FC東京U-23で、前田”ルーコン”遼一の夢を見る

2018 J3リーグ第30節、グルージャ盛岡vsFC東京U-23

後半途中から安間監督は布陣に手を加える。オーバーエイジとして出場していた富樫敬真前田遼一の位置を入れ替えた。左SHを務めていた敬真はFWに、かわりに遼一は左SHに入る。

これが強烈にハマる。前半0-0だったのが、後半2ゴール無失点。安間采配がドンズバに決まる。敬真と遼一、両者にとっても気持ちよくプレーが出来たということだろう。

 

何といっても左SH前田遼一だ。

身体を背負う強さとボディバランス。ボールを置く位置に感じるインテリジェンス。派手さはなくても確実に相手の逆を取り、そして丁寧な技術でパスを届ける。FWとしてボールプレーヤーであり続けたその振る舞いが、そのままサイドの位置でも遜色なく輝く。収めどころ、起点がFWだけでなくサイドにも置かれ、それがチームにも好循環を生み出す。

思い出すのはルーカス・セベリーノ。彼もまた体格を備え、ボールプレーヤーであり、多くのゴールを生み出してきた選手だが、FWとして戦い続けるには難しい年齢に差し掛かってからはSHとして存在感を発揮。34歳で引退したラストシーズン、J1リーグ戦34試合11ゴールは見事の一言に尽きる。

そんなレジェンド・ルーコンと、この日の前田遼一が重なって仕方がなかった。

考慮しなければならないのは、対峙していたグルージャ盛岡の力量だろう。J3リーグはAクラス、Bクラス、そしてCクラスとチームの力量がはっきりと分かれる。17位中16位に位置する盛岡はハッキリとCクラスのチーム。実際この試合で矢島輝一は相手の力量を測ってか、GK波多野豪からのゴールキックを、多くの場面で胸トラで収めようとしたし、実際に多く成功もしていた。それを考慮すれば、そりゃ前田遼一の力量であればどのポジションだろうと…

それでも、そのプレーぶりをクラブレジェンドと重ねてしまっては、現実的なものさしは一旦隅に置いてしまいたくもなる。

 

長谷川健太監督の下、FW前田遼一は何ともピリッとしなかった。ディエゴが未知数だったシーズン序盤も、そのディエゴが出場できない試合のときも、途中出場で攻撃にパワーを掛けるジョーカーとしても。何度も期待を込めて出場機会を与え、しかし明確な回答は示すことが出来なかった。

単に健太監督のスタイルとの、相性の問題もあるかもしれない。しかし前田遼一も37歳。例え違かったとしても、それを”衰え”と紐付けられてもやむを得ない。そしてここにきてのJ3出場。正直、来年は無いかなと覚悟もしていた。

けど、そこにちょっと未練が増える内容だったのには間違いない。

実際、今シーズンのFC東京を悩ませた一つが、SHの駒の少なさだ。長谷川健太監督が求める徹底した守備意識とファストブレイクに求める出足の速さ、SHはどのポジションよりも負荷が求められるポジションだった。東慶悟大森晃太郎の2枚に田邉草民が食い込む3枚体制でのローテーションは、夏場の疲弊を分散しきれずに、結果としてチーム失速の大きな原因の一つとなった。

もちろん、遼一にシーズン主力で連戦をこなしてもらおうというのは流石に無理があろう。ローテーションの4番手、願わくば3番手として、谷間を担ってくれれば十分だ。それがルーコンのあの姿を思わせる、偉大なるJリーガー前田遼一の「もうひと花」だとすれば最高でしか無い。

 

セカンドチームのU-23で、37歳の大ベテランの夢が広がるんだからやはりこの制度は面白い。人の可能性は、どのタイミングでも無限に広がるということだろう。

J1もJ3もともに、残り3試合。気づくのが遅すぎた自分が悔しいくらいだ。前田”ルーコン”遼一の夢を、来年ももうちょっと見てみたくなった。

証明された「環境」問われた「指導」 FC東京U-23 3か年総括

U-23のことを考え、アウトプットするような人は日本では数少ないから、こういう記事を読むと何だか勝手に嬉しくなる。

Jリーグ、そしてガンバ大阪セレッソ大阪FC東京によって実験的に行われてきたU-23施策も、2018年で3シーズン目となった。そんな2018シーズンも、夏の中断機会を経て後半戦に突入。夏の気候も一気に収まり、いよいよ終盤戦の匂いが強くなってきた。そして大きな施策も「3年一区切り」と考えれば、一旦の振り返りとジャッジがそろそろ求められてもおかしくないだろう。

そんな時期なので、セレッソ大阪においては先ほどのような記事も出てくるし、ガンバ大阪に至ってはU-23から撤退するといったニュースが聞こえてくるのも(内容はさておき、所詮久保武司と言えども)事象としては分からなくもない。

そして、FC東京U-23である。そろそろ、一区切りの振り返りを行ってもいい時期だろう。


まず、自分なりに選手育成に関する要素を整理してみる。

フットボールクラブが構えるアカデミーが、サッカー選手に対して+αの成長機会を与えるとなった場合に、そこに絡む要素はざっくりと「環境」と「指導」の2つなのかなと考える。それぞれを言い換えれば、環境=ハードであり、指導=ソフト。まぁ恐らくはサッカーのみならず、どんな競技どんな選手、どんな職種どんな人生においても共通して言える要素だろう。どんな環境と指導を、所属する選手に対して提供できるか?それぞれの価値が合わさって、アカデミーの価値が測られる。

と前置いた上で、FC東京U-23を「環境」と「指導」に分けて考えてみる。

U-23は環境と指導の2要素で言うと、まずは「環境」面での寄与ぶりが大きく目立つ。

環境と一言で言っても、その中身は多種に渡る。

例えばひとつは、選手に経験を与えるという側面。具体的に言えばJ3リーグ公式戦の出場時間を、所属選手に分け与える事が出来る。Jクラブのアカデミーとしては「公式戦に勝てる選手」を育成したいわけで、そのためには公式戦での試合経験を積むのが最善であることは言うまでもない。

これが所詮TMでの試合経験では、モチベーションコントロールに難しさが出てきてしまう。それは自チームに対してのみならず、相手のモチベも関わる問題だ。自チームをいくら焚きつけたところで、相手がTMモードの緩いメンタルで来られてしまっては何の意味も無い。

