全てはゼー○のシナリオ通りに -磐田戦

えー、スポーツは筋書きのないドラマ、だなんてことを申しまして。何が起こるか分からない。時には空想で描かれた小説なんかよりも事実の方が…ってのもよくあること。しかし今日は…
そんな、筋書き通りに終わった、土曜日のお話。


長友佑都についてから話を始める。

とにかくここのところの長友のパフォーマンスは入団以降イチの出来で。本来持ち合わせている「攻めっ気」ってのが、日の丸を背負うとうまく出るのにいざ東京でとなるとイマイチ自重気味になるのが多かった。それが、ここ数試合はちょっと違う。明らかに比重を攻めに置き、オーバーラップのタイミングもかなり勝負するようになった。それが「奇策!FW長友佑都」が何か悪いツボを刺激したおかげなのかは分からないが、歓迎すべきことなのでとりあえずは良し。加えてこの日なんかは深くえぐる事以上に、クロスの好機を逃さないクロス、つまりアーリー気味に、グラウンダーで速いボールをGK-DF間に上手く落とす感覚で、なかなか恐ろしいクロスをボンボンと供給していた。

このクロスの質に関しては、長友のみならず石川も羽生も、チーム全体で意識高かったもの。それがジュビロ対策の一つだったのかどうかは分からないが、その狙いはトップに鈴木達也がいたことで効果的に、相手の脅威なり得たものだったと思う。
FWは平山-達也の筑波コンビをこの試合で組んだことにより、「降りる平山・抜ける達也」の形は随分とハッキリした。
しかし、こと城福東京のmoving footballにおいて、こうも役割がハッキリとしすぎることもあまり宜しくないのだからめんどくさい話である。

結局パスってのは、「パスコースを見つけ」「見つけたパスコースにパスが通せると判断し」「パスをコース上に通せる技術を発揮」することで初めてパスになる。前半が裏へのボールが多く、楔が少なかったのは、つまりはまず「楔へのパスコースが見つからず、裏へのパスコースが見つかりやすかった」可能性を考える。
確かに、達也はあらゆる場所で、ボールを受けるがために非常に大きな動きでアピールしてきた。短い距離、というか数歩での顔出しというよりも、もっとロングスプリントでのアピール。それが裏抜けに対してはアピールになったし、楔に降りる際にはそうではなかったということ。しかし、達也が降りて楔を受けんとする動きをしていたのは確かだった。
見て思ったのは、達也の降りる動き出し、楔を受けるために達也が作ったパスコースってのは、タイミング的にはかなりシビアなもので、そのタイミングに見なければそこにパスコースは見えない代物だったように思う。達也が長く動く中で、その移動行程のうちのわずかな部分がパスコースたり得た。
サテライト等でちょくちょくFWとしての出場機会はあった達也だったが、そのタイミングを出し手に知ってもらうという点で、やはりそこのコンビはまだまだこれからだった様に思う。加えて平山が、この日はらしくないくらいに空中戦に負けていたので、いわゆる「サイドを攻めるためのmoving football」に終わっていたのが、停滞の前半の要因だったと思う。


退屈な前半は、ほぼイ・グノを楽しむことに費やしてしまった。
まいったね、馬鹿にしていたけどこの選手はすごい。抜け出す動き・消える動きが逸品すぎて、試合中ずっとグノを追いかけているだけでも楽しい。相当の予測が無ければあのタイミングでスッと切り返して相手を剥がそうだなんてできない。あれは確かに欧州欧州と駄々こねていい代物だし、少なくとも次のステージを与えられるべき選手だと納得した。それだけでなく俺の前田遼一だって、高さあり収めありで。そこにテクを感じるから好きなわけで。早いところ東京に来てほしい選手。ウチならもっといいチャント作ってやるぜ!
ヤマハスタジアムで見た試合ですら、磐田のサッカーにそこまで悪い印象を抱かなかったわけだから、この試合だって。サイドからの攻め方、クロスまでは形作られて、後は中でどう決めるかだけだったように思えたあの時期の磐田に対して、今の磐田は前田・グノのコンビがそれぞれ好調+両者の関係が優秀である事もあって、中央を使いながらのサイド展開にもう一つ形が乗っかってたように見えた。悪い印象は無いんだけどなぁ磐田…変だと思うのは磐田サポのトイレットペーパーみたいなバンデーラくらいなもんで。あぁあと八田か。八田はさすがデビュー戦ということもあって、開幕戦の権田を見ているような散々な出来だったから。


後半。点が動いた一点目はナオのゴール。正直八田のミスでしかないゴールだったが。こういうところから試合が動く。なるほど確かに一番脆いところから、クラックは広がり、馬鹿試合は始まる。
しかし、それに権田がお付き合いしてはいけない。キャッチングの柔らかさを感じていたそばからあのミス。ミスの数を「ゼロかイチか」の勝負をしている権田には、イチをしてしまった責任はしっかりと忠告しておかねばなるまい。加えてドフリーにさせたあの2失点目も。今シーズンのCK失点がほとんど徳永マークから、っていうウラ事実はあるけど、ここもあえてリーダーであるべき権田を責める。ベンチに座る「もう一人のGK」を見て、せいぜい危機感を感じるといいと思う。


