自由が泣いている レビュー -大宮戦

情けねぇ。
自分に対して思う。本当に思う。体力的にだけでなく、それ以上に精神的にか。もう味スタで土肥にコールする事もないんだと思い始めたら本当に辛くなってきて。今週は驚くくらいに、東京の事について全く考えなかった。なんて悲しいんだろう。
レビューも簡潔で済ませます。そもそもプレビューで戦術的な事も大して書いてないですからね。あまり書く事もないんですが。
とにかく終始、試合に入り込めないままに試合が終わってしまったと思う。ワンプレー、もしくはそこを迎えるまでのオフのプレーから何から、何というかやる気というか気持ちというかではなく、とにかく試合に入り込めなかったと。何とも抽象的な言い方になるんだけれども。憂太が抜けてからパスが繋がらなくて、という寸評になっていたが、そもそも憂太が良かったかと言えば、梶山も含めてやはり試合勘の問題が強く出ていたと思うし、いかにも「憂太が残っていれば」を匂わす文章から「憂太が良かった」という誘導は起こしてはいけないと強く思う。ちなみに試合勘の個人的定義は「(良くも悪くも)試合に関わる位置取り」と考えているけど、その視点の上で、憂太は全く試合に関わらなかったと思っている。高レベルの運動量、フィジカル上で見せれていた、あの憂太の「ヒラリと見せる技巧プレー」が、ただ意味のないところで漂い、たまにきたボールをポンと落とすだけのプレーだけで終わっていたから。もちろんこれは梶山も含めて「時期尚早」という言葉で全て片づけるべきなんだけど。
交代でチームをいじるごとに悪くなっていったのがこの試合のパターンだったが、平山や規郎とかではなく問題なのはチーム内コンセンサスでしょう。ハッキリ言って、憂太下げて平山が入ってる時点で、狙いは「放り込み」でしょう。これは平山が高いからだとか、「背の高いヤツはみんな電柱だ」っていう押しつけじゃなくて。最前線の一つ手前に位置したい「意識」の選手がみんなピッチから下がって、攻撃陣がみんな最前線で位置したい「意識」の選手が揃い、実際に中盤に誰もいなくなったわけだから。この状況を見れば放り込まねばという『状況判断』が結論としてでなければダメでしょう(初めての事じゃないんだから)。監督が指示するなり、誰かが操るなり。それもなかったし、あったとしても適応できてないチーム状況・完成度が現実な訳だから。あの場面ではポーンと平山目がけて放り込めば良いんですよ。それが出来てから、フリックオンの狙いが悪いと平山を責め、相変わらず俯瞰で試合に参加できない規郎を責めればいい。その部分だけでなく、そこまで行き着いてないチームも等しく指摘しなければ。
と東京の問題を指摘しているが、だからといって今回の東京が負けにふさわしかったか、とは思ってない。ハッキリ言って大宮は、もしくは東京以上に勝利にふさわしくなかった。降格の崖っぷちに瀕しているチームが、ちょっと出足が速い程度の、しかし球際に必死な意志があるわけでもなんでもない、これが本当に降格争いに瀕しているチームの意志なのかとガッカリしたくらいなチームでは。あまりにも淡泊。試合に入れなかったという面では大宮も等しくそうだった。こんな意志しか発散できないなら、(そして後付けだが、こちらにとって大事だった、試合終了後の原監督のメッセージが始まっても意味のないコールを続けて騒ぐ、空気が読めない・行儀が悪い・センスのない・所詮こちらも「さいたま」だったかとガッカリせざるを得ない大宮サポーターなら)降格も止む無しだなと素直に感じた(大宮サポーターには非常に失礼ですけど、ここまで書かせて貰います)。
だからこそ、負けてはいけない試合だったと。それを踏まえた上で「今季を象徴する負け方だった」という、恐らく誰もが感じ、誰もが使ったフレーズが、自分は導き出されたのです。
ちなみに07年の新ユニフォーム、非常に気に入ってます。例え少数派でも、自分は買いますよ。10番ですよ。『KAJIYAMA』ですよ。決まってないですけどね。