それがU-23であれば、J3リーグ所属クラブを相手に公式戦として戦える。クラブそして選手個々が、主にJ2以上への昇格を狙い必死に戦ってくる、いわば「本気のクラブ」。それが煮詰まり過ぎて、時に彼らは我々U-23を「本気じゃないクラブ」「真剣勝負の場に不釣り合いな遊びのクラブ」と怨念交じりにハッキリ見下してかかってもくる(それは選手以上にむしろサポーターに、事象として多く見られた。西が丘で観戦していると、対戦相手のサポーターの振る舞いからそれがよく分かる)。ただそれら全部が、我々からすれば選手の成長を促す恰好の”養分”だ。焚きつけるでもなく勝手に、肥やしがブヒブヒ向かってきてくれる環境は日本じゃなかなか得られない。

他にも細かい部分を言えば…自チームのオーバーエイジとしても、対戦相手としても、百戦錬磨のベテラン選手たちと言葉と肌をぶつけ合う機会だって、環境としては特別だ。FC東京であればU-23組のトレーニングはトップチームと一緒に練習する形を取っているので、それも”環境”。有料試合で多くの観客の目に晒されるのも”環境”。サポーターから応援される機会も”環境”。

こういった、U-23が在ることによって生み出される様々な”環境”による効果は、選手たちが本来属していたカテゴリに居続けるだけでは決して得られないものだ。

また、そこに”環境差分”があればあるほど、より効果も高まる。

東京で言えば直近だと、木村誠二とバングーナガンデ佳史扶の事例が挙げられる。今年高校2年生の彼らは、元々はU-18でもトップチームに絡めていない、まだこれから程度の選手たちだった。春前のプレシーズンではU-18トップチームとして試運転もされていたが、ついていくのもやっとの様子だった。

それがU-23での出場機会が回ってくることとなり、「環境差分」を全身に喰らった。それにより彼らは心身ともに成長し、つい最近ではU-17日本代表にも選出されるまでになった。

環境上位に自らを順化させることが、そのまま自身の成長に繋がり、結果的に本来のカテゴリを突き抜けることにもなった。U-23の環境が、彼らの年代別代表選出に貢献したのは間違いないだろう。

ただし、残念ながら時間を重ねる事により、選手は年を取り、身体も成長し終え、当初に得られていた環境差分からは徐々に縮まっていく。よく言えば上位環境に自らを適応させたという話にはなるが、それが所詮J3レベルとイーブンになったに過ぎないことを忘れてはならない。

何より環境とは「慣れてしまう」ものでもある。日常が勝手に刺激を与えてくれるのは最初の数か月程度かもしれない。2,000人弱の観客動員にも、応援を受ける光景にも、悪い意味で慣れてしまうことで「環境」による効果はみるみる萎んでいってしまう。

こうして環境による効果に甘えられなくなってくると、次に期待したくなるのは、もう片方の要素である「指導」となる。U-23という器の中で、果たしてどのような「指導」が要素として機能しているのだろうか?

と、このように「環境」と「指導」に分けて考える事で、U-23施策の中間評価、そしてFC東京U-23の中間評価は行いやすくなるのではないだろうか。


FC東京U-23において「指導」面の問題があるのは間違いない。安間U-23監督自身の問題も当然に大きい。

ただし、その「指導」面を阻害する要因が周辺に多いのもまた見逃してはならない事実だ。だから「指導」面の問題を、所詮安間が悪いとかミニラのが良かったとか、そういう小さな話だけで終わらせてはいけない。安間監督には是非、記者会見で「俺が1番悪いですが俺だけのせいになるのは腹が立ちます」とコメントしてもらいたい。

例えばFC東京U-23においては、ソフト面の運用はトップチームの意向に大きく影響されてきた。

U-23設立の意図としては、オーバーエイジのコンディション調整としての利用も含まれているが、その位置づけの大小はチーム事情と監督意向に大きく左右されてきた。城福→篠田→安間→長谷川と監督が代わる毎に、もしくはトップチームの成績状況により、OAを使う使わないがコロコロ変わってきた。

その全てのシワ寄せが、U-23のみならずU-18にも悪影響を及ぼしてきた。

OAに押し出される形で、U-23選手たちが本来とは異なるポジションでの戦いを強いられる場面が増え、それは「選手としての幅を広げる」では済まない域のものもった。それでもU-23選手が足りなければ今度はU-18選手が借り出される。U-18選手もまた同じく、本来のポジションで戦える場面もあれば、そうで無い場面もあった。

U-18選手の引き上げと出場機会創出は「環境」面での成果として挙げはしたが、他方で酷使によって重大な怪我が増えたのは見逃してはならない。実際の怪我発生件数までは調べていないが「土曜にJ3で90分、深夜早朝に移動して日曜に高円宮杯プレミアリーグで60分」や「同日に会場ハシゴして2試合ダブルヘッダー」とかやらせていれば怪我なんて増えて当然だろう。

U-23立ち上げ当初からFC東京は、トップチームとU-23に線を引かない運用がされてきた。それはガンバ大阪時代に線を引いて運用してきた主導者だと糾弾された長谷川健太FC東京監督に就任して以降も、方針は何ら変わらない。

そしてその運用のキモとされてきたのが、人数を絞った選手編成であった。U-18選手の積極活用、育成の前倒しとして組まれた編成だったが、蓋を開けてみればその実情はU-18選手のブラックな酷使であり、U-23における「競争の希薄さ」にも繋がった。

OAは本来のコンディション調整の思惑だけでなく、チームの総合値を引き上げるため、相手チームより劣ったフィジカルアベレージを押し返すため、「育成の養分としての勝ち点3」に繋げるために、より有効活用されるべき枠だろう。そしてU-23内での競争創出やU-18選手の過度な運用を避けるための、選手編成のあるべき姿は、現在の形では決して無いはずだ。選手編成の方針は「ソフト面での不備」としてメスが入るべき箇所だと自分は考える。

(高卒直後のU-23選手やU-18の選手たちは、J3シーズンをフルでこなすだけの体力がそもそも備わっておらず、連戦とリカバリに追われ過ぎて「経験を持ち帰って、課題として小平で取り組む」だけの猶予が無い状況だと考える。加えて、プロ環境適応のために本来積むべきフィジカルトレーニングも追い付いていないし、そのため余計な怪我リスクばかり高くなっているのが現状ではないだろうか。個人的な肌感だけで言えば、U-18のJ3出場時間はシーズン500分程度、高卒1~2年目はシーズン1000分程度で十分だと思う。)