ここから吹っ切れたのか。奇策がハマる。まずは長友MF。
長友FW作戦が報道で伝え聞かれるようになってから、自分はどうにも懐疑の目でこのオプションを感じていた。そもそもの、オプションを広げるという作業自体は大賛成であることを付け加えた上でこの長友FWオプションについて語ると、おそらく多くの人が思うのと同じようにそれは長友には長い距離を走らせてこその選手だと思っていたから。走らせシロを減らす施策が彼の良さを活かす上で果たして最善なのか?という部分。加えて、自分は長友FWよりも徳永FWだろ!と思っていたこともあって。ここで徳永FW論の説明を始めるともう猛烈に脱線するので省略するが。
しかし、その意見もちょっと改める結果に。長友の1ゴール1アシストは人の考えを改めさせるには十分すぎるスコア。
自分が長友FW(この試合では左MF)を計る上で考慮し忘れていたのが、嗅覚的な部分。そしてそれを超えた「野性的な部分」あぁそうか、彼には裏コード。ザ・ビースト!がある事を忘れてたニャン!
と、馬鹿にしたような言い方をしはしたが、野性的な部分・嗅覚的な部分は今までの長友をしっかり思い返せば見逃してはならない可能性として確かに輝いていたなと。それは間違いない。それに気付けなかったことには今では反省するばかりである。しかし、それでも徳永FW論を捨てるわけではないが。
奇策。続いて今野トップ下。
逆にこちらは嗅覚的な部分を活かしての対策だと思っていたので、そこまで違和感はなかった。また、控え選手のCB過多と、いまや立派な戦力である椋原の存在を思えば、オプションのイジリ元はここしかないと思っていたから。
けど、ここでまたちょっと思っていたのと違う展開になったのは、今野がパワープレー的な形の中心として輝いたところ。競り合いで相手と今野がつぶれる。しかしお互いつぶれた後の立て直し勝負で今野が勝ることで結果攻撃局面を優位にする感じがよく出ていたし効いていた。この辺も、想定していた得点部分の期待とはまた違った効果だった。

さらに、北斗の起用。

もはや北斗も、起用自体が奇策と感じてもおかしくない立場になってしまったが、この日は彼の良さが輝いた。
鹿島戦の時もそうだったが、彼が輝くのはボールを持った際のキックの種類。その種類を駆使して多彩な手段でボールを危険箇所に「放り込む」センスだった。それがズレまくり、何がしたいのかが分からないままに前半のみで下げられたのが鹿島戦。
けど、そのキックの多彩さが輝いたのがまさにあの2点目を産んだクロスのシーン。あのタイミングであのキックを入れようとするところのセンス。彼の生きる道を示したクロスだった。


それでも、攻守めまぐるしくやってはやられての非常に不安定な攻防が続き、結果お互いが足を引っ張り合いながら、この日も無念のドローになるところだったと思う…それが!
多分誰もが「そこで赤嶺がグチャグチャーってなったところをゴガーって何か決めちゃってさぁ」って願っていたはず。それもかなりありうる話として。そうしたら案の定のあのゴール。誰でも描けそうなシナリオがそのまんま表現されたのが逆に笑えた。「そこは誰も思いつかないようなシナリオが出るところと違うんかい!」と、サッカーの神様に突っ込んでしまったね。

こんな嬉しい事は無い。前回エントリを読んで恐怖感煽られてしまった方々は反動もひとしおだったでしょう(笑)


前回エントリで書いた、熱量の問題。どうも多くの方に「思うところ」があったのか反応をいただけましたが、そんな、えも言えぬ危機感がしかしそれなりに心の中で共有されていたことには逆に恐怖感も感じたりもしました。事実この試合も、懸念していた事態とは紙一重であったと思うし、潜む「何かの」問題は確実に存在しているのは間違いない。

けど、言い出しっぺの俺が、結局赤嶺のゴールに狂喜乱舞し「とりあえずそんなことはどうでもいいっぺ」って気持ちで心は埋め尽くされてしまうっていうね。

それは、現状認識から逃げることに他ならないし、問題を先送りにしているにすぎない。目の前の歓喜に負けて、都合の悪い事にふたをしているだけでしかない。

けど、まず一つにこういう勝ち方をして見せたFC東京の底力。

「何でもいいから勝ち点3」という状況に我々が既に陥っていたことを示した格好だったのが今回の勝利。その状況の中で、やっとのことで手にした勝ち点3にはしかし「チーム初?の再逆転勝利」「ジュビロキラー赤嶺のロスタイムゴール」など、様々な要素をくっつけてきた。この粘り腰。東京の歴史と持って生まれた劇場性、また城福東京の発する明確な意思など、「ただの勝ち点3」にしなかった事への、ある種の念のようなものを感じずにはいられなかった事。

そして、そう単純に思うことが、少なくともただ自分の健康のためには悪い事ではないということ。

うちの姉が日本代表の試合を見に行った時の話。それがどの試合だったのかはもう忘れたけど、それなりに遠く、またかなり過酷な天候だったように記憶する。その試合を自分はテレビで観戦し、日本代表は勝ちはしたもののしょうもない内容で見てるのもつらい出来だった。加えてこの天候。労いと、お疲れさんの気持ちで、やや冷やかしで姉に電話した。
「しょうもない勝ちだったねぇ」
『しょうもない勝ちだった。けど、これで少なくとも自分は健康に家に帰れる。これはでかいよ』
勝って帰るのと負けて帰るのとでは段違いなのはご存知の通り。それが、例えしょうもない勝ち方だとしても、勝って帰れるかどうかの違いは天と地ほどに大きい。それは俺たちの「健康」に関わる問題。それは自分のための一番大きな問題。

FC東京の勝ち負けは無敵の媚薬にも、人を殺めるほどの毒薬にもなる。
その威力は正確な現状認識を邪魔する存在でしかないが、しかし、おかげで手にした健康がすこぶる調子がいい事実もあったり。

何とも難しい。しかし、「自分の健康」を基準に物事を考えることも一つの正解なのかもしれない。なんてことを思ったりね。