FC東京U-23の先にある、選手たちとの「納得のサヨナラ」

J3第10節、FC東京U-23vs鹿児島ユナイテッドFCの試合を観に行った。

場所は夢の島競技場。観客動員数は2,192人と発表があった。夢の島開催だけで言うとこの数字は、前回のガンバ大阪U-23戦の1,993人より増えているのだから立派なものだろう。そしてこれまでホーム開催5戦での平均は2,698人なので、前回エントリの理屈に則れば、まだまだ儲かる芽は残しているww

とは言え、肝心の試合成績は散々たるもの。鹿児島戦でも結果はスコアレスドロー。試合を終えて湧き上がる勝ち点3への未練は、東京側よりもむしろ鹿児島側に強く残ったであろうと想像できる、そんな内容であった。

 

第6節アウェー鳥取戦での勝利によって、U-23が一皮剥けたのは明らかだ。圍の指示の声は開幕戦に比べればハッキリ堂々としたものとなったし、U-18から"出向"しているCB岡崎慎のプレーぶりたるや、もはや「借り物」の域を越えた存在感を放っている。

何より、チームとしての背骨がようやく出来つつあるのが見て取れる。当初は本当に酷かった。チームになっておらず、そのくせ選手がチームを造ろうとしている過程感がまるで無かった事には、観ていて絶望しか無かった。

それが、幾人ものオーバーエイジ達が、限られた中でチームをどう造っていくのかという「振る舞い」を示してきた事で、ようやくチームには背骨が通り始め、鳥取戦での勝利によってようやく形作られた。

ただし、それが成績に繋がるとは限らないのがサッカーでもある。古今東西、チームの熟練度は成績とはそう簡単には比例しないものだ。特にFC東京U-23においては、数少ない機会の中でコツコツと形作ったものであるが故に、その出自である、所詮「トップチームに出場できない、何かしら課題・不足を抱えた選手たち」の色がベースとなって出来上がった背骨でしかない。そんな背骨にどの様な価値があるか?第10節経過時点で、J3リーグ最下位。価値を示す、1つの指標であろう。

チームですら無かった状況から、輪郭が徐々に付きつつあるのだから、それは大きな進歩だ。しかしだからこそ、FC東京U-23としては言い訳が効かない状況も出来つつあるとも言い換えられる。シンプルにただ弱い。相手と同じ土俵に立って比較できる様になっただけに、露呈しているその問題は根が深い。

 

 

前回エントリで、この様に書いた。

野球で一流の打者になる為にはバットを振り続けるしか無いし、一流のピアノ弾きになりたいのであればピアノを引き続けるしか無い。試合で活躍する選手へと成長したいのであれば、試合に出続けるしか無い。悩み、苦しみ、負け続ける事に心の底から悔しがり、それらを覆さんと腹括って日常を生きる。その積み重ねしか無い。

彼らには試合が必要だ。だから自分は、この施策のリターンに確信を持っている。 

羽生直剛が選手として如何に価値のある選手なのか?それを考えれば、サッカー選手としての価値には様々な観点がある事が良く分かる。そういう意味では、サッカー選手における「成長」とは、身体的・技術的な要素だけではなく、頭脳的・精神的な要素においても伸びる余地があると言える。そして成長する機会というのは、何も若手選手のみに限られた特権ではなく、どの年齢どのような選手においても等しく有するチャンスであるということだ。

選手とは"小平での練習"に、"試合での経験・体験"をかけ算していくことで成長していく。どんな選手においてもだ。至って普通の話であろう。

しかしこれをまた言い換えてみると「じゃあ試合という機会がありながら成長できない選手って何なの?」ともなってしまう。FC東京U-23が誕生したおかげで、言い訳の効かない状況は選手においても生まれたということになる。

 

言い訳の効かない状況において、それでも成長できない選手がオフシーズンにどうなるのか?それは言うまでもないだろう。そしてそのカウントダウンは、この淡々と勝ち点を落とし続けている現在においても確実に進んでいる。

制度的な話で言えば、U-23での出場時間はA契約・B契約移行への条件として算入される事になっている。J3では1350分、15試合フル出場相当の出場時間を得ることで、選手は次年度以降に契約移行が必要となる。アカデミー出身選手が多いFC東京においてはA契約25名枠(今シーズンはACL出場で27名枠)にゆとりがあるのは確かだが、C契約なのかA・B契約なのかが契約更新の際に要素・制限となるのは間違いない。

しかしそれ以上に現場で観戦していて思うのは、「こんなプレーしていたら、そりゃあトップで出れないわ」であり「これだけ経験させていても変わらないのであれば…」という『納得感の醸成』だ。

観客は得てして、選手の「知らない部分」に過剰な期待を込めてしまいがちだ。脳内に「伸びしろ」を勝手に創ってしまう。しかしそれが試合を重ねていくだけ、選手の「知る部分」が増えていく。「コイツもっと凄くなるな」もしくは「割とそうでもねぇな」と理解する。

FC東京U-23が試合を重ねていくことで、選手は「成長してトップチームで出場機会を得ていく」かもしれないし、もしくは「大した成長も見込めないから…」となるかもしれない。どちらにしてもその結果に伴うのは「周囲の納得感」だ。

 

今のFC東京において、分かりやすい例は平岡翼か。

これまでもJ-22でそれなりに出場時間と結果も残してきたが、その際の出場時間はこれまでのルール上、A契約締結条件にはカウントされていない。それが今シーズンのU-23の戦いはカウントされていくルールとなった。例えば今日であれば柳貴博が不在だったためSBでの出場もあり得たわけだが、そんな「数合わせで仕方なくSBで出場する試合」も確実にカウントを進めていく実績となってしまう。

元々C契約は3年限定なので、どちらにしても来季契約の際にはB契約以上の締結更新が必要ではあった。ただその際には当然、第10節時点で703分という出場時間も判断材料となる。これはU-23が無ければ得られなかった材料だ。

その結果として、果たしてどう判断となるのか?少なくとも、そこには出場時間だけの「納得感」が伴うことになる。

そう考えると、所詮まだ20歳の平岡に果たしてFC東京でどれだけ時間が残されているか?

U-23枠に居られるのは再来年まで。個人的な意見を言えば「悠長なことしてる余裕は無い」と思っている。

もっと言えば、幸野志有人U-23枠に居られるのは今年までなのだが。

 

 

来季は恐らくACLにも出られない。良かれ悪かれ、選手編成は大きく変わる。現在のFC東京U-23の酷い選手編成も、今オフには是正に着手するだろう(でなけば立石は馬鹿だ。いや、既に馬鹿だが)

その中で、現在U-23での戦いにおいて「こればっかりは仕方がない」とされている、例えば攻撃における連携や意思疎通、味方同士の理解の欠如によって、ただ淡々と不甲斐ない結果を続けているわけだが、そんな彼らに今オフ待ち受けているのは果たして何か?

ちなみに高橋秀人は、既に"シーズン中"に「納得のサヨナラ」を果たしている。選別は既に進んでいるということである。