U-23施策の3年間を、自分なりに総括してみる。

能力をマイナスレベルからJ3レベルにまで引き上げる効果として「環境」面は大きく寄与しているのは実証できただろう。方や環境面だけではJ3レベルからJ1レベル以上にまで能力を伸ばすには至らない事も確かであり、本来そこを担うべき「指導」面の効果もあまり見られなかったとも言えるだろう。

もちろん、環境要素が即効薬のように選手に即時反映されるのに対して、指導要素は長い年月をかけて徐々に花開いていくものである事は考慮すべきだろう。故に、指導要素を測るために必要な時間は、それこそ3年間では少なすぎるのは前提の話としてではあるが。

しかしそれでも、遅効性な結果を待たずとも既に「指導」面で大きな問題が多く出ているのは前述の通りだ。

久保建英横浜Fマリノスにレンタル移籍したのは、こうした諸々の複合的な結果なのではないだろうか。(ただし、建英が不足を感じ、彼が求めているものが果たして本当にマリノスにあるのかは俺は知らない)

…と、こうやって書いていると、あたかもU-23施策に否定的な結論に聞こえてきそうだが決してそうではない。

言い方を変えれば、U-23施策による「器」としての価値はほぼ実証されたとも言える。カネさえ積めばある程度の効果が高い確率で期待できるのだから、カネのかけ甲斐ある施策である事は間違いない。

気になるのはコスパ見合いの部分だが、1年目当初に検討した通り「意外にも入場料収入が見込める」事を思えば、コストの問題はそこまで大きくないのでは?というのが引き続きの見解だ(改めて現在のチケット価格を確認してみると、ガンバU-23はいつの間にかチケット値上げしてたし、方やセレッソは据え置きといった状況)


U-23造って、魂入れず」。

FC東京U-23に次の3年があるならば、2019シーズン以降の3年間は器に魂を吹き込むフェーズとなるだろうし、そうでなければならない。それが成されなければ、U-23がただのヌルい環境に成り下がってしまうのも時間の問題だとも思っている。

そのためには、ひとつは安間監督に代わる新たなU-23指導者招聘も必要だろうし、選手編成の方針も大きく見直されなければならない。あらゆるソフト面のブラッシュアップのために、クラブがU-23をよりしっかりとハンドリングしなければならないだろう。

FC東京U-23に魂を吹き込むべきは、トップチームの監督ではなく、FC東京というクラブであるべきだ。

この気づきこそが、3年間で得た最大の学びなのかもしれない。

もっとみんなに知って欲しいぞ!世界最大のサッカー大会"ゴシアカップ2018"遠征記

スウェーデンのゴシアカップに先日行ってきました。

知らない方にとっては「ゴシアカップって何だよ?」「そんな大会に何で行ったんだよ!」という話もあるでしょうが、それらの説明を後回しにしてまず感想を述べれば…とにかく最高でした!みんな絶対に行った方がいいって!!

ということで、来年以降ゴシアカップに参戦しようってクラブ・サポーターの参考となる様、必要そうな情報をWebの海に投げ込んでおきます。これで少しでも、ゴシアカップ遠征行こうかな?って迷っている人の後押しになれば幸いです。


・ゴシアカップとは

ゴシアカップとは、スウェーデンで1975年から続く歴史のある大会であり、育成年代における世界最大規模のサッカー大会(フェスティバル)でもあります。男女それぞれU-11~U-18など各10以上のカテゴリがあり、その大会規模は2018年大会においては…

  • 参加チーム:1,731チーム
  • 参加国:78ヵ国
  • 実施試合:4,424試合
  • ゴール:19,506ゴール

と、世界最大の名にふさわしい、とんでもない規模となりました。

この大会に、毎年Jリーグは前年度の最優秀育成クラブを派遣しています。そして今回は、2017年度受賞クラブであるFC東京が”Jリーグ代表”として、大会の最大権威であるBoys17Eカテゴリ(GOTHIA TROPHY)に参戦しました。

ちなみに、2018年度大会においては、Boys15カテゴリにJリーグ選抜チームが、Girls17Eカテゴリに日テレ・メニーナが参戦し、日本からの参加クラブは計3クラブでした。

ということで、そんな大会で戦う彼らを応援したいと、勝手にヨーテボリに行ってきた次第です。


ヨーテボリにいこう!

ゴシアカップが行われるのは、スウェーデン第2の都市であるGöteborg(ヨーテボリイェーテボリ)です。世間的には、名前は知っているけど…程度の認知度かもしれませんが、

と様々な顔がある、歴史の街でもあります。

ヨーテボリへの行き方に関しては、詳細はググって貰えればですが、そちらを参考にしていただければと。ここでサラッとポイントだけ記載しておくと、ストックホルムorコペンハーゲンから鉄道で入るのを併せて検討するのがコツかと思います。ざっくりと、

って感じの位置関係なので、大阪に行くのに、飛行機乗り継ぎだけでなく新幹線もあるよと。それを知るだけで、手段はかなり広がるかと思います。


ヨーテボリに向けてこれやっておこう

これも詳細はググった方がですが、キーとなるのは

  • 先進国キャッシュレス化No.1スウェーデンは街ナカ屋台もクレカ決済オンリー
  • SIM購入はコンビニでサクッとできるので、手順さえ予習しておけばハードル低い

の2点です。自分は1週間程度ぷらぷらしていましたが、結局スウェーデン・クローナを一度も両替する事なく旅行が終わりましたし、現金自体も見ることが無かったですね。旅行に向けて予め現金用意して持っていくかは、もちろん最後は自己責任でどうぞとはなりますが、少なくとも現金を両替するかどうかよりもVISAカードを用意しとけるかどうかの方が300倍重要かと思います。

あとは海外旅行共通の、定番の下準備として…

  • 利用する空港のフリーWiFi事情を把握しておく
  • GoogleMapのオフラインマップ機能は超便利

オフラインマップ機能、知らなかった…超便利だった…


・”ゴシアカップの街”とは

世界最大規模の大会であるゴシアカップともなれば、行われる試合数も前述の通り4,424試合にもなり、それを一週間足らずでこなすためには、それだけのグラウンド数が必須となります。

