屈辱を受けにドイツに行った身としては

W杯から一年も経っていない今が信じられなくてしょうがない。そしてこの見事なまでのドイツの「無かったことに」ぶりと、同じ過ちを繰り返そうとする周囲ぶりな現状に。

メチャクチャな表題かもしれないですが、ある程度の現状認識、世界との物差しを持っている人だったらこんな気分で行ったって言うのがドイツW杯なんですよ。高額なプレミア代金を払った狂信者や観光気分でぷらっと来たブルジョア様は知らないですが、必死にそして偶然にチケットを手に入れる事が出来た、ただのサッカー好きとしてはこんなもんです。

だってここに行き着くまでの4年間を見ているんだから。仕事を。内容を。あまりに透けすぎていた様々な思惑を。

けどそれでも期待させてしまうのがW杯という魔性なんですが。いや、やはりあれだけの舞台に身を置いたらそれでも頑張って欲しい、世界に、俺が好きな日本のサッカーを見せてやれという潜在愛が出てきてしまうのです。声を出さずにはいられない。ノドなんて試合前にはつぶれていた。

がんばれ、がんばれ、がんばってくれ、下向くな、顔あげろ…

負けた時の感情は、今までの負けとは全く違う、生まれて初めて味わうものでした。

そして屈辱を受けるわけです。昨日の試合を至るところで見た各国のサッカーファンからいじられ、ブラジル人にヘラヘラされ。自分が一番分かっているから反論のしようもなく、胸張ってドイツの街を歩けない切なさ。「つまんねぇ試合見せやがって」世界レベルで受ける視線を、これは是非実際に受けてみていただきたいです。

明らかに見えていた失敗。それが言い訳無用に明確になり、帰国時には日本代表はどんなバッシングを受けているんだろうと、むしろ少しワクワクしながら飛行機に乗ったことを覚えています。何故なら今までの失敗をしっかり批評することから次は始まると思っていたし、その為に「やむを得なかった敗北」に「しなければいけなかった」と思ったからです。

オシムって言っちゃったね」

正直、あの場で受けた屈辱を屈辱と思えない人にはサッカーの全てを語ってもらいたくない。サッカーの事を少しでも思っているのならば感じるはずなあの悔しさ、そんな屈辱を屈辱と思えない人っていうのはそれを屈辱とするのを遮るくらいに大きな別の何かがあるという事だろうから。

サッカーの発展というのはW杯で受けた屈辱を晴らすがために目の色変えて関係者が頑張ってしまう、このサイクルなんだと思います。これは全世界で同じハズです。だから、そのサイクルから外れた関係者・組織の熱の色が目立ってしまうのは当然のことだと思います。そして同じ過ちを繰り返さないためには…

久しぶりに思い出して、イライラしてしまいました。
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