ユース応援企画2012ありがとうございました

意図的に声を出し過ぎない様にしているチームがある。聞いた時には、確かに驚いた。しかし、同時に納得もあった。

日本随一のポゼッションを表現し続けているその某強豪クラブユースは、確かにピッチ上で「右!」や「ターン!」などの指示が飛んでいるイメージはあまり無い。しかしその代わりに、放たれるパスには十分すぎるほどのメッセージが込められている。右足へなのか左足へなのか。手前なのか奥なのか。強く速いパススピードが基準であるからこそ、あえて弱く遅いパスを選択することもメッセージと成りうる。そんなメッセージを受信し、今度はボールをオーダー通りの位置に確実に置いてみせる。止める・蹴るの技術力のおかげで、次のプレーへのイマジネーションに注力が出来る。そういった『技術による会話』によって成り立つ、異質しかし正道なる、これぞポゼッション。

声を出す必要がない。そんなポゼッションをこの数年披露し続けているチームだからこそ、そのエピソードは聞いていて説得力があった。

当然、それによって守備の声が疎かになることは決してあってはならないし、そもそもとして、声による情報伝達のメリットは馬鹿には出来ない。これほどに大胆なスタイルを標榜するのであれば、例えば、荒れたピッチで情報をボールに載せきれない環境であるならば、やはり声を出す必要があるな、と自分で適切な判断が出来なければいけない。実現に向けての条件はいくらでも思いつくし、当然全てをこのチームが実現できている訳ではないが。

そんな彼らでも、メンタルを鼓舞し、支え、繋ぎ止めるための声が、必要であれば当然出てくる。勝つためにそれが必要だと知っているからだ。ピッチ上が無音な訳ではない。

肝心なのは、声を出さない事を「選択」したということ。出せない故の結果ではないということ。「出来るけどしない」「出来なかった」この差は大きい。



声を出す。激怒する。涙する。

感情の発露これら全てが「行動」である以上、それは『スキル』と位置づけるべきであろう。する・しない以前に、出来る・出来ないが問われる『技術』だということ。

しかし、そのスキルを使いこなせる選手は世に少ない。感情を持つことは誰にもできる、だから、誰でも簡単に表に出すことが出来るのだと、ここで錯覚をしてしまう。だが実際はそうではない。疲労、恥ずかしさ、意味あるの?という疑問。遮るものはいくらでもある。だから、おろそかになる。結果、出来ない。それはしないのではなく出来ないのだ、と、気づけない。

事実、感情は『武器』になる。用途を勝敗の面だけにフォーカスしてみても、感情を表現する事が、内に秘めたままなのか、もしくは発散させるのかで影響はかなり変わってくる。

最近では、感情を内に秘めてそのままプレーをすることが美徳とされることも多い。しかしそれでは、その感情は自分にしか作用されない。これが例えば発散されたとすれば、こうはならない。情報が伝われば、味方が変わる。周囲に伝われば、チームが変わる。自分の感情は波及し、増幅され、結果、空間を支配する。これ以上に、相手に刺さる武器が果たしてあるだろうか。

満員の味の素スタジアムの観客全てに波及できるのか?チームのために、自分のために、その空気を操作し、支配するために感情を操ることができるのか?

そういった人間が、サッカー選手としてスペシャルな価値を持つ。



喜怒哀楽。表に出る感情は様々だろう。しかし、感情の発露によって得られるもの、成果をもっと知るべきかもしれない。

海外に行けば、それは語学力以上のコミュニケーションツールになる。必要な言語をゼロから習得しながらも結果を残さねばならない海外生活においては、身振り手振りだろうと意志をオモテに発して伝えることが出来なければ話にならない。FC東京U-18として、海外が身近になった昨今であるならば尚更である。

またある漫画では、この様な話があった。

全日本F3選手権の総合チャンピオンを決める独走態勢を敷いた主人公、ファイナルラップ最終コーナーに向かいながらこれまでの経緯を思い返す…

ただ運転するのが好きだった、それだけなのに、励ましてくれる仲間がいて、支えてくれるチームがいて。ピンチを救ってくれた人がいて、信じて導いてくれた人がいて。自分はこんなにも恵まれている。いろんな人のおかげでここまで来れた。幸せすぎて、彼らに全部なんて返しきれない…

そこで主人公が、以前教わったある言葉を思い出す。

『勝負に勝った者が何よりまずせなあかんことは…大よろこびすることや。お前のためやない、支えてくれたみんなのために』

ゴールに、そして勝利に、めいいっぱい喜んでみせるのは、支えたくれた人への報いになる。いつも試合を見守ってくれる大事な人へなのか、自分をサッカー選手へと育ててくれたクラブへなのか、共に戦う仲間へなのか。ガッツポーズの拳一つが、それが何よりの感謝のメッセージとなる。