そのため、会場であるヨーテボリにはなんと、街中や郊外を含めて何と103個ものグラウンドが!正直、これが一番衝撃的でした…

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当然、必要なのはグラウンドだけではありません。例えば4,424試合を捌く審判員を用意するのだって労力ですが、方やこれだけのレフェリング機会を男女関係なく創出できているという側面は、スウェーデンのサッカー国力に直結する話でもあります。また約3万人もの選手を受け入れるため、宿泊施設は夏休み中の校舎に布団を敷いて雑魚寝という”割り切り”もみられました。

ヨーテボリという街自体はそれほど大きくはなく、市内を走るトラムに乗って数駅行けばすぐに丘陵地帯といった、こじんまりとした印象です。

ただ、そんな街がホストシティとしてこの世界最大規模の大会を、ある箇所では豪華に、またある箇所では質素にと、メリハリをつけながら完璧にオーガナイズされている様子には大変驚きました。

メイン会場のひとつであるHeden地区は、中央駅から徒歩数分程度の場所にあり、大会本部に加えて、1つのメインスタジアムと4つのピッチが集合していました。そう言うとJヴィレッジのような立派なフットボール施設を想像しがちですが、実際はだだっ広い空き地に人工芝マットを敷いた程度のものに過ぎませんでした。

またメインスタジアムであるSKE Arenaなんかは、人工芝マットの周囲を仮説で足場を組んだに過ぎない代物。それが常設なのか、都度壊しているのかは不明ですが、実際にその会場で観戦してみた感想としては「必要十分」。

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もちろん、これが日本でそのまま容易に実現できる訳ではないでしょう。法律も気候も土地事情も、スウェーデンと日本では大きく異なるであろうことは想像できます。

ただ、日本はガッツリと全部盛りを最初から求めすぎてるのかな、それによって機運とスピード感が一気に遅くなるのであればもったいないな…そんなことは思いました。

そういう意味では、これほど規模が大きいとは言えど、大会自体の印象は「牧歌的」なものだったと言えるかと思います。


・絶対に参加すべき!世界中の火力高めサッカー好きが集う「開会式」が超楽しい

牧歌的、と表現してからほんの数秒足らずではありますが、第1日の試合終了後に行われる「開会式」はそれとは真逆の様相。とにかくカネがドバドバつぎ込まれ、化学調味料を山盛りぶち込んだ様な演出てんこ盛りでとにかく最高すぎたんだ!!

会場のUllevi Stadiumは、中央駅から徒歩10分程度の都市ど真ん中にある4万人収容のスタジアムで、まるで長居陸上競技場のような佇まい。そこに約3万人の選手と、チームに帯同するスタッフたち、あと自分の様な物好き一般客とで、スタンド+アリーナ席は超満員札止め状態。

まず入場前のスタジアム周辺の喧騒から面白い。W杯に現地参戦した事のある人であれば、あの会場周辺の多国籍な幸福空間は想像しやすいかと思いますが、それがW杯以上の「78カ国」で構成されるわけだから、単純にW杯の倍以上に楽しい。

加えて、W杯イヤーの開催にたまたま行けたことも非常に良かった。ゴシアカップの大会自体がW杯決勝のちょうど翌日からだったため、いたる所でW杯ネタがイジられまくってる!

例えば…ブラジル選手団が歌って踊っている横で、ガーナ選手団がネイマール痛がりいじりとか。

例えば…イングランド選手団を見つけたクロアチア選手団が、敢えて目の前を無理矢理に横切って、イングランドにバチボコブーイングされたりとか。

けどフランス選手団入場の際には「2018W杯チャンピオン!」として紹介され、ビジョンには決勝の様子が映し出され、スタンドみんなから祝福されたりとかも。

こうして見てると、これほどの様々な国の人が同じものを見て、同じく熱狂して、言葉が通じなかろうとそれを前提にコミュニケーションが図れるサッカーって、改めて凄まじいなと。しかもいる人間の殆どが、強烈なサッカー好きであり、かつ人生50年で一番火力が強い10代の少年少女だから、バチりあいが大艦巨砲同士すぎる。

 

開会式ではその火力が最大限に放出され。また煽る開会式演出もコッテコテにベタ極まりない。

韓国選手団が入場する時は江南スタイルだし、南ア選手団のときはシャキーラだし、ブラジル選手団はサンバデジャネイロだし。アイスランド選手団のときは、あえて曲を止めてバイキングクラップ煽ってからのマッシュアップ。何たるベタ。

しかも謎に生歌生バンド主義で、どれも歌手がゴリゴリに歌いあげる。絶対あいつシャキーラじゃないのに。つまりカラオケ。でも関係ない。火柱はガンガンあがるし(しかも天然芝の上に養生無しで設置)、最後にはWWE並みのファイアーワークス(しかも天然芝ry

 たぶん、本チャンのW杯とかオリンピックとかだと、開会式にある程度の土着感とコンテンポラリーを強要されるところがあるけど、ゴシアカップはそんなの知るか!とニンニクマシマシで超サイコー!!ゴシアカップに行こうと思う方がいれば、開会式には200%絶対に参加した方がいいぞ!!


・Gothia Cup 2018 FC東京U-18戦記

FC東京U-18の遠征メンバーはこちら

U-18は高円宮杯プレミアリーグ公式戦とクラ選初戦がちょうど重なる日程、かつU-23も絡んだりと、クラブとしては選手繰りに非常に苦労をしたかと思います(U-23が絡む問題なのであくまで自己都合)。結果的にはU-17カテゴリながら2年生+1年生+U-15深川むさしからも3名を加えた、幅広いメンバー構成に。ただ同行スタッフは中村忠・右田聡と躊躇のないものともなりました。

また、Jリーグからの派遣という扱いなのもあって、日程もかなり余裕のあるスケジュールに。大会初日から数日早くに現地入りしミニキャンプを実施。調整試合もこなしてから大会に臨めるという好待遇でもありました。

それもあってか、はたまた忠さん右さんの性格上もあってか、初戦からわりと妥協のない本気スタメン編成でこの大会を進めていた様に伺えました。外国の選手を相手に、やれるメンバーやれないメンバーはハッキリと分かれましたが、それが出場時間にも反映されていた。

