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そのパスに世界を知れ 日本北京五輪代表−アルゼンチン北京五輪代表

日本代表

国立競技場にいってきました。
国立競技場にいたんです。
つまりは、そういうことです。
まず中止に関してですが、現地にいる者としては当然の判断だったと断言します。雨雪に関してはいくら降ろうが関係ないけど(まぁ雪は大いに関係あるか)、雷は無理。本気で危ない。HT中から見られた稲光は、試合中には轟音とセットで見られるようになり、まるで雷雲が近づく警報の様に雨足はだんだん強まり、そしてあのタイミングでは明らかに近くで雷が落ちていた。それを見たタイミングで主審が判断したのは明らかで、いよいよ身の危険を感じて中止と判断。外野判断としては正直遅いくらいだとすら思われたかもしれないけど、あれだけ降っていてむしろ「雷が落ちる」って直接の場面はあのタイミングがおそらく初めてで、止む無しとしてほしいところではある。
また今回の件に立ち会って思い出したのは、先日の日曜日の鹿島-浦和戦での、同様な雷雨による中断という事例。この時には運営側の呼びかけに応じずにスタンドに居座り応援を続ける両サポーターに何度も注意を促しながらも応じないなどといった事があったらしい。ニュースを見た限りでは「意地の張り合いかダッセーなぁ危ないからさっさと非難しろよ運営側にも迷惑だろ?」と他の方々と同じ、至って当然の感想しか沸いてこなかったわけだが、今日この日ずぶずぶのびしょ濡れになってみて、そのサポたちの気持ちもちょっと分かった気がした。
つまり、「濡れれば濡れるほどにアホになる感覚」。
雨が止まずに「濡れたくないなー」って感情の限界点を突破したときの、「オラオラもっと降りやがれコンノヤローアンチキショー」の、あの感覚。今まではじっくり見たいなと思っていたのに、とたんにワンプレーごとに『無駄に』声を荒げて意味のないスーパーハイテンションに突入してしまう感じ。普段サッカー観戦を愛する方々なら分かってもらえるだろう(と信じているが)この感覚。サッカー観戦あるある。こうなるともう、いくら濡れてももう関係ないからもうどうにでもなれヒャッホー、本場アルヘンサポと一緒に「女よりも〜仕事よりも〜東京〜」ってなるわけで、一言で言えば「アホになる」わけです。
んで、アホになる側になって分かるのは、運営側は避難を促す対象が「アホ」であることにもっと気づくべきだということ。冷静に考えれば当然なんだけど、何せ相手は「アホ」になっているわけで、「さ〜んじゅいち、さ〜んじゅうに…」なのである。なので運営側としては、必要である避難誘導に際しては「アホを相手にしている感覚」で、運営プログラムとしてはより直接的な厳しい誘導処置をしっかり行える準備をしておくべきなんじゃないだろうかと思う。
何かが起こってからでは遅いわけで、もしかしたら運営側にこのサッカー観戦あるあるが感覚として抜け落ちていたら、という危険を考慮して提言しておく。そしてもちろんこの話の前提は「鹿島サポと浦和サポが、『雷雨のせいで』アホになってた『かもしれない』」です。
やっぱり前置きが長くなって、アルヘン戦。ご覧のとおりの、すばらしい試合だった。
タイムオーバーのHTで、アルヘンのギアはやはり数段上がった。前半の出来を省みて監督が、もしくは選手自身でかスイッチを入れてきた。それからのアルゼンチンは、ただの強豪が行っていたポゼッションから飛躍し、ポゼッションの1プレー1プレーそれぞれに、強烈にゴールを狙おうとする意識というかオーラが強烈ににじみ出ていたように見えた。ただ、それに日本も負けない。強い気持ちが野心的なプレーを生み、ガチンコのフィジカルコンタクトで最終局面で相手に仕事をさせない。そんな両者のプレーには、天候のせいもあってかだんだんと「気持ち」が乗るようになってきて、両者共にプレー振りで気持ちを感じさせる、ミックスアップな試合を見せてくれたと思う。見てる側としても、単純に面白かった。雨のせいで帰る人も多かったけど、そう判断するにはあまりに「もったいない」くらいの試合だったんじゃないだろうか。いや、見ている自分がハイテンションになっていたから、かなりの補正がかかっているかもしれないけれど。