感情を披露する舞台も限られてきた。プリンスリーグ後半戦と、Jユース杯のみ。あと、3ヶ月も無い。これまで、いくつもの感情の『種』を蓄えてきたはずだ。

ショートパス中心のポゼッションサッカーを新たに標榜した、今年のFC東京U-18。最初は苦労しながらも、練習しただけの成果は徐々に出てくるようになった。それでも、各人のアイデアが繋がらないとき、ピッチコンディションに苦しむときはどうしてもある。その時に、何を伝える?

夏のクラ選。久しぶりの決勝トーナメント進出という結果を得ながらも、同じプリンスリーグのライバルに、5月には4−0で勝った相手に、2−6で負けた。その時に、何を想う?

現在3位。目標のプレミアリーグ昇格のためには是が非でも取らなければならない『プリンスリーグ・チャンピオン』。そのためには、何が必要で、何を要求する?

その感情は、どんどん表に出すべきだろう。エゴの押し付けも、それが相手とのコミュニケーションを経ればエゴではなくなる。新しいものが生まれ、チームが、自分が強くなる。価値をもたらし、成果を生む。

だからこそ、もっとピッチ上で気持ちが見たい。もっと怒れるし、もっと楽しめる。もっともっと喜んだって、いいじゃないか。

大きな感情がピッチ上で炸裂することを願って。

喜怒哀楽を燃料に、燃やし尽くせ青赤魂。


今年も『2012 FC東京ユースを勝手に応援企画!』にて文章を書く機会をいただきました。あんな長い文章久しぶりに書いたので、どうせならと生存報告がてら、こちらにも転載しておきます。

当ブログを1年以上更新できていないのにも立派な理由があるんだぞ!ってくらいには、それなりに忙しかったのもありまして。「FC東京U-18前半戦総括」という初期テーマがありながらも、実際はまともに総括をしていません。ちゃんと自分の目でU-18を追いきれていたわけではないですから、下手なことをさも事実の様に書くわけにもいかないですし(いや結構やってますけどもね)。なので、今年はああいった形となってしまいました。お読み下さった方は、あれ総括と全然違うやん!とびっくりされたかも分かりませんが、あぁ昔からああいう逃げ方を得意としてたブロガーでしたね☆と、大きな心で読んで下さっていることを願うばかりです。久しぶりに書いてみて、ああすれば良かったこうすれば良かったと後悔ばかりのこの感じが、なんともいいですね。楽しかったです。


今回の原稿、文章としては当然、青赤っ子に向けた応援文ではありますが、内容といいますかその想いは、ボールを蹴っている全てのU-18へと向けています。いやむしろ、ボールを蹴ってようが投げてようが打ってようが、ボールを使って無かろうが、U-23だろうがO-30だって!関係なくすべての人へかもしれません。ですので、今回は自分から文章をアップしようと考えました。応援企画主催者に脅迫されながらうpした昨年とは大違いですね!いやいや。内容が内容なのもありましたので。多くの方に読んでもらいたい系な内容に着地したので。

昨年なんかは、賛同いただいた方、実際の当事者な方のためだけに、っていう思いも強くあり結構躊躇もあったんですが。まぁあれだけの美しい形に編まれた用紙を、手元に収めて読むというあの『出逢い方』ひとつでも、込められた愛が違いますし裏ドラ乗っかってますし。特別な形で青赤な貴方だけにお届けすることが出来た時点でオールオッケーかなと。そこは主催者の仕事ぶりに本当に感謝ですし、お礼をこのタイミングでぶっ込ませて頂きます。


10/7(日)11時からは、小平グランドとなりの人工芝グラウンドにて、プリンスリーグ関東1部第15節、横浜F・マリノスユースとの試合です。文中にも問うた、2-6を受けて何を想ったのか?その一端が少しでも見ることが出来たら嬉しいな。楽しみで仕方がないです。

そして、Jユース杯がいよいよ始まります。

壮大な夢をぶちあげれば、この文章に少しでも感じてくれたサッカー好きが、通常の3割増しのガッツポーズをピッチ内外で披露してくれる、そんなシーンが日本全国で溢れる大会となることを願います。そして、そんな最高の好敵手を真正面から受け止め、かつ倍返しな歓喜を表現する青赤っ子の姿が見れることを何より願います。何色着たって関係ねぇ、勝つのは俺達だ!よね?

肌寒くなってきました。いよいよ冬ですね。