ただそれが最終的に、準決勝での敗退に繋がるわけで。

単純に相手の戦力としては、準々決勝のBK HÄCKENの方が強かった。あの体格で止め蹴りの角度の作り方とか完璧だったし、あえてのコンタクトで剥がせもするからボールが奪えない。相当に強烈だったけど、相手が2位抜けの当日2戦目だったから終盤で体力がガクッと落ちて、それでウチがPKで勝てた。

それに比べれば準決勝のIFK Göteborgの方が弱かったけど、今度はウチの蓄積疲労が火を吹いた。純カラで技術も何もあったもんじゃなかった。

ひとつは、優勝するのであれば6 or 7試合を6日間で連続して戦う必要があるわけで、準決勝であれだけ純カラになってしまったら、そもそも優勝する資格が無いということになっちゃう。単純な話をすれば、W杯優勝したい!って口にする選手がいたら「じゃあ7試合戦う準備できてますか?」ってこと。優勝できる選手になるための体力、技術ってのが身に沁みたと思う。

加えてもう一つはその手前の話で、体力純カラな中でも、ピッチ上で「それでもクオリティ踏ん張れるか」。やっぱ体力の減少ととともに、もしくはその下げ幅以上に、クオリティ低下を個々が食い止められなかった。ピッチ上にまだ立っていて、時計の針も動いているのであれば、その中での「それでも」を、個人的にはもっと食い下がる姿が見たかった。

そういった、やれたこと、やれなかったこと、やる機会も得られなかったこと、全てひっくるめて貴重な体験だったことは間違いなくて。もちろん、カネ出してもらったJリーグに対してこの結果がどうだったのかってのはあるかもしれないけど。でも現地の観客からの「コンニチワ!コンニチワ!」って煽りに、安里がアップしながら「こんにちわ!!!」ってアンサーかましてくれる様子とか見てると、やっぱり場と機会は有り難いなと。

この機会を与えてくれた、これまでの先輩たちへの感謝を忘れずに。今後のサッカー人生で恩返しする姿に期待したいと思います。

ちなみに同じく大会に参加していた日テレメニーナは、ウチらと同じ17Eカテゴリで見事に優勝!

ウチとは違って、無駄な摩耗を極力させない位に、技術力で相手と差をつけていたかなと。全体的にはもうちょっと、2秒先の未来を予測して、その逆を突くような感じが増えてくると、より読ク魂を感じられて楽しめそうだけど。それが出来ていたのは18番の選手だったかな。ちょっと気になる。

しかしヴェルディメニーナサポはせっかくの快挙なのに誰も来てなかったなぁ〜それで良いのかぁ〜?(急に青赤っぽい煽りスタイル)


・ゴシアカップ絶対に行った方がいいぞ!

ということで、ゴシアカップは最高の環境で最高の体験を得られる、最高の大会でした。行くまではかなり不安もあったけど、サポーターとしてもW杯に行ったときのような体験の連続で、本当に楽しかったです。ヨーテボリ、いい街だったなぁ。またU-14で組まれたJリーグ選抜の選手たちも含めて、選手スタッフにとっても、きっとこれを今後の財産にしてくれるはず。

この様な機会を彼らに与えてくれたJリーグにも、いちサポーターとして感謝を述べさせてください。ありがとうございました!

そして、今年最優秀育成クラブ賞を受賞したトコのサポーターは、来年もゴシアカップ遠征がきっとあるはずと身構えておいて欲しいし、もし派遣されるとなれば是非サポーターも行って欲しい!

ゴシアカップ2019の日程は、既に7/14〜7/20とリリースがされているので、Jリーグアウォーズで受賞が決まったら、そこでもう7月16日〜19日の有給を取ってしまおう(海の日連休なので、有給4日でOK)。

世界にはこんな面白い大会があるんだなぁと勉強になりました。また、せっかくJリーグが数年かけての素晴らしい取り組みなので、大会自体も含めてもっと世間に認知してくれれば良いなぁ。そんな価値が十分ある、今回の遠征でした。

その前に「なぜ田嶋幸三を仕留められなかったか」を、胸に手を当てて考えたことありますか?

 

この手の主張が、コロンビア戦勝利をきっかけに大量に見かける様になったのは、恐らく己の偏ったTLのせいでしょう。そしてその偏ったTLの生成主である”偏見大好き”な自分なので、これらの意見を見るにつけ、

「そういう類のこと言う奴の80%は、コロンビア戦で負けてたらそれをバチボコ攻撃の材料にしようとしてた奴」

だろうなぁと勝手に決めつけてしまう。ピックアップしたこの人たちが80%側に属する人間なのか、はたまた20%側のマイノリティなのかは知ったこっちゃないけど。

ただ、なぜそう決めつけているのか?については理由がある。それは勝利という結果が出た後に「勝利」と主張するダサさに、本人が気づいていない様子が伺えるから。じゃなければ「100回言う」とかイキれないでしょ恥ずかしすぎて。バカが振りかざす正義感とか逆に迷惑すぎて、恥ずかしくて見てられなくないですか?


「結果」というものに対して、80%な方々が見誤った点が2つある。

1つは、ワールドカップで勝つこと、結果を残すことの、意味もしくは重要性・強さを舐めていたこと。自分もコロンビア戦の翌日に会社で、サッカー全く知らない人から「大迫半端ない」を聞かされた時にはW杯の伝搬性に4年ぶりに驚いてしまった。 そして世界でも、その勝利は称賛をもって一気に伝えられた。それらの人たちにとっては、経緯や内部事情なんて知るわけが無いし、むしろ知る必要もない。そして、そういう意見が世間をマジョリティとして支配するのも、言ってしまえば当たり前の事だろう。

そしてもう1つは、今回のJFAによる愚かな決断によってW杯コロンビア戦は惨敗するに決まってる!と「決めつけた」こと。今後起こることを、頭の中で良い方向に勝手に決めつけ、それに何の疑いも持たなかったこと。

