サッカーにおける機械判定の未来は「オフサイド判定」一択である

スポーツ競技において機械判定の導入が盛んではあるが、どうにも成功しているとは言い難い事例が多い様に思える。

例えばラグビーのTMO。

レフェリーのジェスチャーをきっかけに行われるビデオ判定は、スタジアム内ビジョンに疑惑の場面がリプレイで映し出され、レフェリーとファンが同一の素材を基に検討を行う。場内ではファンの緊張を煽るようにBGM演出も施され、緊張の空気がスタジアムを包み込む。

しかしトライの成否をビデオリプレイで判定しようにも、ラグビーというスポーツが”密集の競技”である性質上、どのカメラ角度から見直しても密集が邪魔をして、クリティカルな箇所を覗けない場面が殆どだ。

例えば野球のリクエスト。

内野ゴロの際どい場面で守備側のキャッチが先か、はたまた打者側のベース到達が先か。もしくはスタンドに入った大飛球が、ポールの内側を回ってホームランなのか、外側でファウルなのか。

自分が見たTV中継(CSフジのスワローズ中継)で初めてリクエスト制度を体験したが、何てことはない所詮テレビ局の中継用素材を、そのままリプレイで見返して検討するに過ぎない。コマ数の荒い映像を何度リプレイで眺めても、アウトかセーフか決定的な瞬間は捉えていない場合が殆どだし、ポール専用のカメラを置いている訳でも無いから飛球の行方を追うことも、ホームランかの判定も結局まともに行えない。

それぞれ、ビデオ判定を経ても「やっぱりよく分からない」の理由を補強する結果にしかならなかったが、ファンも審判自身も、何となくそれについて文句を言うのも許されない空気感。それなりの時間をかけて得られたのは結局、心の中のモヤモヤとした気持ちだけ。

このモヤモヤ感、これって「たまたま」の域を超えて、ビデオ判定の「あるある」ではないだろうか。


スポーツにおける機械判定の歴史をしっかりと調べてはいないが、脚光を浴びたのは恐らくテニスでのチャレンジ制度導入がきっかけだろう。そのテニスでの成功を後押しに、各競技でも機械判定導入の検討が始まり、昨今の状況にまでなったと考えられる。

どんな競技においても、いわゆる誤審問題は多かれ少なかれ必ず付きまとい、競技連盟としては頭を悩ませていたはずだ。テニスにおけるチャレンジ制度の成功がきっと羨ましかったに違いないし、誤審問題を解決するためにアプローチを進める事自体は間違っていない。だがその殆どは成功しているとは言い難い。

その差は果たしてどこにあるのか?

テニスのチャレンジ制度においては、ホークアイシステムの導入によって、ボールがどの位置に入ったかがミリ単位で分かる。インorアウトを分ける線上に、ボールが数ミリかかっていたかどうかが、会場でも中継でも瞬時に明らかになる。その判定に当初は疑惑を向けていた人間も、チャレンジ結果の映像を見させられたら黙って従うしかない。

テニスと同じように、フェンシングも機械判定の導入で成功した事例だろう。剣と防具の工夫によって、打突の判定を機械的に実施。当初は太田雄貴も、押し込みが足りない打突だと機械が判定してくれないと「当たり判定」に苦労していたという話もあり、定着までの過程においては競技者側の”歩み寄り”もあったのだろう。ただ、その機械による当たり判定も、ランプとブザーによるアナウンスで競技演出にまで昇華された事によって、それが競技自体の価値も高める事に成功している。


こうして少ないながら成功事例を並べてみると「機械判定によって、瞬時に、100%嫌疑が晴れるかどうか」の違いが成否を分けている事がよく分かる。「瞬時に」「100%嫌疑が晴れる」制度だからこそ、競技者もファンもこの制度を受け入れ、競技としても馴染んだのだと思う。

それら成功事例に比べれば、ラグビーや野球のビデオ判定が、何故上手く機能していないのかは明らかだろう。

そしてサッカーにおいても、ロシアW杯において試験的にビデオ判定(Video Assistant Referee)が導入される。ここまでの話を踏まえれば、この先の未来で起こるであろう出来事も、容易に予言ができそうではあるが…もう少し話を続けてみる。


ビデオ判定の議論の際にデメリットとして挙がるのが、判定に費やす時間によって、競技が中断され、そのせいで競技の連続性が途切れてしまうという部分がある。もちろんそれは、競技自体が大きく変わる重要な話ではあるのだが、しかし議論の本質とは微妙にズレているなと自分としては思う。