アルヘン側の注目はなんといってもパス精度。アルヘンのポゼッションは、よく見ると実は取り立て別に特別なことをしていない。南米的なイメージの奇抜なプレーというのはフィニッシュ近くで一度行うだけで、それまではシンプルに丁寧に、ただただつなぐだけである。しかしまぁ、その「ただつなぐだけ」が凄いわけだけど。ピシッと相手の「部位」に向けた正確なパス。たとえば日本のパスでスピードをつけようとすると、どうしてもショートバウンドになってしまい、さらにその最高点で相手に届いてしまうような優しくないパスになってしまう。しかしアルヘンのパスはまさに、芝の上を走る。強烈にミートしてもボールが変にバウンドするでなくスーッと走る。バウンドさせたとしても、相手に届くあたりでバウンドが落ちるように計算された「優しいパス」だ。それを、左に張った、左利きの選手の、左足へ、相手スピードのロスが全く無い部位指定で相手へ。その相手もまた、適切にボールの勢いを殺し、さらに次のプレーのためにボールを置く位置にこだわる。
ゆえに、淀みが無い。「良いパスが良いトラップを生み、良いトラップが良いプレーを生み、良いプレーが繋がり良いリズムが生まれる」シンプルなことをやっていても、止める・蹴るの技術を突き詰めるだけでこれだけを生めてしまえるということ。サイドチェンジでも相手が戻るロスの大きいパスが多かった日本と比べてしまうと、この差はどうしても目立ってしまう。この差は、特にこれからの育成年代にかかわるすべての人たちに見てほしいところだ。この止める・蹴るの最高峰を「基準」にして頑張ってほしい。
そんな基礎技術の凄さを発揮しまくったアルヘンだったが、それでも1得点というのは、ひとつに「パス精度は凄かったが、プレー精度はそこまででなかった」ことが挙げられる。パス精度でもあれだけのものが生めてしまえていたが、前半始めのあのグラウンダークロスで得点が取れなかったのを象徴にプレー精度にまでは繋がりきらなかった。パス精度とプレー精度の違いを多分、ホントは厳密に定義しなきゃいけないんだろうけど、まぁいいや。で、このプレー精度っていうのは「組織力による補正」が非常に大きい部分で、アルヘンとしてはそのプレー精度が低かった=組織力はまだまだとしていいところでしょう。リケルメだってまだ明らかになじみきれてないし、その辺はこれから、むしろ大会中に上げていきますよ位の決勝を見据えた計算はバチスタ監督もしているところでしょう。もうひとつは日本DF陣の頑張り。とりわけ森重の奮闘はMOMに選びたいくらい。身体を張って、よく守っていた。
日本のサッカーっていうのは、パス精度だとかそういった攻守でのスキルの足りなさを「組織力の補正」に大きく頼ることによって世界と戦おう、って事だと理解している。なので日本が代表レベルで世界と本気で戦おうとするならば、組織力の補正に力を注げる人材が第一というよりも全てでしょう。この日の日本は、アルヘンよりかは「組織力の補正度」は大きかったと思うし、そのおかげの良い攻撃もいくつかあったと感じています。
最後にこの日の主役の一人だったと思われる豊田について。ハッキリ言って、前述の止める・蹴るの話で言えば、止めるに関しては世界と戦うにはスキルは足りない。受けたボールをトラップするのにあれだけバウンドさせる必要は全く無いわけで、そこを狙われて掻っ攫われる場面は多かった。またボールを収めるにも、相手のフィジカルコンタクトに潰されるまでで終わって欲しくは無かったし、たとえばファーストタッチで前にボールを運んでスピード勝負、なんてアイデアプレーも見たかった。
また、豊田は身長はあるが、いわゆる電柱系ではない。平山の代わりではない。豊田は「トヨグバ」と呼ばれているだけあって、そういうプレースタイルの選手だと認識している。けどそういう使われ方をチームができていたか?という疑問もある。豊田が平山の代わりでなくトヨグバとしてチームで使われる姿をもっと期待していただけに、少し残念ではある。しかるべき舞台までに、突貫工事は終わらせられるか?
厳しさのある、すばらしい壮行試合だったと思います。できればこんな厳しい体験をもっと前から積ませてあげたかったのが本音だが(アジアの域を出ない、工夫の無いマッチメイクへの不満は昨年から言い続けているが)、このタイミングでこの相手だからこそのこの充実感でもあるわけで、まずはこのタイミングでこの試合が経験できたことをよかったと思うべきでしょう。
そして、来週には本番。日本サッカー恒例の、「壮行試合で燃え尽き症候群」だけは止めてくれよと釘を刺しておきます。
※追記:選手生活を引退なされて、電通に就職された外池大亮氏については先日ココでも触れたんですが、今日この試合ではなんと正装で首からパスぶら下げて、スタッフとして仕事をされていました。スタンド席で注意事項だかなんだかを説明したり(聞いていた観戦者から拍手をもらってた笑)お客さんの誘導、またスタジアム清掃のボランティア募集の集合場所で誘導・説明されてたりとバシバシと働いていました。遠目から、あっ!って気づいた程度だったけど、人と触れて仕事をしている感じはさすが、人間が元々できているんだろうなぁとか思ったりもしました。電通といえば最近、東京五輪招致がらみである話を聞いて相変わらず…な印象が大きかったんですが、順調に、頑張って欲しいものです。