それはつまり、サッカーという競技性を真に理解していなかったという話になるだろう。ラグビーのような、実力差と勝敗をひっくり返すのが極めて難しい競技に比べるまでもなく、サッカーはミスのスポーツであり、勝敗が極めて不確実なスポーツだ。日本人はその競技性を、みんな大好き「ジャイキリ」というワードで知っていたはずだ。コロンビアと日本の対戦を「FIFAランキングを日本サッカー界に置き換えたら”ガンバ大阪vsヴァンラーレ八戸”と同じ」だと聞けば、「あぁコレ確かにあり得るやん!あり得なくもないやん!」とは、多くの人が思うはずだった、本来であれば。それらを怠ったのは、決めつけに潜む「傲慢さ」故だろう。

本番であるコロンビア戦で、まさか前半3分で赤紙PKをゲットできるだなんて、もちろん誰もが思いもしない。まさにKAMIKAZEとしか言えない様な事態が、実際には起こってしまった。しかし、それがサッカーでもある。サッカーが好きな人ほど知っていたはずだ、本来であれば。

この2点を謙虚に掴めてさえいれば、普通の考えでは「W杯の結果」を判断材料として使おうとは思わないはずだ。だって勝つかもしれないし、勝った時に世間で起こってしまう事も予期できたのだから。そもそも加える必要は無かったし、加えるべきではなかった。

なのに、世間は徐々にW杯での結果を判断材料として求め始めた。コロンビア戦は惨敗するに決まっていると決めつけ、それが世界中に伝播する事を求めた。

逆に現場の当人からすれば、”W杯での結果”が材料として取り扱われそうな世間の流れにシメシメと思ったはずだ。本来はノーチャンでアウトだったのに、世間が稚拙で遅いが故にワンチャン転がり込んできそうだと。それはクーデターまがいに本件をアシストした選手たちとて同様だ。

 事の実際はJFAという組織のガバナンスの問題だったのに。 W杯の結果なんて関係なかったのに。

むしろ世間が材料として求めたのはW杯での結果だけではない。 西野監督就任記者会見でのたどたどしい姿に求め。ハリルホジッチ前監督が構想していた”であろうと思われる考え”を外部の素人に意見を求め。メンバー選考30人の中身に求め。ガーナ戦に求め。最終メンバー23人に求め。スイス戦に求め。パラグアイ戦に求め。そして、コロンビア戦に求め。

こうして人は、貪欲に、何となくネガティブになりそうな材料を求め続けた。それが事の決断を、余計に後回しにしてきた事に気づかずに。当事者に余計なワンチャンを与えてきた事にも気づかずに。

田嶋幸三の愚行に、W杯での結果が関係ないのは分かった。そんなの知ってる。じゃあなぜ結果が出る前に、田嶋の首を仕留めようとしなかったの?結果って材料は関係なかったんだから出来ましたよね?

必死にかき集めてきたネガティブっぽい材料たちは本当に、全てが田嶋の首を仕留めるために必要な材料だったのですか?そもそもガバナンスの問題をボヤケさせる、論として矛盾を足してしまう、余計な材料だったのではないのですか?

つまりそこには「W杯での結果は直接的には関係ないけど、W杯での悪い結果を材料として強く欲した」想いが透けて見えてくる。

コロンビア戦での惨敗が、単勝2倍のガチガチな鉄板馬券だったのは確かに分かる。けど、そのギャンブルに全額突っ込んで大惨敗した現実を思い知らねばならない。全ての理屈を”コロンビア戦での結果”に着地しようとして大失敗した負債を支払わなければならないのは、はずれ馬券を握りしめた80%だ。そんな人らが、結果が明らかになった後に口にする、

その、何と虚しいことか。


2018ロシアW杯。GLを1勝1分、勝ち点4。

明日のポーランド戦がどうなろうとも、それによってGL突破が叶おうとも叶わずとも、JFAとしてはノルマは十分に達成したと言っていいだろう。こうして、田嶋幸三は今回の件について、まんまと逃げ切りに成功してしまったわけである。

あぁ、あんなにも適当かましていた無能の極み、田嶋幸三が当分はJFA会長として居座ってしまう事が確定してしまったよ。FIFA理事選に、散々根回ししたのに落選した田嶋が。JFA会長選出過程のクローズドさをFIFAに刺されて渋々会長選挙を行ったのに、当選後の原博実霜田正浩への懲罰人事で再度FIFAに刺された田嶋が。それに嫌気をさして岡田武史に逃げられた田嶋が。

どうしてくれるんだよ、80%よ。ホントに分かってる?分かってないでしょ?

あなた方がやるべき事は、「結果関係ない~結果関係ない~」って100回言うことじゃなくて、まずは「結果が出た後にそれを言うことの恥ずかしさを知ること」であり「サッカーという競技を見誤らずに、驕らずに、結果が出る前に仕留めるべきだったという後悔」だよ。

そうやって、胸に手を当てて考えたことありますか?


JFAに田嶋が居座ることで、今後も何かしらめんどくせえ事は起こり続けるだろう。直近で言えば、西野監督続投が早くも紙面を賑わしているし、いずれまた性懲りも無く「秋春制」もぶり返してくるだろう。そんな目に見える未来の災厄に対して、果たして次回こそは本当に、組織に対して適切なメスが振るわれるのだろうか。

もちろん世間の80%がこのままであれば、振るわれることは当然無いだろう。 引き続きWebの世界には「仕留められるかは別にどうでもいいけど、程よく自分は気持ちよくなれる程度の数百・数千のいいね」を狙ったポジショナルご意見が溢れ。しかし実際には本郷三丁目には一切の風は吹かず。

そういった全部をひっくるめて、日本サッカーのガバナンスの問題と呼ばれるべきなのかもしれない。


…といったところでお時間となりました。それでは最後にこのナンバーをお聞き頂きながらお別れとなります。RHYMESTERで「余計なお世話だバカヤロウ」。

ありがとうございました~。

サッカーにおける機械判定の未来は「オフサイド判定」一択である

スポーツ競技において機械判定の導入が盛んではあるが、どうにも成功しているとは言い難い事例が多い様に思える。

例えばラグビーのTMO。

レフェリーのジェスチャーをきっかけに行われるビデオ判定は、スタジアム内ビジョンに疑惑の場面がリプレイで映し出され、レフェリーとファンが同一の素材を基に検討を行う。場内ではファンの緊張を煽るようにBGM演出も施され、緊張の空気がスタジアムを包み込む。