例えばサッカーにおいては以前「飲水タイム」「クーリングブレイク」導入の際にその手の議論となった。ある一定以上の気温や天候により、選手に熱中症の危険が高い場合において、試合中に水分補給のための中断時間を設けるというものである。

競技の連続性に関わる話なので、当然大きな議論となった。選手の集中が一度途切れてしまう難しさもあるし、中断中に監督が選手に直接指示を行えるかどうかも大問題となった。それでも今となっては当たり前の様に「飲水タイム」も「クーリングブレイク」も、現場ではスムーズな運用がされている(様に思える)。

もちろんそれは、悪い意味での慣れの結果もあるかもしれない。しかしそれ以上に、選手も関係者も、その制度の必要性を真に納得していたからこそ、制度がスムーズに現場に浸透したのではないだろうか。熱中症対策としての本制度自体の必要性は、そもそも言わずもがな。そのためであれば、中断というイレギュラーも受け入れるし、そのルールを前提に競技というものを考え始める。それは必要な「競技の柔軟性」の範囲内であろう。

つまり、ビデオ判定の導入によって連続性が途切れようとも、その必要性を誰もが感じていれば、そもそもこういった議論にはならないのだ。「時間がかかる割には、100%嫌疑が晴れる事は無い」程度のものに、なぜ競技の連続性を差し出さねばならないのか?単純に、ビデオ判定自体の必要性に全く腹落ちしていないだけのシンプルな話だ。

使うからには、それによって判定のスピードが瞬時で、かつ精度が100%を担保できなければ意味がないのだ。精度40%程度だったのがビデオ判定によって60%になりますよ…では何の意味もない。メリットよりデメリットが上回り、であればやらない方がマシだとなる。当たり前だろう。


ちなみに、ロシアW杯でのVAR導入に際しては、その辺りの理屈を越えるために「ディスカッションを要する場面ではそもそもVARは用いない」としているらしい。VARの要点をまとめると下記とのこと。

・試合を左右する事象に対してのみ使われる。
・明らかに間違っていたり、不公平なものを正すことで、100%の精度のためではない。
・完璧ではない。グレーエリアがある。
・多くのエラーを排除しようとすると、アメフトみたいになってしまう。
・監督や選手からの異議で行うものではない。
・VARが自動的にチェックしてくれる。

VARを検討するにあたって、これまでの事例から学びながら、慎重な議論を重ねてきたことは確かに伺えるが…

様々な点で指摘の余地は複数あるが、やはり一番気になる点は、結局これまでの話の流れで言うところの「瞬時に」が解決出来ていないのでは?という部分だろう。

それは試合の連続性という観点以上に、判断の時間を多く与えるほどに、それが「100%嫌疑が晴れる」状態から遠のいてしまうという人間性の観点に依る部分だ。「これが2分程度で判断していい場面かよ」「10分かけて、結局その判定かよ」時間がかかるほどに、受け取る側の疑惑は膨れ上がってしまうものだ。

だから、その余地が無いほどに「機械的に」「瞬時に」であることが必要なのだ。


ここまでを踏まえて考えると、どうしてもサッカーにおいてVARが成功するイメージが湧いてこない。とは言え誤審問題を放っておく事もまた、許される訳が無い。

ではサッカーにおける機械判定の未来とは果たしてどのようなものなのか?どのような進化がサッカーにとって幸福と言えるのだろうか?

ここでようやく表題に戻れる。サッカーにおいて「機械によって、瞬時に、100%嫌疑が晴れる判定」が実現できるのはライン判定の類、特に「オフサイド判定」の場面においてのみなのである。


オフサイド判定を巡る現状として、まずアシスタントレフェリーがトップカテゴリーにおいて正確なオフサイド判定を行うのはもはや不可能な状態がある。

クリスチアーノ・ロナウドアザール、国内でも伊東純也や永井謙佑といったフィジカルエリートを相手に、DFラインは刹那の駆け引きで対処を仕掛ける。その攻防スピードに付いていきながら、かつ正しいオフサイド判定を行うというのは無理がある。加えてアシスタントレフェリーの場合は、進行方向正面を向きながら走る訳にはいかず、横(ピッチ側)を向きながら、全体視野も確保しつつ…といったディスアドバンテージもある。アシスタントレフェリーとしては正しいとは言えない立ち位置から、ある程度”想像による補完”も加味してジャッジをせざるを得ない場面も多いはず。ただこれを責める訳にはいかないだろう。

