さよならは別れの言葉じゃなくて -新潟戦

この試合の位置付けをまずはっきりさせなければいけない。

いくつもの正解があっただろう。ACL出場への、細い可能性を信じて。またシーズンラストを綺麗に締めくくるために。もしくはいつもの試合と変わらずに「勝つ」ただ一点のみを求めてか。そもそも要素が単数なのか複数なのか?って問題もある。更にはこの試合に触れる環境の違いも、現地にいたのか、TVで他会場の結果もダイレクトに入ってくる状況で見れるのか、それらも要素を決めるのに関わってくると思われる。

現地に行った自分としては、「フジ・サリを出して、勝つ」これがこの試合の位置付け。そしてそれは現地組の総意だった様な気がしてならない。

もしかしたら自分の周りだけの話かもしれないが…そう思わせた要因の一つとして、自分の周りには試合中にケータイを観るサポはかなり少なかった気がする。棚ぼたACLのためには広島の途中経過が必須なのに、今やそんな情報もリアルタイムでケータイで知れるのに。もちろんHTには確認する。けど試合中は目の前の試合に集中して…そんなぱちんと割り切った意志、その統一。

それは勿論、自分らの立場がシンプルだったこともあるだろうし、それどころじゃないって現場感もそもそもあったはず。上手くいってるような、けど危険でもある様な…


新潟は自分が思ってる以上に随分と良かった。

開幕戦のあのボコられ方は完全にフロックだと思ってた。90分の中で、現在進行形で新潟のチーム的不足が補われていく様は、我々の未熟さが新潟を完成させるアシストになってしまっている悔しさも相まってどうにも認められなかった。あの程度のチームに、受けたこの辱め。どうしてくれる?!の、それ。

しかしそこから新潟は予想外の快進撃。

そしてその後。お互いに人の出入りもありながらで迎えた最終戦。見るとやはり、新潟は良いチームだった様に思う。

新潟はオフ時によく動き、それが攻撃の際の厚みとなっていたが、それが日本っぽくない、何とも直線的な動き方だったイメージ。バスケットボールの様に、直線的にカットインしながら味方選手とのスイッチングを繰り返しながらゴール前にカオスを生む。その、スイッチングの上手さスムーズさ、バスケ的なアメリカンサッカーは、日本の中では珍しい方の形で。おなじみの「フィニッシャー不足」の問題を除けば非常に好感の持てるスタイルだった様に思う。

そういう意味では、結果だけ見れば正当な結果だったのかもしれない。こっちの状況も併せて思えば。


何とも随所に、今年の東京を象徴するシーンが目についた試合だった。

復帰した「チームの核」が期待通りの躍動を見せる。梶山は日本最高峰のキープ力で時間と相手のギャップを作る。今年チームで地味に意識高く取り組んでいた「パススピードの速さ」に関して、梶山はもはやワールド級だと思う。ラストパスに向けた「決めパス」を、あれだけ目一杯、強烈ミートでパス通さないとダメだ!と意識できて取り組めてる日本人はほぼいない。あれで負傷を抱えているんだから恐れ入る。

さらに平山。

梶山と違って平山の活き方はチーム状態によりけりで、この日は空中戦での無双ぶりがとにかく目についた。どのボールにも、機敏に動き落下点に入り、空中戦をしっかりと競り勝ってくれる様は、やはり彼が日本規格外であることを確信出来る成果だったと思う。

彼ら「チームの核」が映えることで今年を象徴していたのだとすれば、負の部分でも今年を象徴していた。

失点部分は明らか。聞けば某卒論レベルでも暴かれてるほどに明らかなこの弱点は、中閉じる城福守備においてはおそらく一生つきまとう問題。クロスをそもそも上げさせるな!という要求をし続け、けど改善されることはないんだと諦めている。

それでもそこに少しでも光明を見いださないとやってられない!となると、やはり中央の「空中戦の強さ」「弾く強さ」を求める方向になるんだと思う。草津戦でユースケCKから佐原ヘッダーでの得点があったあのシーン。セットプレーで点が取れないのって「蹴る側の問題もあるけど、そもそも論として中で構える選手の空中戦の強さもあった」って、ごくごくアタリマエの事に気付けたシーンだったと思う。

失点シーンだって、権田の飛び出しの問題は当然としておきながらも、言っちゃえば代わりに他の選手が触れてれば防げたわけで。マーカーだった赤嶺は剥がされてるし、そもそも来たボール全て跳ね返せる空中戦の強さ持ったDFが入れば済んでいた話かもしれない。しかし、それらを全てひっくるめたものが東京の問題点であり、それは最初から最後まで、年間通して結局一貫していた問題だった。

そして平山依存。これはむしろ空中戦の部分で思った。

過ぎったのは、バスケットボールでのリバウンダーの選手。あまり詳しくないバスケだけど、リバウンド拾うために空中戦を連続して戦うには、強い下半身が必要であり、また下半身にかかる大きな負担と戦わねばならない。貴方の知ってるバスケ漫画、リバウンダーのキャラは誰もが膝・腰を悪くしているはず。

平山が空中戦で無双の勝負ができるからこそ、彼にかかる負担の大きさを心配に思う。

彼への負担へ細心のケアを。観る側も、あれを当たり前として見ていたら危険だし平山自身に危険が生まれる…なんて信号を受け取ったが。

並べてみても、年間通した課題が解決されないまま最後まで来れば、そりゃこうもなるわとも思えなくもない。危険な問題点を、城福トウキョウはあまりにも見逃しすぎてきた。そのツケを払ったと言う意味では正当な結果が出たんだろう。


だからといって、正当だと納得して引き下がるわけにもいかない。こっちには勝手な都合がある。それが冒頭に示した位置づけの問題。我々は、極私的な理由によって「フジ・サリを出して、勝つ」必要があった。その一点に、集中されたこの日のゴール裏の雰囲気は凄まじかった。

「フジ投入されて、これで負けは許されないぞ!」

「サリが投入出来る為のプレーをお前らがするんだよ!」

飛び交う怒号に、間違いは一点も無かったと確信する。

ご存知、サリ投入の準備がされたときに、忌まわしい失点を食らった。あの時、タッチライン際で頭を抱えるサリの姿は、果たして中継には映ったのだろうか?現地にいる人間はもちろん、それを観る。

胸が詰まる。

しかし、試合はまだ終わっていない。

投入される浅利。サリとヨネに試合再開を任せたチームの意思も、「時間はあるぞ!」と叫ぶゴール裏の意志も、全ては一致していた。だが、このタイミングでの同点ゴールに、ホーム最終戦の新潟のスイッチが入らないわけが無くて。締め括りを美しく。そんな欲が、新潟側の都合が爆発する。

情念があれだけ渦巻いたラスト数分は、その情念の中心で想いを発信する側に立ちながらも、またその想いがグッチャグチャに身にぶち込まれて、何だかクラクラしてしまった。あんな雰囲気は数えるほどしか体験したことが無い。シーズンラストの試合、って事なんだろうな。

さよならは別れの言葉じゃなくて
再び逢うまでの 遠い約束
現在を嘆いても 胸を痛めても
ほんの夢の途中

日本の歴史には美しい日本語がいくつもあるわけだが、それを危険な形で引用して、締めにかえさせてもらう。サヨナラの瞬間に向けて、結果あの場に渦巻いた情念。ありがとう。ごめんなさい。寂しいよ。けど、この先でまた笑って会えるはず。

その時が再び来ることを待ちわびながら…09シーズンに、サヨナラ。