しかしトライの成否をビデオリプレイで判定しようにも、ラグビーというスポーツが”密集の競技”である性質上、どのカメラ角度から見直しても密集が邪魔をして、クリティカルな箇所を覗けない場面が殆どだ。

例えば野球のリクエスト。

内野ゴロの際どい場面で守備側のキャッチが先か、はたまた打者側のベース到達が先か。もしくはスタンドに入った大飛球が、ポールの内側を回ってホームランなのか、外側でファウルなのか。

自分が見たTV中継(CSフジのスワローズ中継)で初めてリクエスト制度を体験したが、何てことはない所詮テレビ局の中継用素材を、そのままリプレイで見返して検討するに過ぎない。コマ数の荒い映像を何度リプレイで眺めても、アウトかセーフか決定的な瞬間は捉えていない場合が殆どだし、ポール専用のカメラを置いている訳でも無いから飛球の行方を追うことも、ホームランかの判定も結局まともに行えない。

それぞれ、ビデオ判定を経ても「やっぱりよく分からない」の理由を補強する結果にしかならなかったが、ファンも審判自身も、何となくそれについて文句を言うのも許されない空気感。それなりの時間をかけて得られたのは結局、心の中のモヤモヤとした気持ちだけ。

このモヤモヤ感、これって「たまたま」の域を超えて、ビデオ判定の「あるある」ではないだろうか。


スポーツにおける機械判定の歴史をしっかりと調べてはいないが、脚光を浴びたのは恐らくテニスでのチャレンジ制度導入がきっかけだろう。そのテニスでの成功を後押しに、各競技でも機械判定導入の検討が始まり、昨今の状況にまでなったと考えられる。

どんな競技においても、いわゆる誤審問題は多かれ少なかれ必ず付きまとい、競技連盟としては頭を悩ませていたはずだ。テニスにおけるチャレンジ制度の成功がきっと羨ましかったに違いないし、誤審問題を解決するためにアプローチを進める事自体は間違っていない。だがその殆どは成功しているとは言い難い。

その差は果たしてどこにあるのか?

テニスのチャレンジ制度においては、ホークアイシステムの導入によって、ボールがどの位置に入ったかがミリ単位で分かる。インorアウトを分ける線上に、ボールが数ミリかかっていたかどうかが、会場でも中継でも瞬時に明らかになる。その判定に当初は疑惑を向けていた人間も、チャレンジ結果の映像を見させられたら黙って従うしかない。

テニスと同じように、フェンシングも機械判定の導入で成功した事例だろう。剣と防具の工夫によって、打突の判定を機械的に実施。当初は太田雄貴も、押し込みが足りない打突だと機械が判定してくれないと「当たり判定」に苦労していたという話もあり、定着までの過程においては競技者側の”歩み寄り”もあったのだろう。ただ、その機械による当たり判定も、ランプとブザーによるアナウンスで競技演出にまで昇華された事によって、それが競技自体の価値も高める事に成功している。


こうして少ないながら成功事例を並べてみると「機械判定によって、瞬時に、100%嫌疑が晴れるかどうか」の違いが成否を分けている事がよく分かる。「瞬時に」「100%嫌疑が晴れる」制度だからこそ、競技者もファンもこの制度を受け入れ、競技としても馴染んだのだと思う。

それら成功事例に比べれば、ラグビーや野球のビデオ判定が、何故上手く機能していないのかは明らかだろう。

そしてサッカーにおいても、ロシアW杯において試験的にビデオ判定(Video Assistant Referee)が導入される。ここまでの話を踏まえれば、この先の未来で起こるであろう出来事も、容易に予言ができそうではあるが…もう少し話を続けてみる。


ビデオ判定の議論の際にデメリットとして挙がるのが、判定に費やす時間によって、競技が中断され、そのせいで競技の連続性が途切れてしまうという部分がある。もちろんそれは、競技自体が大きく変わる重要な話ではあるのだが、しかし議論の本質とは微妙にズレているなと自分としては思う。

例えばサッカーにおいては以前「飲水タイム」「クーリングブレイク」導入の際にその手の議論となった。ある一定以上の気温や天候により、選手に熱中症の危険が高い場合において、試合中に水分補給のための中断時間を設けるというものである。

競技の連続性に関わる話なので、当然大きな議論となった。選手の集中が一度途切れてしまう難しさもあるし、中断中に監督が選手に直接指示を行えるかどうかも大問題となった。それでも今となっては当たり前の様に「飲水タイム」も「クーリングブレイク」も、現場ではスムーズな運用がされている(様に思える)。

もちろんそれは、悪い意味での慣れの結果もあるかもしれない。しかしそれ以上に、選手も関係者も、その制度の必要性を真に納得していたからこそ、制度がスムーズに現場に浸透したのではないだろうか。熱中症対策としての本制度自体の必要性は、そもそも言わずもがな。そのためであれば、中断というイレギュラーも受け入れるし、そのルールを前提に競技というものを考え始める。それは必要な「競技の柔軟性」の範囲内であろう。

つまり、ビデオ判定の導入によって連続性が途切れようとも、その必要性を誰もが感じていれば、そもそもこういった議論にはならないのだ。「時間がかかる割には、100%嫌疑が晴れる事は無い」程度のものに、なぜ競技の連続性を差し出さねばならないのか?単純に、ビデオ判定自体の必要性に全く腹落ちしていないだけのシンプルな話だ。

使うからには、それによって判定のスピードが瞬時で、かつ精度が100%を担保できなければ意味がないのだ。精度40%程度だったのがビデオ判定によって60%になりますよ…では何の意味もない。メリットよりデメリットが上回り、であればやらない方がマシだとなる。当たり前だろう。


ちなみに、ロシアW杯でのVAR導入に際しては、その辺りの理屈を越えるために「ディスカッションを要する場面ではそもそもVARは用いない」としているらしい。VARの要点をまとめると下記とのこと。

・試合を左右する事象に対してのみ使われる。
・明らかに間違っていたり、不公平なものを正すことで、100%の精度のためではない。
・完璧ではない。グレーエリアがある。
・多くのエラーを排除しようとすると、アメフトみたいになってしまう。
・監督や選手からの異議で行うものではない。
・VARが自動的にチェックしてくれる。

VARを検討するにあたって、これまでの事例から学びながら、慎重な議論を重ねてきたことは確かに伺えるが…

様々な点で指摘の余地は複数あるが、やはり一番気になる点は、結局これまでの話の流れで言うところの「瞬時に」が解決出来ていないのでは?という部分だろう。

それは試合の連続性という観点以上に、判断の時間を多く与えるほどに、それが「100%嫌疑が晴れる」状態から遠のいてしまうという人間性の観点に依る部分だ。「これが2分程度で判断していい場面かよ」「10分かけて、結局その判定かよ」時間がかかるほどに、受け取る側の疑惑は膨れ上がってしまうものだ。

だから、その余地が無いほどに「機械的に」「瞬時に」であることが必要なのだ。


ここまでを踏まえて考えると、どうしてもサッカーにおいてVARが成功するイメージが湧いてこない。とは言え誤審問題を放っておく事もまた、許される訳が無い。

ではサッカーにおける機械判定の未来とは果たしてどのようなものなのか?どのような進化がサッカーにとって幸福と言えるのだろうか?