方や、オフサイドの判定であれば機械を用いることで「100%の判定」実現への可能性がある。スタジアムには複数のカメラが備え付けられ、競技的にもラグビーの様な視認性の問題も起きづらい。映像技術のひとつとして「自由視点映像」なるものが実験的に行われているが、この技術の延長上に「100%オフサイド判定ができる未来」を想像するのは容易なはずだ。

加えて、オフサイド判定には時間を要さない。オフサイドラインから出ているか出ていないか、2択の判断であれば完全オート化で機会に判定を委ねても問題ないはずだ。

もし映像技術が追いつかないのであれば、例えば各選手に判定用のチップを携帯させることで、カメラだけでは補いきれない部分も安価にカバーできるかもしれない。今やピッチ内の走行経路をGPSで計測している世の中、オフサイド判定への転用はイメージがし易い。ピッチ四隅のコーナーフラッグをアンテナとして転用すれば、得られる情報はより補強されるかもしれない。これまでオフサイドは「手と腕以外の部位の、味方ゴールに一番近い点」であったが、それが「チップの位置である」と競技規則が書き換えられる様にでもなれば喝采だ。

機械判定によって瞬時に行われたオフサイド判定が、例えばスタジアムに新たに常設された赤ランプ点灯でアナウンスされるようになれば、観客としても面白い。佐藤寿人の抜け出しに赤ランプが灯…らない!的な妙味は、サッカーという競技の価値自体を高める事にも繋がるだろう。

技術的な問題があるとすれば、ボールを蹴り出すタイミングが何処なのか?の見極め部分だろう。競馬や水泳競技のように、いつも同じ位置同じタイミングで判定が行われる訳ではないので、オフサイド判定においては最重要な情報のひとつである。

現状は、そのタイミング判断には人間による入力アシストが必要かもしれない。だがゆくゆくは、ボールに仕込まれた加速度センサーで捉えるなり、もしくは映像技術で補うなど、手段は現時点でもいくつか思い浮かぶ。その時点で、それはもう「目の届く範囲の未来」と言えるだろう。

こうしてオフサイド判定を機械に一任することが出来れば、アシスタントレフェリーはその重責から解放され、オフサイドラインを見極める線上に立ち位置を縛られる必要が無くなる。

代わりにアシスタントレフェリーはピッチ上で起こる複雑な事象に、より目を配ることが可能だ。主審と協調し、ピッチ上への監視の度合いが高まれば、重大なファウルを見逃す事も減り、誤審問題の解決にも繋がる。そもそも選手としても、不要なファウルを行うことすら躊躇われる様になるはずだ。

結果、自ずとサッカーという競技自体の価値も上がっていくのではないだろうか。


サッカーにおける機械判定の未来とは…?

サッカーのルール制定などを決める機関であるIFAB(国際サッカー評議会、International Football Association Board)が、慎重かつ丁寧な議論の末に決定されたVAR導入について、我々はまずそのチャレンジについて細部まで理解し、尊重するべきだろう。

その上で、VAR施策の成否、そしてサッカーにおける機械判定の未来について、他競技の事例を参考にしながら、自分なりの意見をまとめてみたのが本件である。

「瞬時に」「100%嫌疑が晴れる」が叶わないVARは、サッカーにおいては恐らく失敗するのではないか。サッカーにおける機械判定の未来は「オフサイド判定」一択である、と。

その答え合わせを、ロシアW杯での楽しみの一つとして据えてみたいと思う。そしてW杯壮行試合として行われるガーナ戦は、国内としてはクラブW杯以来の、また日本サッカー界が主導して行われる試合としては初めてのVAR対象試合となる。

貴重な機会となるガーナ戦において、VARは果たして何を映し出し、ファンにどんな”体感”を与えることになるのだろうか。

…ただ、そんなことよりもVARは、スタジアムに設置する前にJFAハウスの会長室にでも設置した方がいいんじゃないかな、という方が上回ってしまうのだが。


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FIFA.comのまとめページは、外国語が分からなくても一見の価値あり。FIFAがカネとトレーニング時間をつぎ込んで、意地でもVARを成功させてみせるぞという気迫を感じる代物。文中では失敗すると予想しているけど、FIFAの本気の取り組みぶりはリスペクトに値するものだし、実際はどっちにも結果は転びうるとは思う。果たしてVARはどうなるか?それがポジティブに楽しみでもある。