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味スタが『今日も4万人越えたね』となるために 〜その2〜

FC東京

昨今流行りの「見出し詐欺」は、連載モノには向かないものなのですね(震え声)

というわけで前回のつづきです。

今回のセレッソ戦、友人は招待券を用いて12人もの人を味スタに連れてくることに成功しました。果たして、何故これほどの人数を実現出来たのか?ここを「単にヤツがリア充だったから」って結論で終わらせては、何より自分が悲しい。涙で枕を濡らさないためにも、ここを紐解く努力をしてみようかと思います。

  • 集団心理が人を引き寄せる

彼らにとっては、大人数で集まって何かをするというのは「非日常」でした。今回においては、この点が良かったのかもしれません。

普段は味スタになんか来ない人たち。味スタに行くという非日常に足を踏み入れるのは、勇気が必要でもあります。せっかくの休日、つまらん時間を過ごして終わってしまうリスクも頭をよぎるかもしれない。また、自分ひとりだけ誘われるとなると、他人の「日常」にお邪魔する感覚が強すぎるし、それは恐怖でもある。

でも、あいつが行くなら俺も行こうかな、とか。究極味スタでの試合がクソ面白くなくてもみんながいるなら何とかなるか、ぐらいな打算も実際にはあるでしょう。みんなが集まるのに、理由なんて何でも構わない。ぐらいな人が、今回は多く集まっていた様に思えます。そしてその心理は、味スタを満員にしたい我々にとっては好都合なものでした。

これらを乗り越えるひと押し或いは保険が、彼らにとっては「集団」だったという考え方です。

そう考えると、ひとりふたりをピンポイントで呼ぼうとするよりも実は、集団にモノを言わせて勧誘した方が、誘われる側としてはよっぽどハードルも低く、かつ効果も高いののかもしれません。


とは言え、その集団を取りまとめる幹事は当然、苦労が多い。今回の幹事であった友人は、12人が固まって座れ、かつ雨予報に備えた席をということで、朝の6時頃から味スタに並んで確保したそうです。例え友人が勝手知ったるSOCIOとは言え、これはちょっと辛い。

例えば、飲み会の居酒屋団体予約をしてくれたら幹事は無料、みたいなイメージの味スタ版があってもいいかもしれません。ある程度の団体でも観戦がしやすい仕組み。

バス送迎も、大掛かりなアテンド係も、クラブが手数かけて用意する必要は無いですし、代わりに飲み物引換券でもセットになっていれば充分かもしれない。少年少女バスツアーの大人版というか、東商デーの通常営業版というか。町内会、会社の同僚、フットサルチーム、大学のサークル団体狙いもいいかもしれません。

集団を少しでも作りやすくする何かが仕組みとしてあると嬉しいな、と、今回の経験を経たいま振り返ると思います。


彼らにとっては、柿谷曜一朗が味スタに来ることは「非日常」でした。今回においては、この点も良かったのかもしれません。

海外サッカー厨であれば、世間を騒がす天才であり、今後海外での活躍が見込める彼を、移籍前に一目見ることが出来れば…という「非日常」。

柿谷のことを知らない様な女の子でも、「情熱大陸に出たこともあるんだよ」と言うとその食いつきは大きく変わる。情熱大陸とはそれほどに世間に訴える肩書きだったらしく、ある種芸能人を見に行く感覚での「非日常」。

これが、2万人台の味スタに通うことを「日常」としている自分にとっては、その日常の延長上にしか考えていなかった。あぁ今回は柿谷が来るんだね、去年はDFラインでの駆け引きが格段に変わってたよね、さて今年は?程度の受け止め方。

ここ。このギャップ。

お客さんを呼ぶにあたって、このギャップに着目する事はかなり重要であり、かつ、これまで疎かにされてきた発想かもしれません。日常に生きる我々が思っている以上に、柿谷曜一朗は世間に刺さる。この認識ズレが、大きな機会損失になっているのではないかということです。

今回の件によって自分は、柿谷ってこんなにも世間に刺さるのかと、かなり驚きましたし、それであればあの友人も呼べば来ていたかも…と、認識を小さく正すだけで可能性はかなり広がりました。こういった、我々が今まで見落としてきた盲点が、これまでも多くあったのかもしれません。

  • 日常と非日常のギャップが、新規客を遠ざける

近しい事例は他の場面でも表れているかもしれません。「非日常」であれば本来食いつく人に対して、我々は「日常」をウリにしようと、逆に押し付けてしまっているのではないかと。

日常とは、非日常を繰り返していくことで、自然と変わっていくものなはず。なのにいきなり我々は「日常であることのメリット」を押し付けすぎる。それは、まだそれが非日常である人からすれば恐怖でしか無い。この人に自分の日常が侵されると警戒する。これでは人は第一歩を踏み出そうとはしない。

逆も言えると思います。招待する我々にとっても、招待客に日常をさらけ出す恐怖がある。パーソナルな部分をそう簡単にオープンになんか、出来ない人だって多いはず。そういう人にとっては「招待する」という行為もまた、恐怖でしか無い。

今回、12人ものお客さんを招待した彼に、「リア充である」以外の勝因を探すのであればそれは、味スタの日常に住むアイツが、非日常として全てを振る舞った点にあるかと思います。普段の我々が楽しむ日常を、ではなく、あえて非日常に「リパッケージ」して紹介したことが、この結果を生んだと。

その観点で見た時、対戦相手であるセレッソ大阪がこのリパッケージしやすい素材であった点も、今回の勝因をフォローしてくれました。

もちろん、味スタでの試合が毎回こうもリパッケージしやすい条件が揃うことなんてあり得ない。だからこそ、その時の開催が例えどんな素材であろうとも、いかにリパッケージしてみせるのか?この意識と工夫が、通年的なポイントなのではないでしょうか。

川崎フロンターレほどのことはしなくても、青赤横丁だって立派な「リパッケージ」なはず。けど青赤横丁は、イナゴ共を満足させる方向にベクトルが強い。切り口を変えて、リパッケージ路線で青赤横丁を使えるようになると、もっと面白くなるのではないでしょうか。

  • 招待券を持って来てくれた客が味わう地獄

こうしたリパッケージの末に来てくれる、新規のお客さん。しかし、彼らに待ち受けるものは果たして何でしょうか。

    • 来たところで、招待券引き換えテントの混雑で長時間待たされ、その間に試合開始
    • ようやく入ったところで、SOCIO入場で既に席が占拠されて、座る席が無い
    • 腹減ったからと飲食に並んだところで、尋常ではない行列と、謎の殺気

こう並べてみると、待ち構えているのは地獄です。例え招待券でタダだろうと、この地獄をわざわざ味わおうと思う人が果たしてどれだけいるのか?地獄を味わった人の中から、また味スタに来てみようと思ってくれる人が、この中から多く生まれてくるのか。

とてもそうとは思えません。


『40,137人』は、現行招待制度で可能な最高到達点であったと思います。故に、この招待制度はもう限界だとも思います。

FC東京・市民スポーツボランティア の活動日記によれば、あと少しの動員で大入り袋が配られたとのこと。次こそは大入り袋に届くために、またそれが毎試合続くために。抜本的な部分で考えなければいけないこととは果たして何だろう…


でも考えきれなかったので、次回につづく。