ここでようやく表題に戻れる。サッカーにおいて「機械によって、瞬時に、100%嫌疑が晴れる判定」が実現できるのはライン判定の類、特に「オフサイド判定」の場面においてのみなのである。


オフサイド判定を巡る現状として、まずアシスタントレフェリーがトップカテゴリーにおいて正確なオフサイド判定を行うのはもはや不可能な状態がある。

クリスチアーノ・ロナウドアザール、国内でも伊東純也や永井謙佑といったフィジカルエリートを相手に、DFラインは刹那の駆け引きで対処を仕掛ける。その攻防スピードに付いていきながら、かつ正しいオフサイド判定を行うというのは無理がある。加えてアシスタントレフェリーの場合は、進行方向正面を向きながら走る訳にはいかず、横(ピッチ側)を向きながら、全体視野も確保しつつ…といったディスアドバンテージもある。アシスタントレフェリーとしては正しいとは言えない立ち位置から、ある程度”想像による補完”も加味してジャッジをせざるを得ない場面も多いはず。ただこれを責める訳にはいかないだろう。

方や、オフサイドの判定であれば機械を用いることで「100%の判定」実現への可能性がある。スタジアムには複数のカメラが備え付けられ、競技的にもラグビーの様な視認性の問題も起きづらい。映像技術のひとつとして「自由視点映像」なるものが実験的に行われているが、この技術の延長上に「100%オフサイド判定ができる未来」を想像するのは容易なはずだ。

加えて、オフサイド判定には時間を要さない。オフサイドラインから出ているか出ていないか、2択の判断であれば完全オート化で機会に判定を委ねても問題ないはずだ。

もし映像技術が追いつかないのであれば、例えば各選手に判定用のチップを携帯させることで、カメラだけでは補いきれない部分も安価にカバーできるかもしれない。今やピッチ内の走行経路をGPSで計測している世の中、オフサイド判定への転用はイメージがし易い。ピッチ四隅のコーナーフラッグをアンテナとして転用すれば、得られる情報はより補強されるかもしれない。これまでオフサイドは「手と腕以外の部位の、味方ゴールに一番近い点」であったが、それが「チップの位置である」と競技規則が書き換えられる様にでもなれば喝采だ。

機械判定によって瞬時に行われたオフサイド判定が、例えばスタジアムに新たに常設された赤ランプ点灯でアナウンスされるようになれば、観客としても面白い。佐藤寿人の抜け出しに赤ランプが灯…らない!的な妙味は、サッカーという競技の価値自体を高める事にも繋がるだろう。

技術的な問題があるとすれば、ボールを蹴り出すタイミングが何処なのか?の見極め部分だろう。競馬や水泳競技のように、いつも同じ位置同じタイミングで判定が行われる訳ではないので、オフサイド判定においては最重要な情報のひとつである。

現状は、そのタイミング判断には人間による入力アシストが必要かもしれない。だがゆくゆくは、ボールに仕込まれた加速度センサーで捉えるなり、もしくは映像技術で補うなど、手段は現時点でもいくつか思い浮かぶ。その時点で、それはもう「目の届く範囲の未来」と言えるだろう。

こうしてオフサイド判定を機械に一任することが出来れば、アシスタントレフェリーはその重責から解放され、オフサイドラインを見極める線上に立ち位置を縛られる必要が無くなる。

代わりにアシスタントレフェリーはピッチ上で起こる複雑な事象に、より目を配ることが可能だ。主審と協調し、ピッチ上への監視の度合いが高まれば、重大なファウルを見逃す事も減り、誤審問題の解決にも繋がる。そもそも選手としても、不要なファウルを行うことすら躊躇われる様になるはずだ。

結果、自ずとサッカーという競技自体の価値も上がっていくのではないだろうか。


サッカーにおける機械判定の未来とは…?

サッカーのルール制定などを決める機関であるIFAB(国際サッカー評議会、International Football Association Board)が、慎重かつ丁寧な議論の末に決定されたVAR導入について、我々はまずそのチャレンジについて細部まで理解し、尊重するべきだろう。

その上で、VAR施策の成否、そしてサッカーにおける機械判定の未来について、他競技の事例を参考にしながら、自分なりの意見をまとめてみたのが本件である。

「瞬時に」「100%嫌疑が晴れる」が叶わないVARは、サッカーにおいては恐らく失敗するのではないか。サッカーにおける機械判定の未来は「オフサイド判定」一択である、と。

その答え合わせを、ロシアW杯での楽しみの一つとして据えてみたいと思う。そしてW杯壮行試合として行われるガーナ戦は、国内としてはクラブW杯以来の、また日本サッカー界が主導して行われる試合としては初めてのVAR対象試合となる。

貴重な機会となるガーナ戦において、VARは果たして何を映し出し、ファンにどんな”体感”を与えることになるのだろうか。

…ただ、そんなことよりもVARは、スタジアムに設置する前にJFAハウスの会長室にでも設置した方がいいんじゃないかな、という方が上回ってしまうのだが。


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FIFA.comのまとめページは、外国語が分からなくても一見の価値あり。FIFAがカネとトレーニング時間をつぎ込んで、意地でもVARを成功させてみせるぞという気迫を感じる代物。文中では失敗すると予想しているけど、FIFAの本気の取り組みぶりはリスペクトに値するものだし、実際はどっちにも結果は転びうるとは思う。果たしてVARはどうなるか?それがポジティブに楽しみでもある。