今は、インテンシティや球際などが持て囃される時代。これらは直接ボールを奪い切る部分だけでなく、相手に精度の負債を背負わせる部分でも機能する。ただでさえ止める蹴るで0.3秒の負債を生みがちな選手にとっては、それが相手のプレッシングによって0.8秒にもなりかねない。負債を生むこと、負債が重なることが続いていけば、フィニッシュを担う選手に求められる「清算量」は計り知れない。シューター自身に清算できるイメージが持てなければ、10手目でもシュートを打とうとはせず、さらに11手目、12手目…と、まるでチーム全体が味方のミスを待つかの如く「先送り」が繰り返される。

FC東京のトップチームが抱えているのは、まずこういった精度の負債だと考える。コミュニケーションの有無や、アタッキングサードの仕掛けだのアイデアだのもあるだろうが、それ以前に1手目から5手目までの序盤(いわゆる「ビルドアップ」)において発生する負債が無駄に多すぎる。それは仙台戦の評価を見れば明らかだろう。


ルヴァン杯マリノス戦に戻る。この試合においても、フィニッシュにかかる際にはなかなかの負債を抱えている様子が見て取れた。しかしここでの負債は、これまで説明してきた精度の負債とは多少、趣が異なる。技術的な上手い下手もあるがそれ以前に、そもそも選手には余力が残っている様には伺えず、それによって精度が適当になっているシーンが多かったように思える。

「疲れた時に1回、変なパスを出してしまったので、精度は疲れた時にも落としたくないというのはありますね」

プレーの際には、インテンシティの名のもとに相手とのコンタクトが当然伴う。その場では当たり負けをしていない様に伺えても、そのイーブンコンタクトのために必要な出力が、10%程度で済むのか常に30%は必要なのかとでは、当然のちのちの消耗度は大きく異なる。8手目~10手目といった1セッションの終盤において、もしくは90分という時間軸での終盤において、いわば「余力の負債」が蓄積され、それが精度と思考を著しく低下させてしまう。

端的に言えば「パワー不足」。そしてそれは、昨年のU-23でも多く見かけられた重大な問題だ。


昨シーズンのU-23を振り返ると、チームとしての堅牢感・重量感を担っていたオーバーエイジの有無で、試合内容は大きく異なった。OAがいる試合においては、たとえJ3のAクラス相手であろうと互角に近い勝負が出来るときもあったし、方やいない試合では球際の地上戦からセットプレーでの空中戦までペシャンコに潰れる場面が多く見られた。U-23選手のパワー不足は明らかで、J1で活躍する以前にまずは、J3を戦えるフィジカルを備える必要にぶち当たった昨シーズンだった。

もちろん根深い問題だし、短期間に解決できる問題ではない。長期的に、計画的に、個々の意識を支えとして取り組まなければならない話となる。しかし、それが容易に解決できる環境にU-23が「無い」というのは、FC東京U-23の構造的欠陥として自分が考えている仮説だ。

つまり、J3で多くの出場機会を与えられ過ぎているのではないか。言い換えれば、所属Div.に適したフィジカル強化を行えるヒマが、彼らに猶予として残されているのか?ということだ。

だからこそ、限られたチャンスであるオフシーズンを利用して、何とか個々で取り組んでもらうしか無いと期待していた。しかしこの試合ではまだ、その兆しは見えてはこなかった。今年もまた、試合に出てはパワーで潰されての経験を繰り返す事で(結果的に)フィジカル強化を進めていくことになるのだろうか?

ここに、個人的には結構な危機感を持ち始めている。


今年、自分がU-23に求めたいのは、端的に言えば結果だ。

もちろんこれは、J3リーグの順位表の話ではない。現行のU-23参戦レギュレーションであれば、2016シーズンの10位・2017シーズンの11位くらいが望んでいいMAXだろう。むしろ、これより上位になれる選手構成はU-23として抱えるべきではない。そんな選手がいるならば、トップチームに引き上げるもしくはJ2にレンタル武者修行に出すべきだろう。それがU-23の「思想」だ。

順位的な結果ではなく、求めたいのはそういう思想的な結果だ。各選手のU-23卒業であり、トップチームでのスタメン奪取だ。

そのためには、少なくともJ3では個として圧倒できる位でなければ、フィジカル的に最低限の順応が果たされていなければ、J1で戦えるはずが無い。

ルヴァン杯では控え中心ながら、J1の横浜Fマリノスが相手だった。J3開幕戦の相手は、昨年ボッコボコにやられたアスルクラロ沼津。J1だったからなのか、J3でもなのか。最高の試金石を楽しみにしたい。

 

U-23というチーム・施策に対して、何となくぼんやりとでも未来を感じてくれているサポーターは、この2年間で非常に増えた。観客動員は減少したかもしれないが、その分「濃度」の高まりも感じられた。FC東京U-23が追いかけ甲斐のある面白いチームなのはこの2年間で示すことが出来た。

だからこそ、そんなサポーターに向けて、U-23戦士たちには今度は、より明確に”具現化”した未来を、プレーで示して欲しいのだ。