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目を開けた先に見える景色は

Jリーグの歴史、そして日本サッカーの歴史を、時々それこそ年表のように大きく俯瞰しながら妄想する時がある。19年目のJリーグ、ようやく百年構想の1/5を迎えつつある『程度』の歴史しか無いJリーグの、その前後を。

その観点で日本サッカーの現在、そして未来を思うと、自分はいつも楽しくて仕方がない。


前にブログで書いたことがあったかは分からないが、以前典型的な欧州サッカーかぶれ野郎、それこそイングランドは日本と違って100年の歴史があるんだぜ!とか平気でヘラヘラ言ってくる奴に大人気もなく平気で腹が立った自分は、そいつと軽く口論になった事がある。もちろん、相手には自分がこれほどのサッカー馬鹿だとは知られていない、世を忍ぶ仮の姿な状態で仕掛けてしまった論戦なわけだが、しかしやり取りを続けていく内にどうにも自分の熱も冷めてきてしまい、次第にやけに冷静に受け答えするようになってきた自分に何となく気づき始めた。そんな流れの中でふいに口にした言葉だったと記憶しているが、これが手前味噌ながらなかなかの言葉であったと今でも思う。

『いま既にある100年に乗っかるだけの何が楽しいんだ?これから100年を当事者として積み上げていくことのほうがよっぽどエキサイティングじゃないか?』

もちろん、こんなことが以前ありました調で書かれたこのエピソードは実際には無かったウソ話。それこそ退屈しのぎに練り上げた妄想の成果でしかないわけだけど。ただ、最後に書かれたこのフレーズは偽りのない本心だ。


既に100年に到達しているフットボール先進国に比べたら、日本が歴史の数で彼らに勝つことはこの先も一生無い。日本が百年の歴史をようやく積んだ頃は、先進国は二百年という次のタームに既に足を踏み入れている頃でもある。

しかし、所詮後発な日本だからこそ出来ることもある。日本は先進国の百年から学ぶことが出来る。学び、改善することで、先進国が百年かけてようやく出来たものを60年で出来てしまうかもしれない。そしてこの、必死な積み重ねの、我々は当事者に位置している。我々の手が、声が、100年を50年にだって出来るかもしれない可能性を秘めている。

こんな楽しいことが果たして他にあるか?いや、無いね。

日本サッカーが歴史を重ねること、そして日本サッカーの未来を覗くことが、自分は楽しくて仕方がない。


そんな、20年目を視野に入れた現在のJリーグの中で、日本サッカーの次のタームはどんなものだろう?とも考える。

ある時に考えたもののひとつとして、旅立つ貴方をちゃんと見送れるか?というのがあった。

個人的に海外だとプレミアリーグが好きなこともあり、見るとすればイングランドの試合が多いわけだけど、その中継を見ていると、クラブのレジェンドの訃報とそのセレモニーの説明を放送席が挟んでから試合が開始されることが少なくない。これだけ長く文化も続けば、クラブに貢献した選手・スタッフは確かに多いだろうし、またそんな功労者が悲しくも旅立たれてしまうシーンも自然と多くなるということだろう。

クラブもサポーターも、手厚く丁寧に、旅立つレジェンドを確かに見送り、しかしそれでもサッカーを続けていく彼ら。を、ブラウン管越しに見ながら。今後こんなシーンが日本も増えていくのだろうか?と、ぼんやりと考えながら。

歴史を重ねるということは、出会いもあれば、別れもあるということ。そしてそれは、歴史の重みが増せば増すほど機会は今後増えていくだろう。年をとるとはそういうことだ。そして、その時にちゃんと見送ることが出来るのか?そんな、俯瞰で考えてたタームに、唐突に突入してしまったこの激痛。


ある意味で始めての当事者となった今日。

自分の見知る中での、かなり身近とも言えるレベルで起こった不幸に、震え、涙が止まらない今。いや、自分なんかよりよほど身近な方はいくらでもいるわけで、その方々を思うとそれ以上に…

この先いくらでも辛い別れはあるのだろう。ただ、そのひとつひとつにはオンリーワンの思い出がパンパンに詰まっている。それらをちゃんと受け入れ、ちゃんと見送ることが、果たして自分に本当に出来るのだろうか?

今の本心を言えば、歴史を重ねることが恐い。こんなに辛く、打ちのめされる現実がこの先もあるかもしれないと考えてしまうと、とてもじゃないけど未来を見る勇気が無い。

しかしそれでも、明日は来てしまう。歴史は歩みを止めることは、無い。


愛するクラブは今週末、遠く岐阜での試合。もちろん行けないので自宅観戦の予定だった。しかし、LIVEで中継を見れなかろうとも、やはりどこか何でもいいからサッカーのあるところへ出かけたい。彼への黙祷。どこでも出来るしその価値は等しいけれど、それはやはりサッカーのあるところで捧げたい。不安も辛さも抱えながら、しかし今は、目を開けたその先に見える景色が見たい。そしてまた、僕らは日本サッカーの歴史の当事者として、景色を作らなければならない側でもある。

Football Must Go On

マツへの黙祷の後に、見える景色はどんなものだろう?どんな景色を作れるだろう?

しかし今は、ただただ、悔しい。