我こそは、という者はおらんのか! ×オーストリア戦

まるで合わせ鏡。攻撃へのかけ方は違えど、どうやって強国と渡り合うかというコンセプトと、しかしその為の絶対的なスーパースターが居ないという面で非常に似通ったチームだった。オーストリアは立ち上がり(のみ)のオールコートディフェンスとそれに合わせた局面での数的優位にこだわったシステム。そこから縦へシンプルに仕掛けを狙うチームだったが、こちらはこちらで絶対的な選手が居なくて、相手をブレイクさせる強烈な個性が居なくて困っている様だった。
そんな相手に対し日本は「相変わらず」と言っていい出来だったのではないか?あまりに退屈。オシムが「結果ではなく内容を見て欲しい」とコメントした試合は全て酷い内容だった気がするがそれは気のせいか?
このチームの急所は恐らくオシムが一番信頼している両サイドバックではないかというのはアジアカップの頃から話をしてきた。オシムサッカーの代名詞ともなってしまったサイドチェンジの受け手として、サイドバックはこのサッカーで最重要なポジションであるが、そこが相変わらずのチキンぶり。あまりにも低い位置で受け、しかもフォローも居ない中で受け取る機会も確かにあったから、全てが全てというわけではない。しかしボールを受けるのも良い位置で数的同数でスペースもあって中央も人が居てといった状況でも、何故縦に勝負が出来ない?コーナーが取れれば成果じゃないのか?マイボールのスローインになればリスクは無いじゃないか?途中出場の松井の方が断然縦に仕掛ける機会が多かった気がするのは恐らく間違いではないだろう。ボールを廻して、その結果生んだギャップを最終的に突くのはサイドバックの役割だ。サイドバックがゲインを突破して良いボールを供給するのがオシムサッカーのコンセプトの1つだと思っている。その最重要ポジションがこれでは(そしてこの出来で信用をしているくらいでは)劇的な改善は今後も望めないと思う。メンツとして第一候補なのは認めるが、深い信頼を寄せていいほどの出来ではない。(何の因果か相馬さんが解説だったのは良かったと思う。しかしボロ糞だったな笑)
そして俊輔。もう俊輔モードに付き合うのは個人的には御免です。高い位置でボールが奪えても、コイツがスペースに動き出しながらボールを貰う気がない以上スペクタクルは生まれないです。低い位置で、ぬるい位置で、長いパスを出すだけなら稲本の方が断然精度のある強いパス出せてましたから。しかも稲本はボール奪いますから。

うちの親父は大してよく分かってない(しかもアル中)のクセに、一言で真理を貫いてしまう人なんですが、そのコメントを紹介しておきます。

  • 「選手交代で当てたためし無いなオシムは」
  • 「播戸使った方がまだ面白い」
  • 「駒野嫌いだけどこんな番犬みたいな選手も要るのかもしらんな。こま犬や」
  • 「このチームは俊輔切らないと先進まないぞ」

俊輔モードはジーコジャパンの延長上にしか見えません。ジーコのサッカーに文句言ってた人がこの俊輔モードに文句がないのが不思議でしょうがない。ホント先に進んでいる気がしないです。

そもそも「人もボールも動く」と謳っているチームがカウンターが出来ないって言うのはどういう事なの?と思うわけです。ボールを奪った直後の切り替えの遅さというか動く気の無さというかは見ていて本当にイライラします。
個人的なサッカーの趣味の話になるけど、長い事キャッチフレーズで叫ばれている「引いた相手をどう崩すか?」といった命題について、自分はその答えとして『引いた相手が崩せないのなら、引く前に崩せばいいじゃない』と思っています。だから「何が引いた相手をどう崩すだ、引かせてるのはテメェらじゃねぇか!カウンターをバカにするな。動く気無いなら「人もボールも」なんて口にするな!」とか思っちゃうわけです。
一体何に怯えている?選手も、そして監督も。我こそは!と立ち上がる者はおらんのか?!